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私がロマンチシストでいられる時間

アニメ映画「紅の豚」を見た。

何度か名前や絵は目にしたことはあったけれど本編をしっかり見たことがなかった映画だったその映画を、急に「ちょっと全部見てみたいな。」なんて気持ちになってレンタルで借りてきた。

映画を見終わって思ったのは、ため息が出るほど甘くて優しい安心感に満ちながらも、じんわりと舌に残るほろ苦さを残すようなとても後味の良い映画だった、ということだ。

映像に映る風景や人々の中で流れる時間の穏やかさはとても清々しくて幸せな気持ちなるけれど、同時に「こんな穏やかさの中で私も生きられたらなあ…。」というないものねだりに過ぎないかもしれないメランコリーな欲求が沸き起こる。

合間合間に舞台となっている時代や国の情勢が垣間見えるものの、多くが語られないからこそ、舞台の中の空気や風景を楽しむことが出来た。
過剰な説明が映像の向こう側からやってこない事で成り立つ美学もある。

そして、賑やかでコミカルな場面が度々描かれながらも、時たまこぼされる台詞の中に大人の色気が凝縮されていて、それがまた甘いときめきと口触りの良い余韻を残す。

可愛らしくて愛らしい登場人物達に癒されて笑ったり、大人の色気の中にある哀愁や穏やかさに胸が詰まって少し泣きそうになったり、一つ一つの画の美しさにため息ついて呆然としてしまったり、映画を追う私の情緒はとても忙しかった。

「いい映画を見たな。」と一人思う。

この世で生きている中で映画や本、絵画、音楽といった物モノに触れ、自分の心がじんわりと温かくなり充足感で身体が満ちる時を至福に感じる。「ああ、生きていてよかったな。」と思うのはこの瞬間。一人、じっとりと自分の思うままに作品の余韻浸れる時間が好きだ。

誰かと感想を言い合う息を忘れるほどの情熱的な時間も好きではあるけれど、でもやはり一人でじっくりと言葉にならない感情を噛みしめてメソメソと泣いたり、思い出し笑い堪えてにやにやとする時間が私にとって何にも変えられぬ幸福な時間なのである。

独りでに自分が美しいと思う世界にうっとりと浸る時間、私が誰もかれもこの世に存在している全部を忘れて思いきりセンチメンタルなロマンチシストでいられる時間。この時間がなければ、私の人生は灰色で、もはや成り立つことすら難しい。

私には世界があまりにも情報で溢れすぎているように感じるから、他人の情報も感情も全て締め切ってしまいたくなる。でも、生きているうえでは最低限人と関わる必要があるし、他者がいなければ得られない知識や感覚、経験があり、それが自分の糧になっていくことも知っている。

だからこそ他者と関わる時間を生きたいために、私は私が独りロマンチシストでいる時間を作る。紅の豚になぞらえるならば、独りの時間(ロマンチシストでいられる時間)とは私という飛行艇を飛ばす為の原動力でありガソリンのようなものだろう。

そうして私という飛行艇にエネルギーが満タンになったら、また他者との時間を生きるために大空に飛び出していくのだ。幾度となく空を飛び、光を浴びたり雨風にさらされたりを繰り返しながら、飛行艇が壊れるまで人生は続いていく。

今日は布団に入った後もじっくりと内なる感情に耳を傾け、映画の余韻に浸って眠る。そして、また明日からまだ見ぬ美しい作品に出会うためにも飛行艇のエンジンを勢いよくふかして飛んでいこうと思う。


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