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私が海外移住を目指す、10のきっかけ

物心ついた頃から、なんとなく「日本」の居心地が悪かった。当時は「日本」という壮大な枠組みでは意識してなかったけど、なんとなく「みんなと同じが当たり前」という空気が苦手だった。

少しずつ自分を知りながら、今、海外移住を目指し動き出すまでには大きく10個のきっかけがあった。

1. 学校が嫌いでした。

同じ箱の中に
同じような顔をした
同じような服装の
同じような考え方の人間が
机を並べて座っている。

同じ番組を見て
同じ歌手を好きになって
同じ文房具を持って、
同じタイミングでトイレに行く、
それを嫌だと感じる子供でした。

音楽を聞けば踊り、楽しいことがあったら声をだして笑い、好奇心が旺盛で、じっとしていられない私は幼稚園から問題児で、
人と同じことをすることが大嫌いな私は小学校では級友とうまくいかず、
中学校ではささいな事をきっかけに、教室で空気扱いと化しました。
高校も保健室登校や自宅警備にハマっていた時期もあります。

自分は誰なのか、自分とは何なのか、
面倒臭いほどに考え込んでしまう、
本当に面倒臭い子供でした。


そしてその答えはなかなか見つからなかった。
変わっている、
それだけで教室からはみ出てしまう。
唯一知っている、箱の世界で、息の仕方がわからない。
どうして疑問なく、明日が来ると思えるのか。
どうして屈託なく、笑うことが出来るのか。
どうして疑わず、他人を信じられるのか。

語り合う相手を持たない私は、どこまでも孤独に逃げ込んでいた。


2. 14歳で外の広い世界を知りました

そんな人生の迷走を極め続ける娘の行く末を案じた両親が、14歳の夏休みに、私を人生初の飛行機、人生初の海外、4週間の夏休みアメリカ短期留学に送り込んでくれました。

振り返ればそこが原点です。大きな大きなターニングポイント。

外の世界を知ったのです。
それも、とんでもなく広い世界を。
それは文字通り「世界を目の当たりにした」瞬間で、この時の影響力って自覚していた以上に強かったんでしょうね。

自分の住む世界以外に、暮らす人々がいる。
今の自分のいる世界を苦しいと思っていも、
いつか抜け出して、
ここではない、どこかへ行ける。

それはどこまでも、力強く私の今後の人生を支えてくれました。
そして英語が楽しくて、楽しくて、自分に少し自信もつきました。
でも話したくても話せないことが多くて、伝えたいことが伝えきれなくて、もっともっと勉強したい、そうも思える良い経験になりました。


3. 憧れていた英語の先生からの手紙

私には唯一なんでも話せる、大好きな大人がいました。
私のことを絶対に子ども扱いせずに、常に同じ目線で話をしてくれる人。

それは小学校から中学卒業まで通っていた英会話教室の先生
出会った時はまだ新卒くらいだったんじゃないかな。若くて、パワフルで、面白くて、キラキラしていた。くせ字も、ワンレンのストレートのヘアスタイルも、考えた方も、もしかしたら半分以上は、彼女からの影響かもしれない。

学校は大嫌いだった私も10年通ったこの教室は一回も休まなかった。
だからこそ両親は、私をアメリカへと送り出してくれたのでしょう。

そんな先生が、アメリカにいた1ヶ月の間にくれた手紙があります。

言いたい事が伝わらなくて苛々したり、自分に腹が立ったりした?
全然してないっていうならOKだけど、少しでもそう思ったり、感じたりって経験をしていたら、その感情をそこに置いて来ずに、必ず日本に持ち帰って来てね!まもなく帰国して、又いつもの日常が戻ってきた時、その感情が残っていれば、日常に飲み込まれずに、何をすべきか、自分がどうしたいかって事を忘れないでいられるって、私は思います。
何を見て、何を聞いて、何に触れて、何を思って、何を感じて、あなたが知ったいろんな事を、帰ってきたら、話してね。

