見出し画像

子育て日記 3人目ができた!(1999年3月~)P5

 日記ふう私小説、つまりエッセイだとする。
3人目の産まれた事を書いた記憶がなかった。しかし、探していたら、バックアップしたデータの山の中にあった。

 読むと、1999年当時から少子化と言われていたのかと感慨深い。
そして日本は、無策のまま25年が過ぎた。
子だくさん家族は今や絶滅危惧種になっている。
しかし内容は、今の若い夫婦が読むと多少イラとするかもしれない。

 それは突然
 で、驚いてしまった。2人目からほぼ4年経っている。
きちんとセックスしたという記憶がないのに・・。
でも、否定出来ないのは、その頃一応やっている。しかし避妊しているのだ。
ただ、大村コンちゃんを初めからは付けていなかったのだ。きっとタフやつがいたのだろう。僕がトライアスロンの選手だからって、DNAを運ぶあいつらもトライアスリートばりの持久力を持っているとは驚きだ。

それと妻の方のタイミングも良かったのだろう。
きっと妻は息子のお遊戯会でのテーマソングであるブラックビスケッツの「タイミング」を聴きすぎて、タイミングがあってしまったのだろう。(無論冗談です、真に受けないように)

さて、ともかくこんなチャンスをゲットした子供だ、産まれてくる理由がきっとあるはず。そう思うと、だんだん気分も期待も妻の腹と同じ様に盛り上がって来た。そして僕は子沢山のお父さんモードに気分が切り替わってくるのだった。でも3人目で子沢山という気分にさせる日本は、本当に小子化に突き進んでいる国なのだ。

日本の少子化
 一体全体何故日本は子供が少ないのか?
原因はこれしかない。女の人が子供を産まないからだ。
何故産まないのか?まず晩婚化、結婚しない人も増えている。
もっとかみ砕くと、子供が出来ると遊べない。
いい生活も出来ない。
一日中パソコンに向かってチャットも出来ない。(こんな人は滅多にいないけど)
多少なりともこんなところが当面の理由のように思える。

 実際に子育ては女の人にとって何年もの間、子供達に拘束されることになる。そしてその間自分の時間はほとんど無くなる。でも苦労する分だけ、人間としては成長出来る。
一方どんなに社会で素晴らしい仕事を成し遂げても、人間の奥深い精神面の成長を期待できるとは限らない。それは何故だろう?

 その理由は、おそらく「子育ては見返りのない努力と愛情をそそぎ込む」からだろう。
つまり社会的な仕事は、たとえそれがボランティアでもその価値は社会で必ず評価される。
一方子育ては、やって当然。
誰からも「頑張ったね」「凄いね!」なってことは言われないのである。
その割には膨大な時間と愛情をそそぎ込む必要があるのだ。従ってそこで女の人は悩み葛藤し何時しか悟るのだろう。

 やはり子育てを経験するとしないとでは人生の見方にはかなり差が出てしまうのは確かだ。もし子供が出来なくても養子を取るとか、はたまた動物を育てるとか、自分以外の生き物を育てることに時間を費やすことは決して無駄にはならないはずだ。
その行為に目に見える見返りはないけど、子供や生き物を育てる時間の流れの中で、沢山の宝物をきっと発見するはずだ。それは一瞬心の奥底にともるロウソクの光みたいなもので、しみじみと浸みる暖かさを与えてくれるだろう。

 さて、今度は何故子供を沢山産まないのか?
・子供が増えるとお金が必要となり、新車が買えなくなるから
 (中にはこんな夫婦もいるだろう)。
・自分の時間が無くなるから。
・体の線が崩れるから。
 (うーん、年をとれば多かれ少なかれ生物的な肉体の運命は同じ道をたどると思うけど)
それと結構大きな理由だと思えるのが、産婦人科が儲け主義に走っていて、産みの喜びがあまり味わえないこともある。

 大病院での出産は、家畜の出産より効率的に処理されていく。これは事実だ。
これじゃ女の人はたまったもんじゃないと思う。こんな非人間的な扱いをされて子供を産むなんて、「二度とごめん!」って思うのも当然だ。僕のかみさんは近くのA産婦人科で二人産んだが、その医院は良い意味で自然体の出産が出来る。
逆の意味で言えば、異常出産(多胎妊娠等)の場合は危険かもしれない。

 でもこんなことは事前にわかるのだから、その時は設備の整った病院に移ればいいことだ。
僕は普段着姿で二人の子供の出産に立ち会った。一人目は陣痛が始まってからまる一日つき合った。二人目は、60分程度、まるでウンチのように簡単に終わった。

