「である」調と「です・ます」調を比較してみた。
私はnoteに記事を書く際は基本的に「である」調である。今日は「である」調と「です・ます」調について感じたことを述べ、しかも両者を並べて書いてみた。ちなみに「です・ます」調はカジュアルな口語体で書いてみた。
私はnoteに記事を書く際は基本的に「である」調です。今日は「である」調と「です・ます」調について感じたことを述べ、しかも両者を並べて書いてみました。ちなみに「です・ます」調はカジュアルな口語体で書いてみました。
私の基本は「である」調だが、「である」調は堅苦しい印象を受ける。それならば「です・ます」調で書けばいいのだが、何か「です・ます」調は気恥ずかしいのである。
私の基本は「である」調ですが、「である」調は堅苦しい印象を受けます。それならば「です・ます」調で書けばいいのですが、何か「です・ます」調は気恥ずかしいなあと思います。
特段堅苦しい印象を読んでいる人に与えたいわけではない。しかしナヨナヨっとした印象を与えたくないわけでもない。
特段堅苦しい印象を読んでいる人に与えたいわけではありません。しかしナヨナヨっとした印象を与えたくないわけでもないんですよー。
恐らく自分の中に、夏目漱石を代表するような近代文学に対する憧れがあるのかなと思っている。特に私は近代文学を多く読んできたわけではないが、それらを読むと表現の豊富さに目を奪われ、日本語っていいなと思わせてくれる。
恐らく自分の中に、夏目漱石を代表するような近代文学に対する憧れがあるのかなーと思ったりしてます。特に私は近代文学を多く読んできたわけではありませんが、それらを読むと表現の豊富さに目を奪われ、日本語っていいなと思わせてくれるんですよね。
日本語は表現において便利な面もあるが、きちんと文法を操ることが難しい。
日本語は表現において便利な面もありますが、きちんと文法を操ることが難しいです。
例えば英語でも語源がラテン語などの外来語を多用すれば堅苦しい表現になるが、日本語ほどの表現の自由度は恐らくないだろう。
例えば英語でも語源がラテン語などの外来語を多用すれば堅苦しい表現になるんですけど、日本語ほどの表現の自由度は恐らくないでしょうね。
やはり、この「です・ます」調や「である」調の選択を悩んでいる場合ではない。(日本語話者の自画自賛だが)このように表現の豊富さに長けた言語が私の第1言語になっていることを誇りに思い、もっともっと日本語で表現していかなければ。
やはり、この「です・ます」調や「である」調の選択を悩んでいる場合ではありませんね。(日本語話者の自画自賛ですが)このように表現の豊富さに長けた言語が私の第1言語になっていることを誇りに思い、もっともっと日本語で表現していかなければと思っていまーす(^^)/
いかがだっただろうか。「である」調を「です・ます」調にするだけでかなり柔らかい印象になってしまうことを改めて気づかされた。カジュアルな口語体というのも難しいものだった。だが、とりあえずなれるわけもない夏目漱石のような文豪に私もなりたいので、当分は「である」調を続けていきたいと思う。
いかがでした?「である」調を「です・ます」調にするだけでかなり柔らかい印象になってしまうことを改めて気づかされましたねぇ。カジュアルな口語体というのも難しかったです。ですけど、とりあえずなれるわけもない夏目漱石のような文豪に私もなりたいので、当分は「である」調を続けていきたいと思いますっ!(>ω・)テヘ
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