今でもずっと、この問いかけとアドバイスは胸に残っています。
同じじゃなくて良い、変わったままで良い、世界は広くて楽しい
私は私のままで良い、といってくれた大人は家族以外で初めてだった。

"日常に飲み込まれずに、自分の人生を問うて、生きていけ"
留学する度に、私はこの言葉を、私自身に問いかけるようになりました。

帰国してからは、アメリカに行っていた調子に乗ったやつという理由で、私は余計にはみ出しものになりました。笑
それでも私はもっと「英語が学びたい」という別の目的があったので、英語コースのある私立の高校を受験するために必要な出席日数のために登校、合格が出たあとは卒業式まで学校には行きませんでした。


4. 自分で書きなぐった日記

2年後の16歳の時、今度は進学先の学校のプログラムでクラス全員でニュージーランドへ6週間の留学へ。地元の高校に数名ずつ小分けになって通いました。
ここではアメリカでは全くなかったホームシックにもなりました。ニュージーランドは北の島の、一番上の方にある小さな町で、16歳の私は自分に問いかけました。私は誰で、そしてどこに行こうとしているのかを。そして、自分がいかに周りに大切にされているかを痛感して、日記に書きなぐっていた言葉がここに。

井の中の蛙は、確かに大海を知らない。
でも、井の中の蛙は自分が今までいた世界での空の深さは知っている ー。
井の中の蛙は大海に出て、それまでの自分の世界の小ささではなく自分自身の小ささに気が付きました。自分自身の弱さや、甘えに気が付きました。
今までどんなに自分自身が恵まれていたかを知りました。
ここで蛙は思い知ったのです。
自分の愚かさを、自分の恥を、自分の無知を。
考えるのが好きだから、誰かと何かにおいて真剣に話し合うのが好きだから、それを最大限に活用すべきだと思う。井の中の蛙は、井の中に戻るでしょう。大海を恐れたからではなく。孤独から逃げ出したわけでもありません。その空の深さを自分で見るためです。
空の深さを知らない蛙は、大海に出ると平面の空しか見ることは出来ません。足元の深さに怯えなければなりません。でも、自分の足の下には限界がくるのです。いつか何かに当たってしまうのです。そうしたら、その蛙はもうどうしようも出来ないでしょう。空の深さを知らないから。
大海も所詮は井をデカくしたものだと結論づけてしまうでしょう。
そこで、この蛙は終わります。
人間が空を目指すのは果てがないからです。人間が海を想うのは誰かとのつながりを信じるからです。今回、蛙は海を渡りました。そして誰かとのつながりを知りました。そして蛙は井に戻るのです。空の深さを知るために。
二度と海に戻ってこなくなるはずがありません。
自分の世界を知り、初めてほかの世界に胸が焦がれるのです。
果てない自分の欲を、夢を叶えにいくのです。

待って、16歳の私ヤバくない?考えすぎてない?カッコよくない?笑

そしてこの時、いずれ海外に出る、という欲と夢をしっかりと固めました。

でもそのためには、今、自分の井戸を、まずはしっかりと作らねばと、
帰国後、考えていた1年間の留学はやめ、学校の友達との関係づくりを始めました。孤独に逃げ込むのはやめて、世界は自ら広げないといけないのだと悟ったから。そして、得たものは、そう、卒業して10年たったことを笑いあえる数人の友達がいること、ですね。

そしてそのまま日本の大学に進学、就職も日本でしました。
就職も決まった大学4回の夏休みに最後の思い出に、4週間実はずっと憧れていたロンドンに行きました。

14歳の海外、16歳の海外、そして21歳での海外
それぞれ感じること、学ぶこと、知れる世界は全然違っていて
14歳はただただ好奇心
16歳は孤独という怖さも学んで
21歳は圧倒的行動範囲の広さ、自由を知りました。