 どっちも僕には一生忘れない出来事だ。また産まれてすぐに子供達が見た人間の中に僕がいるってことは、将来影響が出ると思う。根拠はないけど・・・直感だ。
まだ経験のないお父さんは是非つき合うべきだ。

 おくさんも「こっぱずかしい」なんて思わないで、つき合ってもらってみてください。
マンネリした結婚生活が、また活性化するかもしれませんよ。
まあ、それは別として生命誕生のドラマ、一度は観ておくべきだと思う。
そんなことで僕は3度目の生命誕生を観るのをいまから楽しみにしている。
「それにしても人生、思わぬことが色々あるものだ」と思うのでした。
では、また。

-----------
誕生 3人目!
 3月4日朝、僕は京浜東北線のなかで3人目の出産について考えていた。
「一体何時産まれるのだろうか・・・」
実は昨日が予定日だったのだが、産まれず。診察の結果どうもかなり遅れそうなのだ。
そんな事情で当然のことながら妻と子供達は妻の実家にあずけている。従って今日は、朝一人で起き、朝食を食べて僕は会社へ向かっているのだ。おそらく出産後も何週の間は妻と子供達は実家にいると思う。どうやら僕は当分一人暮らしだ。でも心配無用だ。稼ぎは悪いが、その分家事をやる男なのだと勝手に思っている。

「それにしても何時産まれるのだろう?」
そんな宙ぶらりんの精神状態は本当にいやだ。
そんなことを思っていたら突然胸のポケットでバイブ(勘違いしないように携帯電話だ)が、電話にでると妻だった。この頃から携帯電話が普及し始めた。

「陣痛が始まったの」
なんだいきなりフェイント攻撃だ。参ったな。でもしょうがない。とりあえず僕は会社へ向かった。
僕は帰宅後、仕事に後追いされないように最低限の処理をしてから、会社を出て、自宅に向かった。時間は午前11時だった。
僕の自宅(団地)は妻の実家から車で10分程度なので、一度自宅へ帰ってから車で実家に向かい、妻を拾って病院に向かうことにした。
「さて、忙しいぞ」と思っている僕の頭の中をあるメロディが繰り返し響いていた。
・・・Automatic・・・・だんご三兄弟・・・・。

 結局僕は、帰宅途中、何故だか『宇田多ひかる』のCDが欲しくなり、CD屋へ寄ってしまった。
発売されている12インチCDを2枚買う。その後マックでチーズカレーバーガーを2個とアップルパイを買う。家に到着した時間は午後1時だった。
まずは腹ごしらえと、僕はお湯を沸かしてコーヒーをいれ、カレーバーガーにかじりついた。
「うっ、まずい」
と思っていると電話が鳴った。妻からだった。今度は陣痛が15分おきくらいになったそうだ。
僕は半ばやけくそでカレーバーガーを飲み込み。急いで妻の実家に車(未だにレガシィ)を走らせた。

 実家には、妻と最近子供を産み、里帰りしている妻の妹と2人目の子供の娘1しかいなかった。
それと発売日前日なのに何故か「だんご三兄弟」のCDがダイニングテーブルの上に置いてあった。
「うっ、聴きたい」
それにだんごもある。
「うっ、食いたい」
結局食い気だけは我慢できず僕はあまからだんごに食いついた。
「うまい!」
カレーバーガーの数倍うまい。日本伝統の技と味は素晴らしいのだ。

 そんなことをしているうちに、ついに陣痛が10分おきになってきた。通院している産婦人科は何度電話をかけても話し中だ。妻は1時頃から何度も電話しているが話し中だと言っている。今はすでに2時をまわっている。1時間以上も話し中ってこともないはずだ。おそらく電話機の故障だろう。とりあえず妻とお産入院グッズ一式を車に積み込み僕は病院へ向かった。

 病院についてみると、やはり電話の故障だった。それもNTT側の問題らしい。NTT儲けているからってなめんなよ。
さて診察を受けると先生は
「後1時間で産まれるね」と軽く言った。
おおおおーっ、また速い。2番目の時も速攻出産だった。今回も同じようだ。30分後僕と妻は分娩室へ向かった。僕は普段着姿で分娩室へ突撃だ。

 3回目ほぼ4年ぶり(甲子園の出場校みたいな感じだ)の分娩室だ。毎度ながら消毒液の臭いが強い。気分も落ち着きこれで僕も準備が整った。
「いつでも来い」
とそんな気分の切り換えもなく、
「あららら」
今度も簡単に『コンニチワ赤ちゃん』だった。今回産まれた赤ちゃんは前の二人よりやや大きいめ目。それに元気よく泣いている。
「よかった。よかった」
これで一安心だ。性別は予想通りに女の子だ。大きさは2850g。
ともかくやっと3人目の子が産まれたのだった。

