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第13回 amazarashi好きな曲ベスト10――要するにただのファントーク


 突然だが、ぼくはamazarashiというバンドが好きだ。
 大学時代の友達である古谷くんから伝承されたこのバンドなのだが、気がつけばすっかりハマってしまって幾星霜。とにかくこのバンドで好きな曲を10曲、ランキング形式でお届けしようと思う。


 このバンドの魅力というものは、メロディアスな曲調とヒップホップなどにも影響を受けている印象的な歌詞ではないだろうか。初期はフォークソングの影響も見て取られるような気もする。正式メンバーはギターボーカルの秋田ひろむとキーボードの豊川真奈美。バンド名は「日常に降りかかる悲しみや苦しみを雨に例え、僕らは雨曝しだが“それでも”というところを歌いたい」という思いから名付けられたらしい。ライブパフォーマンスでは垂れ幕に映像を投射するという演出をしており、そこでしか体験できないような充足感も与えてくれる。

 というわけで、正直知らない人間に丁寧に説明するつもりもないのでこのくらいで。とりあえずyoutubeにMVが上がっている曲はリンクを張っておくので、そこから適当に飛んでみてくれ。

 第10位 「多数決」

 賛成か
     
 反対か


  是非を問う

  挙手を願う

 というリフレインが特徴的な本曲。『世界収束二一一六』というアルバムのリード曲にあたり、アップテンポなピアノロックという側面が強い。歌詞の内容は善悪の判断基準というものは、政治体制(社会体制)の変化によっておこるものであり、あたかも不変の真理としてあるかのようなことも、多数決によって決まるのだという内容。ちょうどこの曲の歌詞がファンクラブにアップされたのは、2015年の集団的自衛権にまつわる報道が盛んだった時期だったことも、個人的には印象深いことだったりもする。


 第9位 「僕が死のうと思ったのは」

 あなたのような人が生きている 
 
 世界に少し期待するよ

 初めて聞く人は驚くんじゃないかというようなこのタイトル。ファンの間では恐らく人気投票5位くらいに入ってはくるだろうというような人気曲。ぼくも非常に好きなだ。
 「僕が死のうと思った」理由が羅列されながらも、愛の歌として昇華されていく過程などは The amazarashi と思わされる。バンド名の由来の通り、「それでも」という意志に溢れた一曲だ。ミニアルバムの冒頭を飾っているこの曲なのだが、朴訥とした入りから泣きギターなどによって早大に広がっていく展開などはライブ映えもするし、なにより雰囲気を奪われる。個人的にはプレイリストを組むときには重宝するような曲だったりもする。なに情報だこれ。


 第8位 「ポルノ映画の看板の下で」

 才能不在

 
 これもファンの間では人気の曲だ。オルガン調の音色から聞こえてくるイントロが、荒廃した風景を思い浮かばせる。タイトルの通り「ポルノ映画の看板の下で」という言葉が発せられ、そのあとに続く歌詞は「ずっと誰か待っている女の子」ときた。夢に追いすがっている人間の心情を歌いながら、ポツリと一滴の他者が挿入される美しさは圧巻で、かつその「女の子」と視点人物は一切のかかわりを持たないのであろうことが推察されることなども、退廃的な感傷を増幅させるゆえんだろう。土色の風景のなかに挿入される、ブリッジ部分の赤色にまつわる諦めに対する抗いの言葉。この曲がリリースされてからもう10年。彼らの現在地はどうなっていくのか、ランキングは続く。


 第7位「街の灯を結ぶ」

 一人一人

 消えていく街

 日暮れの駅

 迎えは来ない

 セカンドアルバムの9曲目にあたるこれは、8位と同じく夢に憧れた人間への歌だ。しかしながら、その曲調も歌詞も先程とは正反対だ。このアルバムは『夕陽信仰ヒガシズム』というタイトルで、夕陽などにまつわる、生活感に溢れた作品になっている。その中でもこの曲は、帰り道、駅から自宅へと徒歩で歩いているときになんかに聴きたくなるのだ。街灯が照らしている道で、夢に破れて消えていった友たちを想いながら、絶望的な心持で進み続けるこの歌詞は、救いどころがないといえばない。聴いていて辛くもなりもする勢いだが、ただ生きている意味などないと断ずることだけはしないのも特徴的だ。

 それでも生きる僕はなに

 疑問符への返答はない。それ返してくれた人は、みんな消えてしまったのだから。きっとそうなのだろうなと思いながら、ぼくはこの曲を聴くたび、あと何個の街灯が自分に残っているのだろうかと考えてしまうのだ。


 第6位「爆弾の作り方」

 ぼくは戦う

 つまりそれが

 僕等にとって唯一の免罪符

 はいきたクリエイター応援ソング。これが嫌いなやついないだろう。
 自身の作品を爆弾に例えながら、それでも現実のなかで暴力を振るうことだけはしないように自制するような言葉があるのもおもしろい。
 amazarashiのなかでも比較的王道なポップソングである本曲は、彼らのファーストメジャーミニアルバムの表題曲で、彼らの音楽というものが世界に対しての復讐のために作られていたことの証明であるともいえるだろう。自分たちを認めてくれなかった人々への爆弾として、けれどそれは暴力としてではなく、あくまで作品として炸裂させるのだ。amazarashiの快進撃が始まった象徴的一曲で、ぼくはこれを聞いてよく、昔は小説を書いていた。


 第5位「空っぽの空に潰される」

 暗いところからやって来て

 暗いところへ帰っていくだけ

 その間に何が出来るの?

