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みずほ、迷走の20年 をよんで 社会のひずみについて思索する

今回は書評ですが、この著書は、大きなインスピレーションを得ることが出来ました。
本文の内容は、みずほフィナンシャルグループの迷走ですが、その下地(=政府の政策)を掘り進めることによって、小理屈野郎の職域(産業クラスター)の迷走というか、とんちんかんさも重なって見える ようになりました。

そのような思索を中心に書いていきます。

では、書籍のメタデータを貼っておきますね。

今回も読書ノートからの書評ですので、小理屈野郎の読書ノート・ローカルルールの凡例を以下に示しておきます。

・;キーワード
→;全文から導き出されること
※;引用(引用の背景で示されていることもあります)
☆;小理屈野郎自身が考えたこと


書名 みずほ、迷走の20年
読書開始日 2022/07/15 19:10
読了日 2022/07/18 11:18

読了後の考察

内容の7割程度は、みずほフィナンシャルグループのこの20年間の不祥事の経緯について述べている。
確かに色々なことが絡まって、このような状態になっているのだが、もちろん組織としての問題があるが、それ以上に社会のシステム的な問題がある ような気がする。
みずほぐらい大きくなるとなかなかキビキビと動けない。そして、元々の派閥が絡んだややこしい問題が長い間弊害として残っていたようだ。
結局組織統制をなんとかしようとしてもがいてもどうしようもない。世代交代(みずほグループになってからの入社組がトップを担うようになったこと)が起こりだしてやっと、なんとか動きだしている 、という感じだ。今後のみずほに期待するしかないのではないか。
また、社会的なシステムの改革については著者の論考は参考になるのではないかと思った。

また、著書の最後の方では日本の金融財政や銀行業界の歴史について触れている。この内容が秀逸
これを読んでいると、現在の経済の低迷は宿命付けられている気がした。途中で転換ポイントが何点かあったが、それを素通りしてしまっているのだ。
これに気付いた今はそれを修正していくしかない。出来るかどうか、ではなくやっていかなくてはならない。

今回のみずほの問題はみずほ単独の問題ではなく日本の銀行および金融政策の問題だったということを再認識 した。

概略・購入の経緯は?

いつまで経っても迷走を続けているみずほ銀行。
以前にみずほ銀行システム統合についての著作を読んでみた。
前回も日経BP社の出版で、自分の感想には、

自分たちの報道の趣旨が正しかったことを伝える論調が強いが、そこまで前もって分かっているのなら、現実の結果にならないように動いていくのも報道の責任だと思う

と書いている。

今回は日本経済新聞出版、とのことだがどんな論調になっているのだろう。
相乗り銀行なので、常に陣地取りをしているのではないか。そのあたりを一度見てみよう。
そしてその陣地取りがどのようにすれば収まるのかについても考えてみたい。

本の対象読者は?

みずほフィナンシャルグループについて知りたい人
日本の金融政策について知りたい人(特に銀行行政)

著者の考えはどのようなものか?

みずほの組織としての問題

元々合併が続いた銀行3行がさらに合併 をしている。3行が縄張り争いをすることによってサイロ化がおき、問題が起こったときに協力しようという体制になっていない 。そして問題が起きた場合はトップや現場の人間を処分してしまう。トップはまだ良いとしても現場の人間を処分してしまうので、現場は萎縮し、特にシステム関連などの暗黙知がどんどん失われてしまう 。これが延々と続き、何度ものシステムトラブルを起こしたものと考えた。
また、トップと現場の風通しも良くなく、トップの結果優先に引きずられて現場が正しい手順を踏めなくもなっていた。