 妻の実家に電話すると、妻のお母さんがでた。
「産まれたよ」と言うと。電話の横にいた子供達が
「やったー、やったー」と叫んでいたのが電話越しに聞こえた。お前らはいい。騒いでいればいいんだから。僕はこれからの事を考えると・・・ちょっと大変だろう。

 僕は電話を切り、妻の横に1時間ほど付き添ってから、病院の外に出た。もう日が暮れていた。それに昼過ぎから吹きまくっていた春一番がまだ続いていた。
そんな暖かい風の中に春の香がした。ほのかな梅の花の香だ。僕は少し幸せな気分で車へ乗り込んだ。

 3日後、命名「娘2」と一人自宅のダイニングテーブルの上で清書した。
続く。

-----------
春一番
 春一番が吹いた3月4日。僕に3人目の子供が産まれた。
これで犬を飼えれば6人家族となる。これは、よくアメリカ映画で見られるフォームドラマの基本的な家族構成だ。大体スピルバーグの映画の場合はこれで片親の場合が多い。おそらくこの設定は彼のトラウマ(片親)が影響しているのだろう。
まぁーっ、なんちゅーか、ともかく家族は多いほどいい。

 渡る世間に子供は少ない。だから子供達はキョウダイが多いことをラッキーと感じるべきだ。またすぐにそんな時代が来るだろう。
そう考えると「だんご三キョウダイ」の流行も必然的なことだ。
僕が子供の頃と比較して、見渡せば一人っ子がいかに多いことか。一人っ子。家に帰れば常に親しかいないなんて、子供にとっては息がつまる状況だろう。
最近の子供とか、親はそう思わないのかなぁ?どうなんだろう。

 子供の頃、僕は親に溺愛されている一人っ子が羨ましかった。特に何でも頼めば買ってもらえることが羨ましかった。
でも今じゃ、そんな特典があっても可哀想に思える。哺乳類、特に類人猿はその成長期にキョウダイとか同い年の友達が沢山必要なのである。それはお金とか玩具では補えないのだ。世紀末に向かって、豊かさと人間の業という意味をもっと考えていく必要がある。 世界は一つ、でも日本は一つしかない、そして故郷も一つなのだ。そこに幼い頃に生活をともにした親とか兄弟、友達、自然があるのだ。

 そう考えるとここで言っているような、そんな故郷が毎年減少している。
特に子供達が身近な生物に触れる場所がますます減っている。これは大きな問題なのだ。
子供達はまず初めに身近な生物、虫とか魚とかに触れる。そして色々な好奇心と興味が湧き出るのだ。生物の不思議に触れること、これが科学する子供達の最初のアプローチなのだ。この身近な生物への興味が、子供達が大きくなるにつれて、物理、化学、電気と基礎科学への興味や探求心へと移行していくのだ。

 同じことを、あの有名な寄生虫研究の大家も言っている。
最近の日本の理工科の教育レベル、学生のレベルが他の国と比べて著しく落ち込んでいる理由が、おそらくこんな所にあるのだろう。
身近な自然は科学する心を育てる。これは決してTVゲームとかパソコンとかでは得られない力なのだ。

-----------
少子化対策
 少子化対策、私の家はもう十分対策している。でも対策は凄く大変です。
これって理解できる?
今どき3人以上も子供を持つ夫婦は少ないから、わからないと思うけど。こればっかりはやってみなければ分からない。本当に自由な時間がなくなるよ。

 特に妻はもうおかさん以外の事はやる暇がない。どんなに美人でスタイルがよくって、性格がよく。さらにSEXが上手でも。おかさんになってしまう。これは残念だ。
でも子供が1人くらいなら、ママ程度ですみ。昼間は変な商売可能かもしれないけど。

 一方親父はおっさんになってしまう。金がいるからとにかく働き。運動不足でデブになり。娘には「お口臭い」と言われ。妻から優しさや、Hは期待出来ない。だからと言って自腹でオネーチャンを相手にするほどの器量はない。

 つい素人のガキを相手にして、ど壺にはまる。しかしそれを乗り越え、自分を鍛えていけば独身男よりは、かなり逞しくなるか、もてる可能性もある。
・・・・と男は結局お気楽なのだった。でも妻も子育てを乗り越えた後、趣味とかにスポーツに簡単に集中出来るのだ。