 ぼくが最初にamazarashiに触れた曲。この曲を聴いたときに、日々の焦燥をここまで正確に表現してくれるアーティストがいるのかと目が覚める思いだった。絡み合うギターが特徴的な本曲は、特にサビのカウンターメロディーの滑らかな運指が美しい。「空っぽの」のリフレインの壮大さはは必聴ものなので是非聴いてみて欲しい。生きていることは虚しい、苦しい、辛い。そんな思いを抱きながらなぜか生きているような気分になることがある。ぼくにとってはそれが大学時代だった。今だって、そんな気持ちになることはある。だからこそ、この曲は不動の地位をぼくのなかで占めているのだ。幸福になるということは、叶うのだろうかという問いだけがここにはあった。


 第4位「初雪」

 でも大丈夫ちゃんと

 前に進めているよ

 淡い雪模様の情景描写から始まるこの曲。乾いたドラムスが刻むリズムは、足音というには忙しなく、きっと焦りや悲しみからの逃亡を表現している。という風に聞こえる。孤独感が強くなる音色と歌詞は、日常を生きていく虚無感にそのまま寄り添ってくれるような気がした。インディーズで出したミニアルバムに収録されている本曲は、「光、再考」「ムカデ」「つじつま合わせに生まれた僕等」などの有名曲に隠れがちなものの、喪失から立ち直るというタイミングではこれ以上にない温もりを抱くことができるのだ。数年前、失恋したばかりの冬によく聴いていた。ぼくはあの子の顔を忘れてしまって、声も思い出せなくなっている。けれど、この曲の魅力だけは忘れたくないものだ。


 第3位「自虐家のアリー」

 今でもずっと愛してる

 ファン人気が高い一曲。というかここからの曲はすべて人気曲だ。
 キャリア初のシングル「季節は次々死んでいく」に収録されていたカップリング曲。アリーという少女の物語が綴られている歌詞が、タイトなリズムと次第に音数が増えていく編曲とともに届けられる。虐待を受けているアリーは、亡き父を求めながらも叶わず、海への望郷を募らせていく。愛されたいから愛している人の望みを想い察し、そのように行動しようとする健気さと、三人称的に垣間見える絶望のマッチは圧巻の一言。「今でもずっと愛してる」と投げた言葉に返ってくるように、存在感を増すベースがリードしていくアウトロも魅力的。「ポルノ映画の看板の下で」と並んでデビュー5周年記念ライブにおいて、ファンが投票してセットリストに加えられたことも、個人的には思い出深かったりもする。


 第2位「スターライト」

 夜の向こうに答えはあるのか

 それを教えて

 スターライト

 不動中の不動、鉄板中の鉄板、力こそパワー。amazarashiの原点にして頂点の本曲。騙されてなくても聴け。
 バンドがまだ「あまざらし」名義だったころからあったのだという、希望を歌った歌。ギターリフから始まり、ゾクゾクと各パートが参入してきてから走り出すイントロ、挫折しかかる心を歌ったBメロ、そこから駆け抜けるサビと、こんなの嫌いなやついねーよ!!! って感じの狡さがあるロックナンバー。編曲者の出羽さんの技量にも驚かされながら、シンプルイズベストな作曲が功を奏しているのかもしれない。
「夜の向こうに答えはあるのか」という問いは、amazarashiのバンド名にも通ずるような虚無へと立ち向かう意志を感じられる。結局のところ、彼らの戦いは虚無主義との戦いだった。2016年のミニアルバム『虚無病』で終わったのだという世界への復讐は、彼ら自身が虚無に打ち勝つ力を手にしたことを意味する。秋田がずっと目指していた世界への返礼が始まっている『地方都市のメメントモリ』以降の作品たちも、聴衆に対して虚無に抗えというメッセージを発し続けているのだ。
 夜の向こうの答えは人それぞれに宿っている。泣くな旅人よという言葉を胸に、ぼくはまだこの曲を聴いて歩いていくのだろうな。青臭いと笑われるのだろうか、それでもいいと思える曲だから、まったく問題はないのだけれど。


 第1位「月曜日」

 僕にとっての君は

 とっくの昔に

      特別になってしまったんだよ

 1位である。『月曜日の友達』というマンガ作品のために書き下ろされたのが本曲で、初出はデジタルシングルだった。最新アルバム『ボイコット』にも収録されているので、要チェックだ。
 漫画の内容も踏まえた歌詞は、二者関係の脆弱さと慈しみで満ちている。あまりにもちっぽけな人間同士は、出会いともにいたところでちっぽけな存在だ。一人も二人も変わらないはずなのに、どうしてこんなにも人は他者を必要としてしまうのだろうか。成長していくことによって増えていく枷や軛を煩わしく、そんななかで自分のことを理解してくれる人間と出会うことの幸せと、それを失うのかもしれないという恐怖。幸福は新しい焦りを連れてくる。幼いころから続いている連鎖というものは、社会的な地位や富に関係なく訪れる。自分だけの経験でありながら、誰にだって訪れる幸福と不幸。
 この曲はその全部を歌ってくれている。特別な人、特別だった人。目の前にあるものと、もう二度と手に入らないもの。人生はこんなことで満ちていて、いちいち気にしてもいられずに月曜日になればまた日常が始まっていく。風景に溶け込んでいくように、ひっそりとフェードアウトしていくアウトロを聴くと、懐かしくも前を向いていけるような気持ちになる。この曲が、ぼくは一番好きなのだ。



 以上、つたない文章で申し訳ないが、とにかくぼくはamazarashiが好きなのだ。
 みなさんも好きになって欲しい、終わり。


 AppleMusicのプレイリスト置いておくので、興味がある人はどうぞ。それでは。


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