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【小説】華森京香の独言①人面草

貴方が角谷さん?

 そう、私の話を聞きに来てくれたのよね。祖父から聞いていますわ。うふふ、何も大した面白い話をするわけではありませんけれど、聞いていってくださるなら話をしましょう。

 …ええ、そうね、あれは私が17のときだったかしら。私、女学院育ちなんですの。あら、品がいいのはそのせいだって?うふふ、そうね。女学院は様々なことを教えて下さいましたから。

 その中でも…やはり私の記憶に強く残っているのは、生物学を担当していた教師の藤村先生。痩せた背の高い、30くらいの無愛想な男性でした。女学院では、彼一人しか男性がいなかったんですの。だから女子生徒の間では人気もまあまあありました。顔も、そんなに悪くありませんでしたし。

 でも、だから記憶に残ってるんじゃございません。私は、藤村先生のある秘密を知ってしまったから、彼のことが記憶に残っているのです。

 私ね、生物学の点数が実は悪かったの。どうしても、理解できない部分があって。だから、直接先生に聞きに行った。先生なら、きっと教えてくれると思ったから。当たり前よね。それが教師の務めですものね。

 私は先生が放課後に科学室の奥にある準備室に居ることを知っていました。なんでかって?それはね、女子生徒の間でウワサになっていたんです。藤村先生が、放課後になると科学準備室で怪しい実験をしているんだって。

 そんなの、ほとんど子供だましな馬鹿な話だと皆わかっていました。でも、無愛想なその姿が、悪魔の科学者であるという想像を掻き立てたのです。それに科学準備室に籠もっているのは本当のことでしたから。

 私はちょっとだけドキドキしながら、科学室の扉を開け、独特の匂いのする室内を進んで準備室まで向かいました。そして、すっと一つ深呼吸して、私は準備室の白い扉をコンコン、とノックした。

「…どちら様?」

 数秒の沈黙の後、素っ気ない低い声がドア越しに聞こえました。私はすぐに、返事をしたわ。

「C組の華森京香です。授業でわからないことがあったので聞きに来ました。」

 思ったよりもずっと上ずった声で私は先生に言ったの。すると、ドアが数センチほど開き、その間から藤村先生の顔が見えました。でもどうやらそれ以上は開けてくれないみたいだった。

「…ああ、君ね。なに、何処がわからないの。」

 藤村先生はドアの隙間から私を見下ろしながら、無愛想な態度で言ったわ。私はその態度に少しだけむっときたけれど、用事を済ませるのが先だと思って、私は手に持っていた教科書を開いた。

 私は教科書を指差しながら、質問点をいくつか述べました。藤村先生は依然として無愛想なまま、私の質問に的確に答えたの。はっきり言って、とてもわかりやすかったわ。それがなお一層悔しくって、私は隙間から見える藤村先生の目を見たわ。

「…藤村先生は、いつも放課後に準備室で何をしていらっしゃるのですか?」

 私は、怯えた素振りも見せることなく尋ねました。すると、藤村先生は黙り込んでしまいます。私は追い打ちをかけるように言葉を続けた。

「皆が噂しています。先生が怪しい実験をしているんだって。」

 すると藤村先生はくすっと笑いました。何がおかしいのでしょう。私はバカにされた気分になって、藤村先生を睨みつけたの。でも、藤村先生は嫌な顔ひとつせず、ただ目を細めて笑うだけ。

「君は僕がどんな実験をしているんだと思う?」

「え…。」

 私はそんなこと考えたこともなかったからきょとんとしてしまいました。だって、怪しい実験…って言っても、皆その内容については殆ど話していなかったんですもの。ただ「怪しい実験」という言葉を振り回して遊んでいただけ。でも、藤村先生はそんな私をニヤニヤとしながら見ている。私は負けじと言葉を返したわ。