 特にスポーツは子育てに比べれば、楽勝。テニスクラブやスイミングスクールに行けば分かるが、おばさんは相当なレベルで練習している。そこいらの若い子などぜんぜん敵わないのだ。昔たけし軍団がママさんバレーに挑戦して大敗していた。親父相手の草野球では無敵に近い、お笑いスポーツチームだったが、子育て終わったおばさんにはかなわなかったのだ。

 そう言えば友達家族なんていう親離れしない30歳過ぎても、まだ子供と親が暮らしている変態家族ではこの種の猥雑さと爽快さ人間くささは、きっと理解出来ないだろう。
なんちゅうか大人になっても親と暮らすなんて、家が大きくて、大家族でがんがんうるさい、ともかく忙しいという昔の家庭ならいざ知らず。おとなになってから親二人、子供1人で、お互い向き合って生活するなんて、ちょっと耐えられない。

 私が思うにこんな家族の彼や彼女と結婚すると、きっと苦労します。なんたって親が100%過干渉中だから。もしアナタが結婚相手を探すなら兄弟の多い人がベストです。親も子供が3人いれば干渉率は3当分、おそらくそれ以下です。

 少子化対策をすれば結婚後もうまくいく。さらに子供が増える。いい方向に行くのです。 それとせっかく子供を作るなら。
「よーし、これなら出来るだろう」こんな感じで作りましょう。
「え?記憶がないよ」これでは悲しすぎる。(俺だ)

-----------
4年連続の芋掘り
 今日は2番目の娘1の幼稚園で芋掘りと父親参観があった。
梅雨空の小雨の中で、ジャガイモを15kg以上収穫した。このイベントだが、長男の息子も同じ幼稚園だったので、さらに息子は今年の3月に卒業したので、年少の頃から今年で連続4回目だ。娘1は今年少組だから少なくとも後2回続くのである。

 初めて見る娘1の幼稚園での様子だが、比較的静かで、じっとしている。でも、その間ぼけっとしているわけではなく。きちんと先生の言動とか周りのお友達の動きとか言葉を観察してしっかりと記憶しているのだ。そして時折家で、幼稚園の授業の様子を事細かく話。びっくりさせられる。

 今回の授業参観の内容は塗り絵だったが、娘1は色塗りが丁寧だった。
色の使い方もセンス的には大人の感覚に近い。やはり2番目だからなのか?
また息子と違い周りがよく見える娘1は、幼稚園でも、大きな失敗などはなく、うまく生活しているようだ。ただ、自宅で遊ぶ時、何時もお兄ちゃんと一緒で、近所に同年代の女の子がいないのか、それとも性格か、お友達と遊んでいる姿が見られなかったが少々気になった。

 家の近くの公園で遊んでいても、息子の友達だから、大きいし、遊びが合わないので、結局一人ぽつんと、は皆が遊ぶ姿を見ている娘1。そうでないときは一人で砂遊びをしていたりする。そんな姿を見ると可哀想だなぁと思って、「一緒に遊ぶか?」と僕が近づき声をかけると、「お父さんはいいの、あっち行って!」と言われ、クソ、こいつは、性格だ。気が強いだけだ。なんて思ったりするのだった。

 さて話は変わり芋掘りの前日は、息子の行く小学校、1年1組の父兄参観があった。
つまり今週末は土日に父兄参観が立て続けにあったのだった。
そして、その両方の父兄参観に出て感じたことは、3歳の幼稚園児のクラスの方が皆席に座って、しっかり先生の話を聴いていたのに比べ、息子の1年のクラスは、2,3人がうろつきまわり、私語も多く、半分授業になっていなかったことだ。これって小学1年生は3歳児より馬鹿なのか?

 聞くところによると息子の小学校は保育園出の子が多く、保育園では子供の躾はしない。集団授業もしない。だからきちんと授業が聞けない子が多いのだろ。
さらに、「ひらがな」もすでに読める、書ける、「足し算引き算」も出来る。そんな子にとっては、授業が退屈すぎる・・。

 これで何故最近多くの小学校で学級崩壊が起こるのか、おぼろげに理解出来た。
ずばり間違った平等主義、横並び主義が原因だ。それに合わせた文部省が推進する授業の幼稚化が、さらに先生と生徒を駄目にしている。
ただ、色んなことで劣等感とか差を感じて、落ち込む子供を横目で黙って見て、それとなく励ましたりするのは、親にとっても大変苦しい仕事だ。
でも、そうやって悩み頑張ることがいい教育なんだよね。悩まず、頑張らず、苦労せずそんな教育を目指しているのかねぇ。
そんな訳で、何らかの手を打ちたいと考え中です。

1歳のコロ(柴犬





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?