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マスクの下の歓び

 唇に色を載せなくなって、一年が経った。

 マスクに隠れるし、マスクに色がついてしまうので、口紅どころか、チークも塗らない生活である。と言うか、冬の間は、マスクに隠れるからと、顔の下半分にファンデーションすら塗っていなかった。
と、ヘアカットの際、美容師さんに話したところ、
「マスクでは紫外線を通すから、ちゃんと日焼け止め塗らないとダメですよ~」
と言われ、慌てて塗り始めたのが結構最近である。
 当方、アラフォーである。それなりの年齢を重ねた顔には、人生の勲章たるしわやシミが燦然と輝いている。
 アイメイクは、眼鏡をかけるから余り映えないし、カバー効果のあるファンデーションは、やはりマスクに付くので、薄付きの日焼け止めを愛用する。この勲章まみれの顔に、カバー力の無い日焼け止めとパウダーを塗り、眉毛を描く。そうするとどうなるのか。
漠々たる荒野が鏡の前に広がるのである。
ハッキリ言って、メイクをする意味があるのか。嫌、日焼け止めと言う意味では、大いにメイクの意味があるのだが、ここで問いたいのはメンタル面である。
 メイクをする意味として、気分が上がるからと言う理由は、案外重要だと思う。綺麗にメイクした自分を鏡で見て「うんうん、イケてるイケてる。これなら女優で通る」と自分を鼓舞した事の無い方は少ないであろう。八十、九十と年齢を重ねたご婦人だって、メイクをすると気分が上がると言うではないか。アラフォーが、鏡の前でがっくりしてどうするのだ。
と、言う事で、購入しました。シャネルのリップ。シャネル・ココ ブルーム。オポチュニティーである。
……と、書くと、如何にもシャレオツ感が出るが、何の事は無い、ファッショニスタの姉がシャネルのハンドクリームを購入するのに付いて行っただけの話である。
しかし、流石はシャネル。嫌、呼び捨てにするのもおこがましいのでシャネル様とでもお呼びしようか。ハンドクリームのテスターだけでなく、リップのテスターも出してくれたのである。
ヌーディな色を三色選んで手の甲に塗って貰う。それをマスクをずらした唇に塗ってみた。
どうだろう。
荒野に、みずみずしい薔薇の花が開いたではないか。
テスターの、ほんの少しを塗っただけでも、ぱぁっと顔周りが明るくなった。しかも、どうせマスクで隠れるからと、手入れすら怠っていた砂漠のような唇が、しっとりと潤い始めた。
「マスクに付きにくい上に、唇をしっかり保湿してくれるんですよ~」
 美しいお姉さんが、懇切丁寧に説明してくれる。さっき試したハンドクリームが手に残っていて、こちらも誠に良い匂いである。何と言うか、消毒液と在宅勤務で、カサカサになった心と体に、潤いと言う雨が降り注ぐ気がする。嗚呼、人はパンのみにて生きるにあらず。
「買います!」
 私は即断した。

 私は、今日もメイクをする。マスクの下に、ひっそりと悦楽を隠して。

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