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5月③ タケノコを焚き火にくべて檀一雄(京都の竹林は「タケノコ畑」)

                   写真「竹林」(Wikipediaより)

 『万葉集』に、8世紀に活躍した歌人の大伴家持が「竹林を渡る風の音」を詠んだ歌があります。
 さわさわ、さわさわ……そんな快い葉擦れの音が聞こえてきそうな歌です。

 で、現代日本に目をやると、とくに西日本では市街地を少し離れると、山裾を中心にあらゆる場所で孟宗竹の竹林が猖獗をきわめています。
 結果、ひと昔前なら燃料の薪、いろんな山菜の採集場所だった里山は荒れ放題。放っておくと大地のすべてが竹林に覆われてしまいかねないような勢いです。

 その竹林を形成しているのは主として孟宗竹です。
 その孟宗竹は、かなり最近になって中国から伝来したもののようです。

 実際、その時期は、早い説で17世紀なかば、遅い説によると18世紀にずれこむと考えられているようです。
 とすると、万葉の昔に家持が耳にした風の音は、孟宗竹ではなくて、真竹か淡竹の竹林を渡る音だったということになりそうです。

 こう考えてみると、万葉の歌を頼りに、そこに詠まれた風景を想像する際には、ある種の考証のようなことが必要だということになるのかも知れません。

 ただ、放っておくと際限なく広がり、里山を占領してしまう孟宗竹の竹林も、ちゃんと手入れをすると、じつに見事で美味なタケノコを供給する畑になります。
 そんなことを思いながら、こんなエッセイを書いてみました。

 今年の春は、孟宗のタケノコの時期が早く始まり、早く終わってしまいそうだ。やがて淡竹のタケノコが八百屋の店頭に並び始めるのだろう。

 昨今の日本では、食物の旬が薄れたように思う。が、新鮮なタケノコは連休ごろから5月いっぱいしか手に入らない。
 そのタケノコをゆで、木の芽を添え、醤油をたらして食べる。あるいは若竹汁や木の芽和えにする。
 独特の歯ごたえと食味がこたえられないほどうまい。

 もっとも、絶妙の食べ方は壇一雄『壇流クッキング』にゆずる。
 大きめのドライバーを使って掘ったばかりのタケノコの節を取り、醤油を入れて蓋をし、そのまま焚き火にくべる。
 その魔味は凡百の筍料理を圧倒する。

 竹の成長は速い。盛りのころは、日に1メートル以上も伸びる。
 で、土壁を支える木舞(こまい)をはじめ、建物の天井や床柱、籠や花生け、釣り竿や筆、茶筅や茶杓などに用いられる。のみならず、笙篳篥(しょうひちりき)や尺八、剣道用の竹刀、さらに蒸し焼きにすれば高品質の炭になる。
 その利用価値は広大無辺なのだ。

 だからだろう。天をつく竹の穂先は神の依り代とされ、樹木にない空洞には神が宿るとされる。

 そういえば竹は「かぐや姫」伝説を生んだ。そして古くから松や梅と並んで目出度さを象徴してきた。万葉の昔から、
  わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(大伴家持)
 こう歌われたように日本の風景の重要な要素でもあった。

 京都の西郊には、そんなタケノコの名産地がある。嵯峨野・大枝塚原・大原野・西山の4か所だ。
 大量の堆肥と肥料を施された、これらの地域の竹林の土はふわふわで「タケノコ畑」と呼ぶのがふさわしいように思われる。

 むろん見た目にも美しい。とくに嵯峨野の竹林の道は人気の観光スポットともなっていて、わたる風の音には「かそけき爽やかさ」を添えている。

 そんな竹の繁殖力は猛烈でもある。だから放置すると、周囲の樹林を圧倒し、植物相の均衡を崩す。

 つねに人間の適切な手入れを要求する日本の自然のなかでも、とくに竹林には、それが必要不可欠なのだというほかない。




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