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ボケ防止のため絵絵を描いてみた・・3

パート3 
  2023年も12月21日となり、後10日で年末だ。
私はこの時期に年賀状を書く。この習慣も何時までつづくのだろうかと心配になる。
年賀状は、1年間会う事が出来なかったが、私は元気にやっていますとう報告だと思う。手紙を書きそれをポストに入れる。その行為を思い浮かべる。生きていれば遊べる可能性もある。

 かなり前はメールで済ます人がいた。メールは流石に読まないと終わりだから年賀状向いてない。と言うかもはや年賀状ではない。年賀状は手紙の事を指すから、年賀メールとなる。
少し前から、SNSで済ます人も増えた。これも年賀LINE 年賀FBとなる。

 老人になると人と関わる意欲が消えていく。これは男性ホルモンの減少によるものだ。 
その影響か、年賀状終いをすると追記のある年賀が増えてきた。
そう言う引退宣言は棺桶にまっしぐらだと思う。
その後消息も忘れ去られて、死んでも誰も葬式にも来ない。
まあ、人の考えはそれぞれだから、私にとっては問題はない。

 さて、写真と絵だが、今回は人物も描いている。生き物は難しいね。
ちなみに色に関しては12色の色鉛筆だけをほぼ使っている。

No,7 鉄塔中富線
 私は鉄塔の立ち姿を見るのが好きだ。だから写真もよく撮る。
多摩地区に住んでいると原風景として、鉄塔と大空を飛ぶレシプロ飛行機がある。
多摩地区を舞台にしたジブリ映画「耳をすませば」でも鉄塔が多く描かれている。
 そんなことで、常に上を向くので、たまに首を痛める。

 この絵は、家の近くに広がる畑の先に鉄塔(中富線)が続く。
ここは夕焼けの中で、鉄塔とシルエットになった富士山が見えるポイントだ。鉄塔好きには最高な場所だ。

富士山は左側に見える

No,8 富山 五箇山
 今年の1月に訪れた富山の五箇山集落、白川郷と同様に世界文化世界遺産だが、ここは合掌造りの家に泊まる事が出来る。
今回、10年ぶりに泊まった。この家は築400年近く経つ、この集落で最も古いものだ。
ちなみに雪は例年より少なめだった。

この日は気温が異常に高かった

NO,9 天草海峡 シーカヤック
 今年一番の瞬間は、天草海峡 島原半島が見える鬼池でのシーカヤックだ。家族、息子を除いた4人でその海を漕いだことだ。この地は祖父の生誕地でもある。
遠くに見えるのが島原半島、隠れキリシタンが天草四郎と闘った場所だ。

36度あり、過酷。

No,10 天草 大江教会
 天草は海岸線も含めて、空と海のコントラストが際だっている。特に高台にある大江教会は素晴らしい。
島原半島を渡れば長崎、そこと同じで異国情緒溢れている場所だ。

インディゴブルー

No,11 スケートボード
 最後はスケートボーダー。2023年のボーダーの絵だ。
水性ボールペンで下書きなしで描く。色はラインマーカー。
私は、1975年、ウイールとベアリングが改良された時代の境目からスケートボードを始めた。20代の前半までやっていた。

当時のZ-BOYSの伝説

Z-Boys ロン毛とワイルド時代

  その後長い空白期間を経て、ペニーボードが流行した頃だ。
娘が滑っているのを見て、この手のボードもあるのだと再考した。
この時代はストリート系のボードだらけで、本来の滑るボードではなかった。
これならオールドスクールとして恥ずかしくない。そう思ってまたは始めた。
今はカービングが楽しいサーフスケートをやっている。

オシャレになった。


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