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モータサイクルの物語

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15才から30才までオートバイに青春をかけていた時代の話がメインとなる。つまり昔話だ。
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何度も読んだバイク漫画 「ケンタウロスの伝説」に関わる話

バリバリ伝説  バイク伝説の漫画としてはこちらが大人気だった。1983年から1991年少年マガジンで連載されていた。 この時期、私は既にモトクロスライダーとして活動していたので、漫画にはそれほど興味がなかった。特に始めは峠の走り屋の漫画だったので読む機会がなかった。 一方、興味津々のバイク漫画一つあった。 ケンタウロスの伝説 作画 御厨さと美 原作 大竹おさむ  『週刊プレイボーイ』(集英社)に連載された(1981年) 現在、2冊セット15000円くらいで売られている。

モトクロスの今

爺さんのつぶやき、ぼやきかなぁ。 「モトクロスバイクで、アクセル全開で走りたい、バンクで、後輪が土をつかむ感覚と、飛び出すときの気持ちよさ」 「でも、あの負荷には耐えられないだろう、ジャンプ後、腰が曲がる・・」 1970年代後半から1980年代、オートバイブームがあった。 暴走族から走り屋、耐久レース、モトクロス、エンデューロ、日本でもスパークロスが開催されて、ゴールデンタイムにテレビ中継されていた。 オートバイと青春 1979年頃から1984年まで、このブームの中、私も

進駐軍モータサイクル・クラブ

 進駐軍モータサイクル・クラブ  昭和59年刊行 1984年 1954年、進駐軍のアメチャン(兵隊達)が横田、立川、調布ベースで、モーターサイクルを乗りましていた。 日本も、この頃になると戦後復興しつつあった。国産のバイクメーカーも元気になっており、近所の若者やおっさんらが、なけなしのお金でバイクを買って、乗りましていた。遊びのバイク。豊かな時代になりつつあった。 そんな、日本の50年代、日本版アメリカングラフティーの記憶として貴重な写真が満載された本だ。よく集めたと思う

バート・マンロー              スピード神に恋した男

 バイク乗りが伝説だった時代のノンフィクション。 1台のバイク、その最高速度に生涯をかけた男。 バート・マンロー、彼が1971年、78歳で亡くなるまで続けた1920年製のインディアン・スカウトの改造と最高速度への挑戦。 このビンテージバイ、当時は時速80キロ程度しかでない代物。 そんな古いバイクを自力で改造を続けて、最高速度に挑み続ける破天荒な人生物語だ。 そして最後は世界最速を記録する。時速300キロを越える。諦めることをしない。とんでもない爺さんだ。 映画 「世界最速の

モトクロス熱狂時代

写真を発見 子育ても、家のローンも、昭和の男としての全てが終わり、会社もようやく退職できた。 俺は自由だ! 「ちょっと待った!」 「ん?」 「緊急事態宣言の延長です」 「またかよ」 令和オジサンが暗い顔して総理大臣となり、その雰囲気が時代となっている。そんなぱっとしない日々、今後に備えて、自宅で断捨離を続けていた。 何でも押し込んでいた屋根裏部屋を整理する。すると懐かしい20代の頃のフィルム写真が出てきた。 デジタル写真の普及は21世紀からだ。私達の場合、40才くらいまでは

風に吹かれて (俺のオートバイ3) ナナハンとの別れ、オフロードバイクとの出会いがバイク人生を変える

1975年7月 朝遅い時間、京王線の各停電車の窓は全開だった。冷房車は急行などのごく一部に限られていた。 生暖かい風と夏草の匂い、たまにモーターの焼ける匂いが窓から飛び込んでくる。私は新宿の予備校に向かっていた。 「ねぇ君、ロック好き?」 予備校の隣の席に座っていた背の高いロン毛で丸い眼鏡をかけた男が話しかけてきた。(ジョン・レノンか) 私もロン毛で一見優男(やさおとこ)だったので、同類と思ったのかもしれない。 「好きだけど」 「ふーん」それで会話は終わり。授業中だからしょ

風に吹かれて(俺のオートバイ2) スーパーカブは昔からスーパーバイク。

1969年夏  この時代、学生運動が過激に拡大していた。大学のロックアウトは日常的、日比谷高校など偏差値の高い都立高校もロックアウトが始まっていた。 そんな世界とは無縁に、中学校1年生の私は、サッカー部のつらい練習に毎日明け暮れていた。 夏休み、サッカー部の練習後、1年の私達はグランド整備や用具整理などで、午後も遅くなっていた。 私とHくんとOくん、疲れ切った状態で学校の裏門から下校。とぼとぼと歩くHくんがしゃべり出した。 「あのさぁ、今日さぁ、俺さぁ、いいもの見つけたんだ

風に吹かれて(俺のオートバイ1)

オートバイが青春の一部だった頃、私の気持ちは迷走していた。そんな時代を共に過ごしたオートバイの話。 1975年夏 高校を卒業した1年目、私は浪人という立場であった。時代はベトナム戦争の終結とか、赤軍派の活動など、荒れ狂っていた時代に突入していた。 しかし、世間がどうなろうが、私は貧乏なアルバイトをする浪人であった。 そんな7月末の晴天、梅雨明けの朝、夏のオゾンを含んだ南風が窓から吹き込んでいる。 私はこの風でいてもたってもいられない気持ちってしまった。 とにかく悩まし風