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馬籠宿から蓼科高原 豪雨の狭間で その2 旧友との再会 セラミックパークMINOから土偶

旧友との再会
 馬籠宿から車で、中津川沿いのホテルへ移動する。近所なのたが、通行止めの道が多く遠回りをした。
ホテルにチェックイン後、大学時代の友達が既に来ているので部屋を尋ねる。既に飲んでいた。俺にはわかる、その気持ち。
「久しぶり、まあビールでも」と勧められて、私も飲む。

 彼、ドウヘイとは2019年、パンデミック前に御茶ノ水のスペイン料理屋で飲んだ。それ以来の再会だから5年ぶりだ。
部屋でビールを飲み、そのまま夜の食事へなだれ込む。妻も加わる。

割烹 

ドウヘイの話
 酒を飲むにつれて色々な話をする。知らない事も多い。
ドウヘイが卒論を書かずに、ヨーロッパでバックパッキングの旅をしていたのは、初めて聞いた話だ。

 私は4年生になった4月、モトクロスレースで大腿骨を骨折し、何ヶ月も大学を休んだため、後期の授業において、夜学の授業も受けて、必死に前期の出席不足分を取り返していた。

 しかし、実習は一人では出来ないので、友達に手伝ってもらっていた。その友達は2度目の実習なので。そのままレポートを見せてもらっていた。

 話は長くなったけど、つまり大学4年の後半、私は自分の事で忙しく、彼が一時期日本にいなかったことは知らなかった。

  さて、その旅行中、彼は何かの?影響で、帰国出来なくなったという。
「それって、1981年だろう。それでどうしたの」と私が聞く。
「電話をするため、何とか英語圏へ移動して、研究室へ電話したよ」
「それで」
「電話すると、○○君か、まぁ大丈夫だよ、論文は共作だから誰かが君の分も書いていると思う」と教授が言う。
そして卒論は、優秀な友達頼みとなり、ドウヘイは全く書かずに卒業した。

 「それも凄いなぁ、でも俺も似たようなものだ」
当時の大学生は、教授、友達に頭を下げて、物事を頼むことが出来た。
今なら、
「何とかさんがインチキしてます」
「それはコンプライアンス違反です」
「えこひいきです」
と、ねちねちと告げ口され、何処の誰だか知らない人々達により、SNSで炎上する。

 当時は人間に対してある程度寛容だった。それが今よりもいい時代だったのか、悪い時代だったのかは分からない。
それは江戸時代と令和時代の比較と同じで、その時代に生きてないと良いも悪いも関係ない。

6月28日 
 朝から雨、ホテルから見える中津川もかなりの水量だ。
今日は多治見まで向かう。距離は50キロ位ある。意外と遠い、運転は妻に任せた。

土砂が混じる

セラミックパークMINO
 まずは建築が有名だ。
愛知と岐阜を跨ぐ山中、建築家・磯崎新さんがその地形を活かして作り上げた建築。

磯崎新
通称「建築界のノーベル賞」ことプリツカー賞を獲得したことでも知られる巨匠、日本だけでなく、ロサンゼルス現代美術館、ブルックリン美術館など、60年以上を日本国外でも活躍し、世界中から知られている。

 この日は運悪く豪雨だったので、外観を見学しなかった。
しかし、エントランスの長い回廊は雨でも美しかった。

セラミックパークMINO 回廊
セラミックパークMINO エントランス
雨だ!

 私は、磯崎新さんと同様にプリツカー賞を獲得した安藤忠雄さんの石川県の某建築の情報設備の設計施工を受けた事がある。

 その後、仕事柄、建築を見るため国内外を回っていた頃があった。私は情報設備、設備設計をしていたが、建築もアートも好きだ。

安藤さんらと直島でのアート展を見る

安藤忠雄さん、精力的な時代

リサ・ラーソン展
 セラミックパーク内の「岐阜県現代陶芸美術館」での特別企画展は、
リサ・ラーソン展
彼女は今年の3月11日に亡くなったそうだ。この時知った。
スウェーデン人のこの方の作品の多くは愛嬌のある可愛いさがある。個性的な陶器作品だ。
日本のとぼけたキャラと同じ様に親和性が高い。だから日本でも人気もがある。

 私は楽しんで見て回った。展示作品は多かった。
デフォルメが愛嬌のある形となっている。どうしたらこうなるのか不思議だ。

見ているうちに尖石遺跡の土偶を思いだした。
「なにか共通点があるのでは?」

リサ・ラーソン展
ハリネズミ
ライオン
ネコ

土偶
 実は、今年の5月、茅野市の尖石考古学館において、私は沢山の土偶を見ていた。それは考古学価値もあったが、アートとして楽しめた。
感化された私、自宅に戻ると、オーブン陶土で5体の土偶を作成してみた。

自分の作品 豊作を祈る土偶

祈る土偶達
隣のハリネズミはスウェーデンのゴットランド島のもの

窯元織部総本店
 セラミックパークを見学した後、妻の希望で窯元織部総本店へ行く。
併設してオシャレなカフェがあったので、そこでお昼とする。後は少し織部焼を買う。

窯元織部総本店
カフェ

 料理を載せた1枚目と2枚目の写真の器は、ここ織部本店で購入したものだ。
ちなみに料理は妻が作っている。3枚目、4枚目の写真も妻の料理と最近購入した器だ。

 子供が巣立った今、爺さん(私)の飯を作る気持ちがなくなりつつある妻。そこで妻は器や盛りつけで、料理の満足感を得ているようだ。

 私は、雑な性格なので料理は下手だ。本人もやる気がない。妻が料理をしてくれるなら器は増えてもいい。安いものだ。
これを読んだら怒られそう。

 酒はちこり焼酎だ。まろやかで甘い焼酎。初めて飲んだ。
岐阜の中津川では、「ちこり」という野菜が栽培されている。
その根っこの芋から作った芋焼酎がちこり焼酎。

料理は妻 酒はちこり焼酎
同様
妻は料理上手だ
お昼 マグカップは天草の高浜焼

「織部 」「織部焼」は、今から四百年程前の桃山時代に、茶の湯と共に花開いた美濃の窯(岐阜県東濃地方)で焼かれた陶器のうちのひとつで、美濃焼の一種 。

 一般的には 銅緑釉 どうりょくゆう (銅により緑色に発色する釉薬)を施した陶器をさすことが多い。黒釉を掛けた織部黒や銅緑釉を掛けていない絵織部などもある。

蓼科へ
 豪雨の中、中津川インターから諏訪インターまで中央高速を走り、蓼科のホテルまで向かう。距離は180キロあった。かなり緊張した運転を3時間続けて疲れた。
道に迷ったが、なんとか18時頃に到着した。

VILLA B&B HOTEL 翌日晴天

 既に夕食の時間、急いでホテル近くのイタリアレストランへ電話すると、まだ大丈夫だったので歩いて向かう。
そこの前菜が思いもよらず美味い。ワインはカリフォルニア州のジンファンデルの赤を飲む。

IL PORTO 翌日は何故か晴天
前菜 信州牛ランプの炭焼と水牛のモッツレラチーズサラダ風
ジンファンデルの赤 イタリアだとプリミティーヴォ

本日終了。
美味くってゴメン。 
その3へ続く。蓼科湖からのハイキングコースを調べる予定だ。


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