指名委員会等設置企業に早くからなっているが、結局ここでも、LIXILで見たように指名委員会への人事案の素案は会社側のCEOが出してくるものであったり、指名委員会が独自で出してきても関係当局との調整が難航したり 、とうまくいかない。特に銀行業界は規制企業の象徴でもあるので、どのような体制をとっても問題を起こしていたのかも知れないが。
規制がきつすぎるため企業としてフリーハンドとして動ける範囲が極端に狭いことも問題の一つだと考える。
そういう意味でも規制緩和はある程度必要 (どの分野で広げるか、どの程度広げるか、ということについては議論の余地はあると思うが)
また、規制がきつすぎるため、企業内にはその規制内で仕事をしていれば少々の問題を起こしても許される、という雰囲気があった のも事実。社会的な目と、企業内の目線が完全にずれていたところもあるだろう。これも規制の悪弊の一つだと思われる。

直接金融と間接金融

第2次世界大戦前からの金融政策の歴史を俯瞰している。

少し長いが、これを理解するとなぜ現在金融行政や経済がうまく回っていないかが非常にはっきりと理解できるだろう。
著者の思索は非常に明確で、かつ的を得ている。

終戦時の45年の企業の資金調達ルートは株式発行が6.1%まで減り民間金融機関からの借り入れが90.9%まで増えている。
第2次大戦後、連合軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本の金融システムを米国型の直接金融型へ転換しようと考えていた。短期金融は銀行が担い、長期金融は証券市場で、という発想。

朝鮮半島の緊張が高まると、日本の金融改革どころではなくなってしまった。(中略)金融システム改革よりも、日本経済の早期再建を優先(中略)基幹産業をいち早く立て直すには、直接金融市場の成長を待つ余裕はなかった。
民間銀行は温存され、解体が検討されていた日本興業銀行も存続が決まる。不動産金融の専門機関だった日本勧業銀行は1948年普通銀行に転換し、渋沢栄一が設立に関わった第一銀行と後に合併する。安田財閥の解体によって銀行部門が富士銀行として再出発することになるのも48年。

終戦直後の日本は投資マネーを欠いていたが、民間銀行が希少な預金をかき集めてそれを重点産業に絞って集中投下すれば、鉄や電力といった基幹産業をいち早く再建できる。(中略)昭和41年の経済白書によると「産業資金需要は昭和30年代の年平均で約5兆8000億円に達したが、そのうち内部資金でまかなえる部分は41%に過ぎず、企業は資金不足を外部金融で補填しなければならなかった」という

→資金不足は本来は短期融資を専門とすべき民間銀行が長期融資を行ったということ。

1946年には吉田茂内閣が特定分野を選んで資金を重点的に投じる「傾斜生産方式」を策定する
投資家自ら資金の投下先を決める直接金融では、これほどの集中投資は難しかった。

→☆なんだかこのやり方、小理屈野郎の職域が属しているような、他の規制のきつい産業クラスターとも似ているような気がする。
本来は公益的な業界の整備などは国や地方自治体が率先してやるべきなのに、お金がなかったために民間に委ね民間企業が非常にたくさん出来ることになった。民間の力を使うだけ使って、過剰になったら締め上げる方向に来ている。そして当該クラスターの準拠法律における法人に関する記述も、公的法人的な性格といわゆる会社法的な会社の性格とをハイブリッドにしているので税制などで非常に大きな問題が出ている。日本政府はどの産業クラスターにも同じような姿勢で臨んでいた(特に規制型産業クラスターの場合) と思われる。

政・企・銀の三位一体でのキャッチアップ体制ができあがっていた。
池田内閣は「所得倍増計画」で知られるが、国内産業に成長マネーを供給するため人為的な低金利政策を敷いてもいた
政府と企業、銀行の三位一体での輸出主導型の経済成長モデルはアジアに移植され、中国も間接金融を中核としたこの戦略で後に世界2位の経済大国に躍り出た。
70年代までは貸出金利から預金金利を差し引いた「貸し出し利ざや」が3%超もあった(現在は1%にも満たない)
銀行は長期資金を出すことで企業経営にも深く関与していく。いわゆるメインバンクとなった銀行は、取引先企業が経営危機に陥れば資金支援だけでなく経営陣まで連れてきて救済(中略)銀行は日本産業の資金の貸し手としてだけではなく、最後の砦としても機能(中略)政府は銀行を「護送船団方式」によって手厚く保護
ただ、日本の銀行には「経営」はなかった。(中略)預金金利も貸出金利も規制で明確に定められ、銀行は預金を集めて融資を増やせば自動的に利益が出た。

