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“人にやさしい”日本語

前回のnoteで書いた、芝園団地の岡崎さんの講演会について、
もう少し見ていきたいと思います。

講演会では、
外国人は目立つけど、本当は日本人との関係でも一緒。
それに共生でも共存でも良い。
ただ差別を助長するようなことは止めようよ。

というまとめがありました。

このまとめから2点、気づきを書いておきたいと思います。


外国人も日本人も一緒

多文化共生の話をしていると、ほとんどが「外国人と」という切り口に限定されます。


なので、
・いかに外国人を差別しないか?
・いかに外国人を理解するか?
・いかに外国人を守るか?
みたいなことが議論されがちです。

でも、日本人だって、多文化共生の当事者ですよね。
クチャラーは、国籍で分けれません。
日本人でも、育った環境で好き嫌いは違うんです。

なのに、日本人が置き去り

だから違和感があるし、反発があるのだと思います。
多文化共生は多文化共生を推進したい人だけのものではありません。
全員が当事者なのです。
日本人でも外国人でも、差別されず、理解され、守られる。
そんな世の中が、多文化共生社会ではないでしょうか。


差別を助長する発言とは?

「差別を助長することは止めようよ」という考え方も、とても興味深い考え方です。
実は別件で、ヘイトスピーチについて書いていらっしゃる梁 英聖さんのツイートでも、同じような発言を見ました。
そして、ある人の発言を聞いて、
差別を助長する発言って何だろう?」と一人悶々としていました。


ある人とは、多文化共生を推進する側の人です。
ある時、全然別の話をしている中で、
「外国人はわかってないから教えてやらないといけない」や「妊婦はすぐ休むから困る」という発言を聞きました。
(※この方を責めたい訳ではありません。)

この発言を聞いた時、とても強い違和感を感じました。
多分本人は、悪気なく発言しています。
「こんなのみんな言うよ?」と思われるような、ありふれた言葉です。

でも、なんか気になりました。
多文化共生を推進する側の人の言葉にしては、とても一方的で、対等な感じがしないのです。
自分が上で、相手が下。自分は“良い”けど、相手は“悪い”。
そう決めつけているように感じてしまった
のです。

私は、これが「差別を助長する発言」なんじゃないかなっと思っています。

例えば、外国から来たら、日本のルールなんて知りません。
暗黙の了解のルールを教えてもらえなかったり、書いてあっても読めなかったり。
ルールに従いたくても、従えなかったりします。
だから、ルールを知ってもらう必要はあります。

でも、「教えてやる」という言い方は、自分が上で相手が下です。
「対等な関係を築こう」と推進する側の人がそういう言い方をすれば、
何にも考えていない人が「あの人がそういう言い方してOKなら、自分もしてOKじゃん!はい、日本人が上~!外国人が下~!」となりかねません。
ちょっと極端な話ではありますが、
こういう風に「立場の上下を感じさせる言葉」が「差別を助長する発言」ではないかと思っています。

妊婦さんの件についても、別に、妊婦さん以外も休みます。
介護している人だって休まないといけないことがあります。
自分が病気の人も休みます。
もしかしたら、転職活動中の人も結構休んでいるかもしれません。
というか、休む人は誰だって休みます。

にもかかわらず、「妊婦は休むから困る」と妊婦だけを取り上げれば、
なんか「妊婦だけが休む」感じがしませんか?
「悪者を思い込みで決めつける言葉」が「差別を助長する発言」だと思うのです。


しかも、どちらの例も、論点がズレていますよね。
困りごとは、ルールが周知できていないことだったり、休まれることだったりです。
それが、外国人が悪い、妊婦さんが悪いにすり替わっています。

本来なら、「どうすればルールが周知できるか」、「誰かが休んだ時のバックアップをどうするか」「休まなくても済むにするにはどうしたら良いか」などを検討しないといけないのですが、それがされていません。
ただ、原因を人になすりつけ、終わりになっています。
(その能力がないから、論点をずらして、自分の欠点を見えないようにしている可能性は大です。)

ちなみに、妊婦さん発言は、別の妊婦さんに向かって発せられました。
ホントに質の悪い発言だと思い、その場で「他にも休む人はいますよね。」と言いましたが、発言主さんには無視されました…。トホホ。


自分にできること


多分、同じような例はたくさんあると思います。
それくらい「差別を助長する発言」にあふれているのが現状だと思います。

一つ一つを見つけて訂正していくのは、大変です。
それに、言葉狩りのようなことも、なんか多様性を削ぐ行為のように思われます。

だからせめて、自分だけはそのような発言をしたくないと思っています。

じゃあどこに気をつけるかと言えば、先に見た点です。
①対等な言葉選びをする
立場に上下を感じさせる言葉、悪者を作り上げない言葉選ぶようにします。
そのためにも、思い込みを避けるために、情報源を広く取ったり、知見を広める努力を怠らないことでしょうね。
Twitterや読書とか。それぞれの好きな方法でやれば良いですね。

あと、相手の気持ちを考える想像力を養う事でしょうか。
「相手の気持ちを考えましょう」とはよく言われますが、実行するのは難しいです。
それは、方法論がセットで語られていないからではないかと考えています。
私は、相手の気持ちを考える上で、一番大切な力は想像力だと思っています。
想像力も鍛えることができます。
(また別にいつか書きたい。)

同じように、攻撃的な言葉を使わないことも大切です。
イライラしたり個人を攻撃したくなったり、ゼロでは有りません。
ただ、攻撃的な言葉を使うと、知性が感じられなくなります。
自分を自分で貶める言葉遣いはしたくないですね。


②論点をみきわめる力
もうひとつは、論点を見極める力です。
一体何が問題なのか?
それを間違って捉えてしまうことで、解決方法が間違った方向に進み、
結局解決しないということがあります。
また、間違った解決方法により、人が傷つく可能性もあります。
論点を見極める力は、いろんな面で役立ちますから、
みにつけたい力の1つです。


とは言っても、適切な言葉や論点が何か分からない時は、有ります。
むしろ、そんな上手いこと出来るなら、もっと上手いこと行っとるわ〜!ですよね💧

これまで書いてきたことをまとめると、
「“人にやさしい”日本語を話す」ということかなっと思います。
“人にやさしい”日本語を話す。
なんかカッコよくないですか?私だけ?
私は、そんな人になりたいです。
がんばろー!

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