見出し画像

新しい視点をゲットだぜ!


少し前、埼玉県にある芝園団地の事務局長・岡崎 広樹さんの講演を聞きに行ってきました。
岡崎さんのプロフィールはこちら。

https://www.mskj.or.jp/profile/okazaki.html

芝園団地は、約5,000人が暮らす巨大団地です。
それをまとめるだけでも大変そうですが、
そのうち半数以上、約2,700人が外国人だそうです。

住民同士の生活問題の軋轢、外部からを差別活動うけるなど、
問題がたくさんあった団地だそうです。
そこをなんとかしようと、岡崎さんは日々奮闘されています。

今回の講演は、これまで参加した多文化共生のそれとはちょっと違いました。
それは、総務省は報告している「多文化共生の定義がちょっと違うんじゃない?」というものです。
私はそんな講演を聞いたことなかったので、初っ端からびっくりしました。
だって、総務省の定義を元にいろんなことが考えられたり作られたりしているわけで。
それを指摘するというのは、聞いたことがありません💦

総務省の定義では、多文化共生とは以下のように言われています。

「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」

今回の講演の中で、指摘されていたのは、以下の2カ所です。
①「互いの文化的ちがいを認め合い」の部分
②「対等な関係を築こうとしながら」の部分
それぞれの指摘を少し書いていきたいと思います。


定義は納得できるものばかりじゃない

まず、①「互いの文化的ちがいを認め合い」の部分について。

説明を聞きながら頷きまくりました。
「認め合う」って言っても、どうしても認められないことってあるわけです。
例えば、クチャ食べは、私は大嫌いです。
でもそれが気にならない文化の人もいるわけです。
外国人だけでなく、日本人でもいますよね。

総務省の定義では、それも認めなければ多文化共生ではないのですが、そんなの無理です。
その無理が祟って、恨みや憎しみに繋がっているのです。
それ、最悪だと思います。
だったら、最初から無理しなければ良いのです。
「認めれる部分は認めましょう。ただし、相容れない場合は仕方ない。」
そういう歩み寄りが、多文化共生への第一歩な気がします。


もう1つが、②「対等な関係を築こうとしながら」の部分について。

簡単な話、知り合いでもない人と対等な関係なんて作れないでしょ?
だから、まずは知り合うことが大切。
ただ、人間は共通項が少ないと知り合えないので、前提が崩れている、という指摘でした。

「共通項が少ないと知り合わない」という視点は、とても印象的でした。
何の共通の話題もない人とは仲良くなりづらいですよね。
同じ学校出身とか、趣味が一緒とか。そういう人の方が圧倒的に仲良くなりやすいわけです。

これまでの多文化共生や国際交流は、この視点が抜けていたと思います。
「会えば、何とかなる」のような感じです。
でも、ならないんですよね。
だから、その場限りで「楽しかったね」で終わりなのです。
本当は、その出会いを通して、継続的な付き合いをしていきたい、してほしいのです。
そのために、「共通項がある人たちを出会わせる」というのは、とても有効な方法だと思います。

一方で、「共通項がある人たちを出会わせる」というのは、なかなか下準備が大変です。
趣味や出身地など、その人に関わる情報をたくさん集めて、他の人と照合していかなければいけないからです。

ただ、ITの力を借りれば出来るんじゃないかなっと、私は思っています。
婚活サイトみたいなのを応用して、街に住む人たちをマッチングしていくなんて、面白いですよね。
(もちろん、希望者しか参加しないという部分は、これでは解決しませんが。)

ちなみに芝園団地では、日本人と外国人を結びつけるために、外部からクッション役になる人たちを呼んできたそうです。
そうやって、共通項が少なかった住民たちが、
外部の人たちを通すことで、共通項が増え、知り合いになっていった、とのことでした。
それも面白い取り組みだと思います。
前に書いた「外側VS内側?」のように、接着剤的存在の人は、どこにでもいますが、活用されていません。
特に、自治会や自治体関係では、同じ地域にいい人材がいても、メンバー以外を受け入れることに抵抗がある人が多いという事実はあります。
そこを飛び越えれる勇気があるか。
これからの時代に問われる点ではないでしょうか。


共存と共生

この講演会の中では、共存と共生という言葉がでてきました。
共存は「お互い静かに暮らせる関係」、
共生は「お互いに協力する関係」と定義されていました。

どちらが正しいということはないのですが、
私自身は共存が好きです。
それは、一定の距離感を保っている、自立した者同士の関係だからです。

多文化とは、多様な文化です。
多様な文化を持つ人たちがたくさんいると、
その人たちの共通項は減っていきます。
先に書いたように、共通項が少ないと、
認め合うことも知り合うことも、なかなか難しいです。

繰り返しですが、外国人だけでなく、日本人間でも同じです。
今、日本人同士では、干渉しないのが当たり前になっていると思いませんか?
現状がそういう世の中で、共生を強いるというのは、少し強引というか、ズレている気がします。

だから私は、多文化共生だけではなく、「多文化共存」という概念があってもいいのではないかなぁと思っています。
まずは、ある程度の距離間を保つ、付きつ離れずの関係を保つ、共存から始めようよっという感じです。
今はあまりハッキリとした概念として取り入れられている訳ではなさそうなので、多文化共生への第一歩として、多文化共存の活動をするっというのも面白いかもしれません。

今回の講演会でゲットした新しい視点をもって、自分のやりたいことも、より一層盤石になりつつあります。
参加して良かったな!

同じようなことが、こちらの記事にも書かれていますので、講演会に行く機会がない方は参考にされてはいかがでしょうか。
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2019052000006.htmlr

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?