「蠅」が見ていた一部始終は映画のよう。それは横光利一の企て。
創作のヒント No.1 横光利一作「蠅」 大正12年(1923年)発表
「蠅」は、数頁という掌編です。しかし、一から十までの場面を辿っていくうちに、「何かが起こる」「何が起こる?」「あれか?」と心がざわざわしてきます。そして最後は、「やっちまった!」。
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横光利一の作品は、卑弥呼を奪い合い滅びる王子たちを描いた「日輪」を面白く読みました。しかし、それ以外の作品には、「作者の企みを感じるのだけれど、それが何かよくわからない」といういらだちを感じていました。
例えば、「機械」(昭和5年(1930年)発表)という作品は、「登場人物たちとの関係をとおして、主人公の意識が変化する様を緊迫感とともに描く」旨の高い評価を受けています。しかし、私には、緊迫感は伝わってきたけれど、「だから何?」という、不完全燃焼のような思いが残ります。
そうした評価と自分の感想のギャップが興味深く感じられ、何か面白く読むポイントはないかと探ったところ、「蠅」を知ったのです。それを読み、横光利一という人は、ストーリーだけではなく、「その表現の力で、読者に驚きを与えようとした」のでは、と考えるようになりました。
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ある宿場。一匹の蠅が、次の一部始終を見ていました。
・危篤の息子の元へ向かう農婦が、「早く馬車を出して」と求めます。
・しかし、将棋に夢中な馭者は、動こうとはしません。
・その後、駆け落ちの若い男女、取引に成功した田舎紳士、男の子と母親が馬車の出発を待ちます。
・宿場の柱時計が十時を打つと、ようやく馭者が出発を知らせます。
以上が、シーン1から9。そして、最後の場面へと突入します。
焦らされて焦らされて焦らされて、あっという間に、すごい展開へ。そんな作品です。
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「蠅」は、発表当時、その映画作りで用いるような組み立てが、高く評価されたそうです。現代からみれば、映像作品を敢えて小説で再現したような趣を感じ、新鮮な驚きがあります。この表現方法は、掌編だから成功したとも思えますが、ある物語の叙述の途中で、ダイナミックな動きを与えるために用いるなど、面白い活用法があるのではないでしょうか。
ここまで、読んでくださり、どうもありがとうございました。
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