5. 旅行が大好きになりました

海外にでる魅力に気づいてしまってから、旅行が大好きになりました。
大学の休みには、常にどこかしらを旅をしていました。スペイン・イタリア・イギリス・フランス・トルコ・エジプト・ドイツ・チェコ・オーストリア・フィリピン・グアム・サイパン
授業そっちのけで、旅行代捻出のアルバイトに明け暮れていました。笑

そして社会人に
私の会社はかなり理解のあるところでしたが、それでも長期休みなんて5日ほどしかなくて、1年に1.2回取れるか取れないか
仕事、仕事、仕事、仕事
旅行はたまにしかいけない、貴重な貴重なご褒美になってしまった。しかもいけてもたった数日


6. 旅行よりも住みたい気持ちが大きくなりました

海外旅行に行くのが好きだったら、やっぱり住みたいと思うのは自然のことで。井戸を作っているうちに、いつのまにか高く作りすぎて、なかなか抜け出せずにいましたが、笑
6年社会人をやったあと、「やっぱり海外に住んでみたい」という気持ちの勢いで応募したイギリスワーホリの抽選に当たり、私は諦めてしまっていた夢を28歳でようやく叶えました。大好きなロンドンでの2年間の生活。

初めてアメリカに行った歳の倍になってしまっていました。


7. 海外生活での「好き」がたくさんありました。

フィリピン2ケ月→ロンドン2年→マルタ3ヶ月と過ごしてきた中で好きだなーと思うことを簡単にまとめてみました。

✔ストレートでシンプルな表現をするところが好き。
✔距離感が近いのが好き。
✔目を見て乾杯するのが好き。
✔たまたま目があったら微笑みあうのが好き。
✔ちょっとぶつかっただけでもお互いしっかり謝るのが好き。
✔ハグが思っているよりも力強いのが好き。
✔香水が強すぎるのが好き。
✔ウインクや投げキスが普通なのが好き。
✔beauty, sweet heart, darlingって普通に呼び合うのが好き。
✔腹が立つより笑ってしまうような、適当なところも実は好き。
✔他者との線引き、自己主張が強いところも好き。
✔lロンドンでのlovelyを連発するところが好き。
✔そして何より愛情を隠さないところが好き。


8. 帰る場所がある安心感を知りました

2年半の海外生活を通して"母国"の偉大さを身にしみて感じる日々でもありました。帰る場所が他にある、生活の拠点となるところが別にあるって、本当に重要なことだなってつくづく思います。
精神的な息抜きを常に持っている感じ。
だからこそ、敢えて私は海外に住み続けたい、挑み続けたいと思えます。


9. ギリギリのワーホリでした

28歳で渡英して、ワーホリのリミットは30歳です。
もっと早く外に出ていれば、あと何ヶ国経験できただろうって思うこともありました。特に働き出す前は強くそう思っていました。
実際に生活してみて思うのは、ただ行った国の数を増やすことにあまり意味はないということ。そして若いままに挑んでいたら、もしかしたら全く違う結論を出していたかもしれない、と今は思っています。

日本を知って、自分を知って、日本で数年働いて、そして出てきた海外。
その地で、これまでの経験を活かしどこまで自活できるのか。できたのか。
このことに注力することで得られるものは、大きいものであるはずです。


10.現地就職という選択肢がありました

確かに一番早い海外移住はワーホリだと思います。でもこれには上述の通り年齢制限があります。そこで私が最近、目指しているのは現地就職です。
なんとなく海外といえば、イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド等々ワーホリ先の国々を想像してしまいます。でもこれらの国はビザが難しいからと、早々に海外移住そのものを諦めてしまいがちです。私はそうでした。でも、実はアジア就職、という選択肢があります。私も実は、今の仕事でマレーシアに頻繁にいくまでは、なかなか思いつきませんでした。
年間を通して温かいところが多く、物価も安い場所も多く、なによりご飯が美味しい!2019年末にはアジアのどこかで、住んでいるかもしれません。


読んでいただいてありがとうございます。
面白かったら「♡」をお願いします。
全力で私の愛をお返しします!

よくいく居酒屋のハイボールは、1杯190円です。もちろん深い意味はありません。