見出し画像

雀のメモ帳 もう一つの老化 イメージと動きのズレ

登山事故
 中高年に登山が流行っている。私も色々スポーツをやっており、トレランまでやっているのに登山には手を染めてなかった。
私みたいな雑な人間には不向きだと思っている。それでもここ数年ぼちぼち山を歩いている。

 5月、初夏、登山シーズンには良い季節だ。そして何時ものようにニュースとなるのが、中高年の登山事故だ。嫌がらせのようにニュースでアップされる。
でも中高年の登山事故はやはり多い。事故の可能性は若い子より何倍かはある。どんなに体力も動きも抜群な中高年でもその可能性は高い、その理由を考えてみたい。

フレイルとサルコペニア
 最近、よく聞くカタカナだが、ウンザリするほどメディアの記事はカタカナを使う。私はカタカナを覚えるが苦手だ。
大体間違えて覚えている。恣意的でもあるけど。こんな感じだ。

 フレイルをフレイア(太陽黒点か)、サルコペニアをサルスベリア(サルスベリの新種か)
だから真面目に話している時、大恥をかくし、妻が苛つく。
「わざとでしょ!」

 実際日本語での意味、フレイルは老人の虚弱状態。
サルコペニアは老人の物理的な体力低下だ。

そしてもう一つ気になる言葉が加齢だ。
この加齢とはなにを指すのだろう、加齢=老化としている文章が多い。
1才から5才になってもそれは加齢だろう。

 「高齢者のフレイルやサルコペニアの原因は加齢による」
「高齢者の虚弱状態、体力低下は老化による」でいいんじゃないか。
さて本題だが、老化に関して、これ以外でもかなり危険な状態がある。

身体能力の老化
 私は若い頃から継続して色々なスポーツをやっているので、体の変化には気づきやすい。
最近のスポーツ選手は動画で自分の動きを客観的にみて、トレーニングをする。間違った動きを続けても上達はしない。

 スポーツの動き、大体において自分のイメージとズレがある。
私は老化にともないそのズレを無くしていくような練習をしていた。
だから、何もしてない人より、自分のイメージと実際の動きのズレには気づきやすい。

動きのズレ
 モノを無意識で掴むとき、5mm以上ずれるとモノを落とす。そんな事が増えている。
「俺もやばいなぁ」と思いつつ、動作の速さを少し緩めて、確実に掴むようにする。

 家の中を動いて、柱に肩をぶつけることがある。障害物を避け切れてない。階段でつま先が階段の角に触れる。足を上げるタイミングが少しズレてる。最近では意識してイメージより動作を大きくしている。

 神保町で歩いている時だ。前から歩いてくるシニア(爺さん)がいた。
登山やランニングでもやっているのだろう、がっちりした体格で大股でずかずか歩いている。 

 そのシニア(爺さん)に思い切り肩をぶつけられた。そのタイミングで私は軽く避けたのだが、そのシニアは全く動けてない。少し肩を引けば当たらないのに全く動いていない。
これは危険な状態だ。山や自然の中では事故を起こす可能性がある。街中でも階段で転ぶ可能性もある。

 よく登山経験豊富な高齢者が、どうしてこんな所でという場所で滑落することがある。この要因の一つがこの感覚のズレだ。
何時もと同じ動作でも、実際には足を置く場所が1cmのズレる。これで滑落する。この感覚のズレを認識することが大切だ。

 脳のイメージする位置と体の動きのズレは、反射神経とか運動神経、体力とは全く別なものなので、「えっ、あの人が事故」という話になる。

 体力もある私にとって、一番心配な老化が、このような脳のイメージと体の状態がズレることだ。これを老化として認識してない人が多い。
1日2万歩いていも、足を挫いたり、段差で転んだりする。

老化とは 
 まず前提として老化とは何を意味するのだろう。
老化とは人が成長・発達を続けて成熟期を迎えた後に衰退し、死を迎えるまでの自然な変化のこと。

 人の細胞は3ヶ月ほどで全部入れ替わる。そのとき入替が上手く行かない細胞がゴミとして残る。この細胞が増えることが老化だ。
どうしてゴミが溜まると老化なのか、結局老化のメカニズムは非常に複雑でわかってない。

 もし、解明されていれば老化を遅らせるような医学的処置を人はするに決まっている。つまり人は自然であって、老化も死もコントロール出来ない。
養老孟司の言っていることは正しい。
人は自然だ。 人は米だ。

老化は人だけの問題
 「なぜ人だけが老いるのか」の著者小林武彦さん曰わく、老化するのは人だけ、ほとんどの野生動物は「ピンピンコロリ」の状態で死ぬ。だから老いた野生動物はほとんどいない。動物園にはいる。

 老いた野性動物は何の役にも立たない、よって直ぐに死ぬ。
一方、人は生活に忙しい若者の代わりに、老人が子育てをになう。だから老化しても生き残るそうだ。そんな説もある。

 それが進化の理由なら、少子化の今、老人は不要となる。
それと繁殖しない若い個体も不要となる。となると少子化には歯止めがかからないことになる。人は自然の摂理に従って生きる。
その将来の結末がおそろしい。

黒い雲につつまれ、なにも見えなくなる。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?