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6月① 蛙鳴く田んぼに神の祠立ち(高知県大豊町笹岡の田んぼの中の八幡様)

     写真:高知県大豊町笹岡の田んぼの中の八幡様(環境省HPより)

 香川県が「うどん県」を名乗ったのは2011年のことでした。大分県が「おんせん県」を自称し始める2013年より2年、早かったようです。
 いうまでもなく名物の「讃岐うどん」にかこつけてのことです。なぜ、香川県ではうどんが名物になったのでしょうか。それは原料の小麦の栽培が盛んだったからです。

 それというのも、瀬戸内に位置する香川県は雨が少ないのです。都道府県別に比較すると、最下位ではありませんが、年間1229ミリという降水量は、47都道府県中42位にランクされています。
 結果、栽培に大量の水が不可欠な米に代えて、それよりは少ない水でも栽培が可能な小麦の栽培が盛んになったわけです。

 実際、これまた都道府県別に比較すると、香川県の米の生産量は37位です。これに対して小麦の生産量は16位にランクされています。
 ただ、それでも昔から香川県、つまりは讃岐の水不足は深刻でした。そこで8世紀のはじめに掘削が始まり、9世紀に空海の手で改修された日本最大級の溜め池・満濃池をはじめ、各地に溜め池が造られました。

 今日、その貯水量は1500万立方メートル余り。それが位置する標高は200メートル前後に過ぎないのですが、ここに貯められた水が海に到達するまで、およそ3か月にわたって大地を潤すのだと言われます。
 優れた大昔の土木技術の面目躍如といったところです。

 そんな香川県から四国山脈を南に越えると、年間3,659ミリと、47都道府県で最大の降水量を誇る高知県に至ります。その北端に近い山中の大豊町八畝という在所に「八幡様の祠の立つ棚田」があります。
 かなり昔に耳にした、そんな風景のことを思い出してこんなコラムを書いてみました。

 1950年9月、大きな台風がやってきた。
 いまだ米軍の占領下だった。で、英語の女性名が付された。ジェーン台風である。それが京都の街でも猛威をふるった。
 瓦やトタンの屋根が飛び、山陰線の下をくぐりぬける市電のトンネルが水に浸かった。

 「鴨川が氾濫するかも知れん」
 そんな風説がささやかれるなか、祖母が、ぼそっとつぶやいた。
 「人柱が埋まってたら、安心なんやけど……」

 6歳になる寸前のぼくには意味がわからなかった。それで、
 「人柱て何?」
 と問うた。と、
 「橋や堤防の難工事のとき、荒れ狂う地霊を鎮めるために人間を生き埋めにしたんや」
 台風より、人柱の話のほうが恐ろしくなったのを思いだす。

 それから10年余り、柳田國男著の「妹の力」を読んだ。
 そこで彼は、日本の人柱に「子を連れた女」の多いことに注目し、そこに水神に仕える巫女の姿を思い描いた。

 そういえば田植え直前の、谷あいの水田に鎮座する祠に祀られた八幡神は、諸国で人柱説話に関与してきたらしい。
 で、その神社は応神天皇と神宮皇后のほか、いま一柱、神武天皇の母とされる玉依姫という謎めいた女の神さまをお祀りしているようだ。

 それにしても雨上がりなのか、水をたたえた山頂の水田風景には、なんだか不思議な雰囲気が漂っているように思われる。低きに流れるはずの水が、深い谷を思わせる高みにあって祠の影を映している風景には、ある種の不条理が感じられるからだ。
 そんな不条理を確かに維持するには、小さな祠におわす、人知を超えた八幡様という神の加護が不可欠だと考えられたのかも知れない。

 だが、実際には、それは人の知恵と技術の賜物にほかならない。放っておけば、すぐ海に流れこむ雨水を、長い期間、田を潤わせつつ陸上に留めおく。そうした大地の改造は米の生産だけではなく、日本の国土に安定をもたらす工夫でもあったのだ。
 その原点のひとつを、ここ高知県大豊町の小集落・八畝の谷間の水田風景にうかがうことができる。

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