CDばっかり買ってるオタクのよたよた話

今日までにインターネットやデジタルなサービスが年々普及し、音楽も定額制で聞き放題とか、インターネットで新譜が出たら即ダウンロード、とかが出来るようになったこの時代。
円盤が売れない!と言われ始めてどれくらいたったのだろう。そんな世の中になって、CDを買うという体験をしなくなってきた人も割といるのではないかと思う。

けど未だに私はサブスクにも入らずアルバムが出たらCDを買うタイプだ。
ごくたまに1曲2曲ダウンロードで買う時もあるが、殆どCDを買っている。

何故、私が今でもCDを買い続けているのか。コスパ考えたらサブスク入った方が良くない?と正直自分でも思う。

新しいサービスを始めるのに対していかんせん腰が重いというのもあるけれど、私が「目に見える物質を手にする」事で安心感を覚えるタイプだからというのが一番大きな要因だ。私は目に見えて触れる物質重視ヒューマンなのだ。
ここでいう物質とは、質量や体積を持った「物質」を指している。

●「触れる」という体験を通して想像を膨らませる。


例えばなのだが、愛する人を抱きしめるとき、腕のうちにその体温を感じて「ああこの人が生きている、抱きしめている、愛している。」と安心するのと同じなのだ。
大げさに聞こえるかもしれないけど、マジだ。私はCD抱きしめて「生きている~!」と叫んでしまうタイプなのだ。

歌詞カードの紙の手触り、新品の匂い、「これ外し方間違えたら割りそう怖い」と思いながら慎重にCDを取り出す時の力加減など、とにかく感覚が視覚や触覚に残る経験を重視しがちなのである。

とはいったものの、肝心な「音楽」というものは、触る事も出来なければ食べる事も出来ないのだが。

でもだからこそ、その音楽を構成する一部であるCDジャケットや歌詞カード内のデザインやパッケージに触れる事で、曲の世界観についての想像を膨らませ音楽と自分の距離を近づけたいという意思があるのかもしれない。

CDという存在を通して、音という目に見えない感覚や想像が自分の手元落ちてきてリアルな感触に変わり、私の大事な経験になる事を望んでいる。
舐める事も嚙む事もできない音を、音楽を装飾する物質達を通して深く味わったような感覚に陥りたい。

つまりはgoogleマップで世界旅行するんじゃなくて、自分の足で世界旅行したいという気持ちみたいなものだ。
足で、手で、その土地を踏みしめ自分の体に刻み込みたい、みたいなそういうやつだ。

別にデジタルな社会を批判したいとかでもないし、googleマップで旅行するのがダメ!とか言いたいわけでもない。デジタルがもたらす恩恵は沢山あるし、楽になるものはもっと楽になっていくべきだと思う。

ただ、私の音楽体験の拡張のために、CDやDVDといったものが必要というだけで。

手に触れて味わう事が好きという個人的な趣向で、私に必要な儀式といってもいいかもしれない。

奇跡的な出会いに会いに行く。

あと、CDではないが本も紙の書籍を買う。それもまた、手の内に収まる重さや感触から自身の体験や経験を広げたいという気持ちで買っているのだが、本屋をうろうろして見た事のない本との「奇跡的な出会い」がしたいというのもある。

奇跡的、というか、自分で奇跡を勝手に起こしにいっちまえという感じのほうが近い。

最近は外出もせず本屋にいくこともあまりないのだけれど、本屋で「そこにいかなければなかっただろう本との出会い」をして、その本と縁が結ばれる…というような機会をうかがう事の楽しさが自分には必要だなと思うのである。

CDをジャケット買いすることは実はあんまりないのだが、買ったCDのアートワークが気に入って「誰がこれデザインしたんだろう?このアー写撮ったのは誰?ここロケ地何処だ?」と歌詞カードの最後の部分を見て調べたり検索したりする事はある。
それもまた縁というか、新しい体験に繋がっていくきっかけになるから面白い。

最近見たCDジャケットで特にお気に入りなのは少し前に発売したINORANのアルバム「Between The World And Me」だ。華やかなのにシックで、コーヒーを飲みながら眺めたくなるジャケットだ。楽曲も滑らかな味わい(?)なので、ゆったり部屋で聞くのにかなりおススメなアルバムである。
(この話、絶対長くなって脱線するからリンク貼ってここで終わり。)


●これからとこだわり

とはいえ、私以外にもCDを買っている方はいると思う。

CDを売るために色んなグッズや特典がついていて、それを集める人もきっといると思う。私も写真集がついているから、とか、イベント応募券が、とかで買う事も良くある。

今後、CD文化が無くなり、完全にデジタルデータに移行するのかどうか。ちょっと微妙だ。無くならない!とも言い切れないし、時代がコンテンツを楽しむ(楽しませる)のにおいて「利便性」を重視するのなら、それは仕方ないと思う。

でもギリギリな中でCDという媒体が生き残るなら私はCDを買い続けると思う。

たかがイチオタクの金で時代の流れが変わるなんてことは多分ないけれど。でも、私の体験にCDが必要だから、私はCDを買いたい。

また、これを書いていて私の友達が「こだわりのあるオタクは面倒だ。」と良く言っている事を思い出した。

私は「こだわりの種類」とか「方法」によるから、一概に「めんどくさい」で片づけるのはどうかなあと思うタイプだ。私もこだわるオタクだから。

個人的には自分以外にそのこだわりを押しつけたり、そのこだわりが自分にとって「強制的で辛いルール」に変貌しない程度であればどんどんこだわっていけばいいと思う。

自分がこだわってるうちに楽しみだったことがつまんなくなるのは悲しいから。立ち止まって「このこだわり、今私の胸を躍らせている?」と一度聞くのも大切だと思う。

楽しくないなら、何が何でもとりあえず一回やめた方がいいし、改めて見た時「なんでこんなことにこだわってたんだ…。」って冷静になるかもしれない。

でもあるときこだわっていた事について振り返って、「あんなにこだわって、必死で、ほんっと大好きだったんだな!」って笑っちゃえる日が来たら最高だと思う。

なんだかCDの話から突然ぶっ飛んでしまったが、時代の流れや他人の気持ちを変化させられなくても「いや、これのこういうとこが好きなんです。これないと生きてけねえっす。」って言えるようなものが一つでもあると人生楽しいかもねって話。

とりあえず、ころもっころ五郎は今後もCD買ってウハウハしていく所存であるということだけここに書き記しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?