→興銀ではそもそも80年代まで厳密な意味での収益計画というものすらなかった
☆そりゃ、そうなるだろうな。しかしそれでも成長できる余地があったということ。
成長フェーズでは少々やり方が間違っていてもそれなりにうまくいく 、ということをこれが示している。

問題は戦後の成長モデルが行き詰まった80年代時点で、金融システムに次世代への備えが全くなかったこと

→上記のような経過でぬるま湯の中での業界では、このような雰囲気にはならないだろう。あくまでも振り返り(後ろ向き)の検討だからこそ出てくる結論でもある。

日本経済に必要だったのは、世界をリードする次世代産業を自らつくっていく「先端国家型の経済システム」だった(中略)新ビジネスの成功と失敗を効率よく切り分ける市場機能が必要になる。銀行の判断に頼る間接金融ではなく、よりビジネスの自然淘汰を可能にする直接金融が適切

→☆株式上場を考える企業は今でもあると思うが、ここまで根源的な思索を行っている企業はほぼないと思われる。そういう意味でも日本人や日本社会の経済観念はかなり未熟なのかも知れない。

リーマン・ショックの震源地だった米国が、そのリスクを世界中に分散して皮肉にもいち早く立ち直ったのは、同国が直接金融型のシステムだったから(中略)銀行の体力が盤石だった80年代までに直接金融への転換を進めておくべきだった

→☆バブルの頃に株式上場や資金調達の方法をシフトしていたらここまで悲惨な状況になっていなかったのかも知れない、という結論が自然に導き出されている

著者の洞察はおそらく正解だったのだろうと思う。
失われた30年(20年)について色々な方向からの考察があるが、この考察が一番社会状況等を見回してもすっきりと説明できていると思われる。

70年代後半になってようやく社債市場が自由化され、80年代に入ると外為法が改正されて、海外十も原則自由に資金をやりとりできるようになった。85年には大口預金の金利が自由化され、金利の引き下げ競争で銀行の貸し出し利ざやは急低下
銀行は間接金融のシステムを温存したまま、これまでの産業金融から不動産金融へと突き進む。

キャッチアップ型経済から先端型経済へ濃厚が進まず、銀行部門は金融自由化を進めながらバブル崩壊にも対処しなくてはならなくなった
金融行政も司令塔としての役割を十分果たせなくなった。
金融が経済成長を後押しする「信用創造」は損なわれた。

みずほ迷走の原因

1.3行統合後のグランドビジョンが全くなかった

生き残ることが目的だった。
生き残りを書た戦いになると、みずほはその底力を発揮する。ただ、組織存続という目的が達せられると、目指すべき進路は持たないままさまよう。

2.旧3行の統合後、個々人の持つ優れた能力を結集するのではなく、3行の縄張り争いの中で発散して無駄遣いしてしまった
☆この争いで不祥事が起こり、例えばシステムの責任者などが解雇される。これによってシステムの暗黙知が失われ、さらに深刻なトラブルを起こす 、といったようなことが起こる。

3.大企業が持つ「無謬主義」が障壁となってシステム障害など失敗の原因を根本から分析して活かす仕組みがない

→☆これは第三者が振り返り(後ろ向き)で思索したら簡単に思いつくものではある。
しかし渦中の人間はその渦に飲まれていてほぼ気付いていないと思われる。
この前提を抜きにしてさも当たり前に書く論調が日経BP系の雑誌や著書には多い気がする。