「…薬品の調合や、動物を使った実験…とか。」 

「うん…なるほどね。まあ、概ね当たりかもな。」

 気づけば藤村先生は笑みを消してまた無愛想な表情に戻っていた。でも、声は笑っていました。楽しげに弾んでいる…とでも言えばいいんでしょうか。怪しい実験をしているんだって噂を立てられているのに、なんだかおかしいわよね。普通、怒ったりなんだりするべきなのに。藤村先生は、噂を楽しんでいるようだった。

「華森君。もし君が次の生物学の小テストで100点を取ったなら、僕がしている実験のことを教えてあげよう。」

 藤村先生の言葉に私は目を見開いた。私、小テストで100点なんか取ったこと一度もなかったのに。藤村先生はそれを知っていてわざわざ無理難題を私に押し付けたのよ。でも、ここで無理だって顔をしていられるわけがない。私って、意外と勝気な性格なの。だから胸に抱いた教科書を一層強く抱いて先生を見据えた。

「わかりました。私、絶対に100点を取りますから。お覚悟していてくださいね。」

 私の言葉に、藤村先生は小さく笑ってパタリとドアを閉めたわ。それ以上何も話すことなどないかのように、白いドアが佇む。私は踵を返して、駆け出した。家で勉強して、次の小テストで藤村先生に勝つために。

それから休みを挟んで月曜日になり、生物学の小テストが行われた。私ね、なんとそこで100点を取ったのよ。すごいでしょう?これが執念というものなのね。テストの返却の時、藤村先生は何も言わなかったけれど、目は確かに笑っていたわ。

 放課後、私はすぐさま化学準備室へ向かったわ。ついに、藤村先生がどんな実験をしているのか分かる時が来たのよ。それはもう、ワクワクしていたわ。

 科学室まで行くと、扉の前で藤村先生が待っていました。私は少し驚いたけれど、すぐに気を取り直して「先生。」と声を掛けた。

「やあ、おめでとう華森君。」

「どうも、ありがとうございます。それで…。」

「ああ、約束通りにするよ。」

 藤村先生はニコリともせず、いつもの色のない表情のままポケットに入れていた科学室の鍵を取り出して科学室のドアを開けました。藤村先生が科学室に入っていくのにつられて、私も科学室に入ったわ。

 藤村先生の背を追いながら、机や棚の並ぶ室内を通り抜けて、一番奥にある化学準備室に到着する。私の心臓が、少し高鳴り始めた。これから、一体どんな恐ろしい光景を目の当たりにするのだろう。私は少しだけ、怖くなっていた。でも、ここで引き返すわけにはいかない。

 藤村先生は慣れた手つきで化学準備室の白いドアを開けた。パンドラの箱が開かれる感覚。私の興奮と不安は最高潮に達していた。

「中に入って良いよ。」

「…はい。」

 私は藤村先生に言われるがまま、準備室に入った。準備室は、やっぱり科学室に比べたら狭くて、私と藤村先生が入っただけでもう人は入れないくらいの広さだったわ。

「…まあ。」

 私は狭い準備室をぐるりと見回した。科学準備室の中には至る所に植物が置かれていたの。机の上には所狭しと試験管やフラスコ、ビーカーといったものの間に何らかの資料が置かれ、それらの真ん中にもやはり植物が置かれていた。まるで小さな植物園をみているみたいだった。

「先生は、植物の研究をしているんですのね。」

「うん。でも…この植物は、少し特殊なんだ。」

 特殊?私はその言葉に首を傾げ、もう一度机に置かれた植物を見ました。一見、ただのサボテンのように見えるそれは…よくみると、表面が歪に盛り上がり、人の顔の形をしているように見えました。

「これはね、人面草だよ。ある遺伝子を組み込み、特殊な栽培方法を施すことによって、人の顔の形になるんだ。僕はそのメカニズムや栽培方法を研究しているのさ。」

「…そうなんですの。」

 私はしばし、言葉を失ってそのサボテンを注視していました。人面草、そんな植物聞いた事がありません。でも、目の前にあるのは確かに人の顔の形をした植物です。私が黙っていると、藤村先生が言ったわ。

