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第10回『否定と肯定』――「証明不可能」の悪用

 ミック・ジャクソンという監督が2016年に制作した『否定と肯定』という映画を観た。

 ナチスドイツの行ったホロコーストの否定論を唱えたデイヴィッド・アーヴィングを批判した、主人公デボラ・E・リップシュタットが名誉棄損としてアーヴィングから訴えられる。その裁判の模様を題材に撮られた映画だ。物語は実話をもとにしており、判決や裁判で争われた論点などはウィキペディアなどにも載っている。それもそのはず、リップシュタット氏が書いたこの裁判についての書籍『否定と肯定』が原作となっているのだ。

 歴史だけにとどまらず人文科学一般にいえることとして「先行研究が必ずしも正しく、覆せない絶対的なもの」とはいえないことがある。もちろん夏目漱石が実は女性であったなどということを本気で考える人間もいないだろうし、一定の覆しがたい事実というものはある。ただ、宮沢賢治の再評価の歴史などを考えていくと、一人の作家に関してのよくいわれる見解が、潮流のように変化し富んだものであることもまた事実だ。自然科学で地球の重力に関して異論を提出することの難易度を考えれば、人文科学は先行研究に対して「比較的」容易に反論を提示することができる。もちろん、それは一生をかけての仕事としなければならないだろうし、少しのひらめきでなんとかなるものでもないのは明らかなのだが。

 ぼくは関東大震災における朝鮮人虐殺や、あるいは南京大虐殺に対しての否定論などを読んだことがある。それらを支持することはないし、結論からいえばそのような否定論自体の提示をやめた方がいいと思っている。否定論に対する批判本まで出ているのでもちろん読んだ。歴史的な事実や文献の曲解という点では、この映画と重なる点も多かった。

 さて、映画の話に戻るとして、物語としてのこの作品の魅力は終盤のカタルシスに集約されているように思う。裁判を起こされたリップシュタット氏は弁護団とともにアウシュヴィッツ絶滅収容所を訪れ様々な証拠を探り、ホロコースト否定論の根拠となった言説を否定する材料を集めていく。物語中盤になると裁判が開始され、舞台は法廷が主になっていくのだが、この議論の場に主人公リップシュタットは立つことはできない。弁護団の判断としては、ホロコーストの直接の被害者や被告本人を証言台に立たせると、自らの弁護人を務めているアーヴィングからモラルの著しく欠如した質問や感情を逆なでするような揚げ足を取られることにより、裁判自体が不利になる可能性があるということらしい。主人公も最初はその制約にストレスを感じており、作中何度も自分が証言台に立つのだと弁護団に訴えたこともあった。
 その沈黙が解き放たれるのは物語終盤、判決が出てからである。それまで歴史学者としての発言なども許されてこなかった彼女は、初めて自身の信じる「歴史」について語りだす。長い沈黙から解放された彼女の表情は、晴れやかにかつ力強くも見えるのだった。

 悪意のある曲解というものを作中のアーヴィングはくり返し指摘される。さらに本作は、悪意があるということと、自身の歴史認識が誤りだということが関係しているのか、この証明は可能なのかという疑問まで提示されることになる。それは弁護団側も明確な因果関係というものを提出することはできなかった。というより、悪意をその人間の行動から推察するとき、意志と行動のつながりというものを証明することは不可能である。
 証明というものは簡単なことではない。中学生でやるような数学の問題ならいざ知らず、特に人文科学においての研究においては、経験原則においてでしか物事の立証が困難なことだっておおいにある。歴史学的にホロコーストを証明することは可能だとしても、ホロコーストの否定をする人間が悪意を持ってやっているのかどうかの証明は、原理的に不可能という話だ。

 しかし、その不可能性を承知の上で理屈をまくしたてることは、下劣であるとしかいえないだろう。自然科学と人文科学は別のものだ。それぞれに論理体系が存在していて、双方に理があるし尊敬しあわなくてはならない。そもそもが、これらの学問は対立するものとして存在しないのに、あたかもどちらかの論理体系に見合わないものを排除しようとするきらいが、人の心にはある。なぜならかなりの人間が、このどちらかの学問体系(理系と文系)を選択しているのだから。当事者性というものは理性を奪うのではなく、倫理観を奪う。別の言い方をすれば、想像力を鈍くする。

 ぼくだってその可能性があるし、また、これからもあるだろう。そうして、他人の信じているものやあるいは信じられないものをどういう風に扱っていくべきか、そして許してはいけない悪意とはなんなのか。
 考え続けなくてはならないし、これを考えられなくなったとき、ぼくの想像力は死ぬのだろう。

 というところで、感想としたい。お読みいただき感謝する。
 それでは。

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