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2月② 雪吊りの円錐に似て仏舎利塔(石川県能登・妙成寺の庭の雪吊り)

           写真「能登・妙成寺の雪吊り」(撮影:阪本紀生)

 新年早々、大寒波がやってきたかと思うと、ここしばらく、暖かい日が続いています。立春を過ぎたあたりから三寒四温の気候になったということなのでしょう。

 ところで、昨年、2020年の世界と日本の平均気温は、観測が始まった19世紀末以降、最高となる見込みのようです。そんな気温の上昇に伴って、各地で30年に一度と言われる規模の高温や大雨などが頻発しました。

 新型コロナの流行もさることながら、いわゆる「地球温暖化」の趨勢には不穏な出来事が伴っていて、先行きの不安を拭い去るのはむつかしそうだという気がします。

 さて、雪については、幸いボクの住んでいる比叡山中腹に降る量が、今年は例年に比べて少ないようです。が、北陸をはじめ、日本海側の各地には大量の雪が降りました。

 ですから、金沢の兼六園はじめ、雪の多い北陸や東北では、今年もまた庭園の樹木に雪吊りが施されていることでしょう。で、その起源を調べてみたところ、意外なことを教えられました。

 樹木の幹の近くに柱を立て、柱の先端から枝先へと放射状に縄を張ることを「りんご吊り」と呼んだのが、そのはじまりなのだそうです。
 つまり明治以降、日本で西洋リンゴの栽培が始まり、リンゴの実の重さから枝を守った技法が、雪吊りの元になっているというわけです。

 世の中には、当然ながら知らないことのほうが多いものです。それにしても雪吊りが「りんご吊り」に由来しているという話は、なかなか面白いなあと思わされました。

 で、こんなエッセーを書いてみたという次第です。

 雪の層の下に樹木の緑がある。日本以外では見るのがむつかしい風景なのだと思う。

 それは、こういうことだ。まず、日本海沿いほどの豪雪地帯は世界的にも珍しい。それに、寒くて空気が乾燥した地方では、冬に樹木の葉が落ちるのが普通なのだ。

 と記したところで思い出すのは北極圏に住む人々のイグルー、つまりは雪や氷の家、あるいは雪山で遭難しそうなときに造る雪洞だ。
 意外な感じはぬぐえないが、実は雪の層は断熱性に優れている。それが、暑い夏に育つ樹木を寒風から守り、かつ水分を供給するのだ。

 しかも雪が積もると、普段は想像できないほどの静謐が訪れる。空気を含んだ積雪の組織が、あらゆる音を吸収するからだ。
 しんと静まりかえった積雪の風景は一種の異界だという気がする。まして仏舎利を納めているという五重塔が眺められる場所にでも立てば、

 「メメント・モリ(死を忘れるな)」

 無常観のはてに、つい心中に人生の越し方行く末が彷彿したりもする。

 ただ雪は、ときに家を押しつぶすほど重い。細い枝など、ひとたまりもない。だから雪国では、木や竹を組み、樹木の枝を荒縄で吊して補強する。

 ここ能登半島の柴垣海岸に近い山手の松林に囲まれた妙成寺の庭木にも、その「雪吊り」が施されている。

 それは、見方によっては整った風景を乱す「雑音(ノイズ)」だとも思える。が、枝を支える放射状に組んだ縄の直線が、不定形の木々の緑と綾をなし、寒い冬の厳しさに、美しい緊張感を添えているように見える。

 不思議はない。木も竹も縄の稲わらも、大昔から土地の風土に根ざした伝統の素材にほかならない。だから風景の全体に親しく溶け込むのだろう。

 そんな景色を眺めながら、これまた伝来の、暖かい音を立てて煮える湯豆腐で熱燗など嗜んでみる。
 と、雪が月や花と共に、雪吊りそれ自体が、ぼくら日本人に風流を感じさせてくれるものであることが、おのずから腑に落ちるような気がする。

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