「気持ち悪いかい。彼女が。」

 私はその言葉にぱっと顔をあげました。藤村先生はいつもの表情のない顔のまま私を見つめていました。私は何と答えるべきか迷ったけれど、こう言った。

「いえ、少し驚きはしましたけれど…でも、美しいですわ。」

 段々見ていると、その人の顔は美しい女性の顔をしているように見えてきたのです。もしかしたら、そう見えるように自己暗示をしていたのかもしれないけれど。私の答えに藤村先生は小さな声で「…そうか。君にはそう見えるんだね。」と言っていました。

「何故、藤村先生は人面草の研究をしているのですか?」

 私がそう尋ねると、藤村先生は古ぼけた丸椅子に座り込み、人面草を見つめながら言いました。

「…君は、好きな相手が自分のものになったらいい。と思うことはないかい。」

 先生の問いかけに、私は曖昧に「ええ…まあ。」と答えました。その当時私には好きな人がいませんでしたが、好きな人を自分のモノにしたいと思うのはごく自然な感情であるということは何となくわかっていました。

「僕もそうなんだ。好きな人間を手に入れたい。でも、人間には感情があるだろう。僕を好きじゃない、という感情がある。言葉がある。けれど、植物は違う。植物は僕のモノになる。彼女たちには言葉はない。じゃあ、好きな人間の顔をした植物があったら?好きな人間の命が宿った植物があるなら?僕は考えたんだ。彼女達に、人の命を吹き込むことを…。」

 藤村先生は熱のない声で淡々と話していました。私は一人、その言葉に耳を傾けながら、胸を高鳴らせていました。

だって、おかしな話でしょう。好きな人間が手に入らないなら、好きな人間の顔をした植物を創ればいいなんて。それって、酷く歪んでいるとは思いませんか?人への愛憎の終着点に、まさかこんな場所があるものなんてね。私は興奮で震えそうになる唇を噛みしめながら先生の話を聞きました。

「…君は怖がらないのだね。」

「ええ、だって…あまりにロマンチックなんですもの。先生、素敵な考えをお持ちなんですのね。」

「ありがとう。」

藤村先生は、ふっと微笑んだわ。柔らかくて、優しい微笑だった。

「君を植物にする必要はなさそうだ。」

そう言って、藤村先生は私に背を向けました。私は一瞬、その言葉の意味が分からなかったんですけれど、でも、とても恐ろしい事を零された気がして。私はぞくっと背筋を駆け抜けた悪寒を見ないフリをしながら、そうっと白い扉に近づきました。先生は、私の方を振り向きさえしません。きっと、もう用事はすんだのでしょう。

「…先生、ありがとうございました。」

私の言葉に、先生は反応しません。自分の手元にある植物の事見つめる先生の後姿を見ながら、私は静かに化学準備室を後にしました。

 それから数日後の事です。藤村先生が、学校に来なくなりました。ええ、忽然と、彼は姿を消したのです。

理由はわかりません。幾人もの女子生徒が職員室に押しかけたみたいだけれど、どの教師も答えをはぐらかすばかりで話にならないと生徒が愚痴をこぼしていましたわ。

 藤村先生が姿を消してから3日程経って、地元の新聞にある記事が載りました。

なんでも、ある御曹司の娘さんが行方不明なんだとか。彼女は偶然にもウチの女学院の卒業生で、学校でも少し話題になりました。

 藤村先生が姿を消したのと、彼女が行方不明になった事…角谷さんは何か関係があると思いますか?うふふ、まあ、本当の所はわかりませんけれどね。

 あれから卒業するまで、私は化学準備室には行きませんでした。もう、あれきりです。藤村先生が見せてくれた「彼女達」は、まだあの準備室にいるのかしら。

角谷さんも、どうぞ気をつけてくださいね。貴方を愛する人が、貴方をどうしたいと思っているのかなんて、わからないものですから。

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