マガジンのカバー画像

〜シタール奏者伊藤公朗人生の反省文〜

【週1配信】終戦間もない混沌とした時代に愛媛県の禅寺に生まれたシタール奏者伊藤公朗。昭和初期の田舎での自給自足的な暮らしをした幼少期、実家の寺を出て闇の道に走った青年期、当時まだ…
¥500 / 月
運営しているクリエイター

#インド音楽

【第23話】ご近所だったとある画家との思い出

下の息子が中学校に入学するのに合わせて、10年住んだ棚の川から松本に引っ越すことになった。…

【第22話】住所が存在しない家

棚の川の大家さんの家を借りられるようになり、これから家の改装を始めようと夢を膨らませてい…

【第21話】山奥に見つけた民家

今回は飛んで、インド修行から帰国後、家族を連れて信州の山奥に移り住んだ時の話をしたいと思…

【第20話】村のお祭り

今回は、僕が育った愛媛の小さな田舎町で行われていた、村のお祭りを3つ紹介したいと思う。 …

【第19話】霊能者との出逢い

今から10数年前、あるお坊さん(大学教授もされていた)が主催される『いのちの集い』という…

【第18話】花まつり

毎年4月8日はお釈迦様のお誕生日をお祝いして「花まつり」が全国の仏教寺院で行われる。灌仏…

【第17話】初めてのデート

僕が高校に入学した当時は、まだ道も塗装されていなく、宇和島にあるその高校に行くにはバスで1時間半程かかった。僕の兄と姉が下宿生活をしたように、僕も親戚筋にあたる禅寺に下宿をして、そこからバスで高校に通った。家を離れた生活を送るのは初めてだったので、最初のうちは寂しい思いもしたけど、それもすぐに慣れてきた。 高校1年生の時は、まだ慣れないこともあり大人しくしていたけど。2年、3年になると、授業をサボって友達と喫茶店(当時は純喫茶とよばれていた。アルコールを置いていない飲食店のこ

【第16話】テレビがなかった時代の身近な娯楽といえば

僕が子どもの頃にはまだテレビもなく、当時の娯楽といえば映画とラジオだった。 我が家にテレ…

【第15話】昔の生活スタイル 『Vol.2 トイレ事情』

当時のトイレは100%汲み取り式、通称“ボットン便所”だった。当たり前だが臭かった。しか…

【第14話】昔の生活スタイル 『Vol.1 井戸水と囲炉裏』

1960年代、僕の田舎では各家々に井戸があり、生活に必要な水はすべて井戸水で賄っていた。…

【第13話】授業中

僕が中学生の頃は、先生も生徒も人間丸出し(良いも悪いも)で、いつも本気でぶつかっていた。…

【第12話】遠足

僕にとって小学校の頃の一番の楽しみは遠足だった。その日は給食ではなくお弁当、と言うだけで…

【第11話】伝説の男シリーズ。その名も『火星人』

伝説の男『国男ちゃん』に匹敵する程のおバカ男子が今回の話の主役。その名も『火星人』。 そ…

【第10話】これぞ食育

野山を駆け巡って泥んこになって遊ぶのは、当時の子供達には日常の中の当たり前の光景であった。男子はみんな小さなナイフ(肥後ナイフと呼ばれる折りたためるタイプのもの)を持っていた。このナイフ一つあれば竜玉鉄砲 (タマリュウという植物の青い実を鉄砲の玉にして飛ばすおもちゃの鉄砲)も、弓矢も、隠れ家も、魚を獲るヤスも、鳥を獲る罠も、このナイフ一つで何でも作ることが出来た。 山に入る時には、塩を紙に包んで持っていき、遊び疲れてお腹が空いた時にはイタンポ(イタドリ)、シンコ(スイバ)な