著者の描くみずほ再生プランの4つのポイント

※まずは組織のグランドビジョンを描くこと
※核となるのはグリーンとデジタル。

1.グリーンファイナンスの先導役に
2.DXで早期キャッチアップを
3.グローバル金融の再挑戦
4.社会の確固たる経済インフラに

→☆コンサルティング会社の回答のような模範解答だろう。
著者は提言をしているが、著者がこれを完遂できるかはまた別の問題のような気がする。(少しきついが)

日本全体の金融再生プラン~著者の提案~

1.チャレンジ型の金融規制に
→☆日本社会全体が失敗を許容できなくなっている(それも極端に)。
2.超低金利政策の見直しを
→☆結局物価上昇、金利のある状態でないところが低成長に結びついている、ということが非常によく分かる著書であった。これは非常に納得のいくところ。
3.直接金融の体制整備が必要
→☆確か銀証(銀行と証券会社)分離が出たのは、日本ではめちゃくちゃな直接金融が一時跋扈したということが原因、と聞いていたが、そういうことも今は起こらないのだから揺り戻しをしていく必要があるということだろう。

著者の結論

日本の銀行は興銀ビルの花崗岩に代表される重厚さがステータスとなったがその鈍重さは21世紀の時代の変遷から取り残される要因にもなった。
今の銀行に必要なのは「謙虚さ」。(さらには)銀行に再び日本経済をリードする役割を求めようとすれば、謙虚さだけではやはり物足りなくなる。一時期の銀行にあった傲慢さではなく、今度は豪胆さを持って経済社会の未来をを描いてもらいたい。

※今また必要なのは有能な人材

その考えにどのような印象を持ったか?


みずほの中でのことについてはほとんど噂話を詳細に調べた、ということのように見えるが、その核心は金融行政の不備、というところがかなり大きいな、と思った。
著書はみずほのゴタゴタをよんでいるとただの人事抗争であったり、それに付随する業務執行の悪さだったりしたが、もちろん組織として問題もあるが、それ以上に金融行政がそれを誘発しているとも考えられた。
住友系は許永中問題を起こしているし、りそなもいったん国有になっている。どのメガバンクも何かしらかなり大きな問題を起こしている。そういうことは結局金融行政の悪さの証左でもあるのではないか?

類書との違いはどこか

100年近いスパンで金融行政を俯瞰しているところ

関連する情報は何かあるか

みずほ問題の書籍、というより金融行政の著作と考えた方が良い。
金融行政についても細かな情報が満載である。

まとめ

日経BPの書籍にしては珍しく非常に洞察に富んだ著作であった。
だいたいは外れでタイトルだけが秀逸、ということが多い日経BP社の著作の傾向だが今回はあたりだった。

また、政策は社会をつくるのに非常に重要であることがよく分かった。銀行や小理屈野郎の属している産業クラスターは岩盤規制が敷かれている、といわれるクラスター。そのクラスターはフリーハンドな部分が狭いので、現在のような低成長になると途端にうまくいかなくなる。
そしてうまくいっていたとき、というのも「民間の活力を使う」などとして弥縫策に走っているが、それはやはり弥縫策でしかなくて、大きなボタンの掛け違いとして社会に禍根を残していく。

業界は違うが、この著書は小理屈野郎の産業クラスターを見ているような既視感を覚えた。


小理屈野郎の職域が属する産業クラスターも起こっているここの現象は違うにしても通奏低音は同じようです。
現在監督省庁が躍起になって方向転換をしつつありますが、なかなかうまく行かないようです。
戦後、特に朝鮮動乱前後のゴタゴタは、日本を成長させたと結論付けられることが多いですが、その実その後の社会の矛盾の種を巻いたとも考えられると思いました。
歴史観を経済成長、という目で見るのも一つの見方だと思いますが、現在の状況から振り返りつつ歴史を見直す、という作業も必要ではないかと思いました。

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