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食を楽しむ時と場所:モンテプルチャーノにて

 かれこれ20年余りも昔のことになるのでしょう。初めてイタリアの旅に出かけました。期間は約1か月。ローマをはじめ、いくつかの都市を訪れました。
 そのとき、強い印象が残ったのはベネチアのほか、フィレンツェ、シエナ、アレッツォといったトスカナ地方の諸都市でした。
 そんな旅の途中、山上に開けたモンテプルチャーノという小さな街と出合いました。イタリアの有名な映画監督フェデリコ・フェリーニが贔屓にしていた街だということです。
 そんな街を訪れた際の記憶を、こんなエッセーにまとめてみました。おひまなときに、ご覧いただければ幸いです。 

 あるとき、行きつけの魚屋の兄ちゃんが、ふぐ調理師の免許を取得した。以来、友人とワリカンで、あるいは家族でひっそりと、冬の間に何度か「てっさ・てっちり・ふぐ雑炊」の三点セットが楽しめるようになった。街の料理屋なら、べらぼうな値段のふぐも自宅で食べると、安くはないが、まずまずの出費で済ませられる。

 「ならば」というので、ある年、シーズンも終わりの三月半ば、時期はずれに食ってやろうと大量に仕入れて冷凍にした。それから三か月余り、夏の始めに、てっさは無理だが「てっちり・ふぐ雑炊」とシャレこんだ。
 が、残念ながら、これがうまくない。
冷凍したからか。違う。陽気のせいだ。ふぐは、暖房の効いた部屋で食べても、外気が身の引きしまるほど寒い季節にこそ、無上の御馳走となるらしい。

 季節だけではない。場所が変わっても味覚は変化する。たとえば泡盛のクース(古酒)は、豚三枚肉の煮込みやゴーヤチャンプルーなどと一緒に沖縄で飲むと、めっぽう旨い。で、つい土産に一瓶、持ち帰ったりする。
が、京都の郊外、比叡山中腹の自宅では、きりりと決まることがない。飲み物や食べ物は、それを育てた土地ごとの気候や風土を背景にして初めて、本来の実力を発揮するものらしい。

 このことは、夏にイタリアを旅したときにも思い知らされた。この国では、まずまずの価格で忘れがたい美味に出会える。ベニスのイカ墨とポレンタやクモガニ、フィレンツェの牛肉とポルチーニ茸のステーキ、ボローニャのトリュフとルッコラとチーズを乗せた子牛のカルパッチョ、パロマの生ハム、そして土地ごとに異なった風味の各種チーズなど、いずれも極上の美味なのだ。

 こうなると帰国の際、つい土産物に食材を加えたくなる。乾燥ポルチーニ茸、オリーブ油、バルサミコ、何種類かのチーズ、ポレンタの粉、濃厚な味わいの生ハムなどをトランクにしのばせる。

 で、家に帰ってイタリア料理のマネゴトをする。と、結構これがうまい。気候・風土が変わっても、本来の味覚を発揮する食材が存在しうるのかもしれない。が、それでも、やっぱり何かが違う。

 と記したところで思い出すのは、トスカーナの葡萄酒で有名なキャンティ地方の南寄り、シエナ県の小高い山の街モンテプルチャーノでの夕食である。
 澄みきって乾燥した空気は、夏の真昼でも快く涼しい。なだらかな丘の続く黄土色の大地には、朱色の屋根の家々が点在し、糸杉や葡萄畑の緑とのコントラストが美しい。夕方には空が濃い群青色と鮮明な朱色の階調を描きながら、ゆっくり暗さを増していく。

 そんな空気の中で旅行案内書を物色する。と、映画監督のフェデリコ・フェリーニが愛したというレストランが見つかった。で、大昔に見たフェリーニ監督の映画「道」を思い出す。

 その物語は、旅芸人のザンパノが相方の女性ローザの死後、その姉のジェルソミーナを母親から二束三文で買うことから始まる。で、粗野で乱暴なザンパノと軽い知的障害のある心の素直なジェルソミーナは旅に出る。が、やがて紆余曲折の果てに二人は別れ別れになり、ある港町でザンパノは彼女の死を知り、泣き崩れる……。

 そんな物語を反芻しながら夕暮れの八時、ホテルを出て石畳の坂道を歩いて目当ての店に辿り着いた。案内された座席は、葡萄蔓のパーゴラをしつらえた石造りのテラスにあった。銀の皿が暮色を濃くする濃紺の空を背景に葡萄の蔓を映している。何種類かのアンティパストのあと、少し乾かした牛肉に香味野菜のルッコラを乗せ、オリーブ油とバルサミコとパルメザンチーズを振りかけたカルパッチョが出た。それと一緒に飲んだ赤葡萄酒の味わいは今なお脳裏から消えることがない。

 やっぱり料理や酒は、それを育てた土地の気候風土と交響して底力を発揮する。それは、味覚を主人公と見たてつつも、食器の色や形、家具やインテリア、まわりの風景、空気の温度や質度や匂い、あたりに流れる音楽や話し言葉などを、同時に楽しむマルチメディアなのだ。これらは、そこに旅する以外、手に入れようがないように思う。


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