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読了後の満足感
淡々と読書は続いています。
ここ最近、読書感について気づいたことがありましたのでまとめてみました。
自分にとって適切なレベルの本とは
読書を続けていると、読了後の満足度が高いと思う本もあれば、あまり高くなかったと思う本もあります。
あまり一冊一冊の読了時の読書感(満足度)については一喜一憂せず、淡々と自分の思索の世界を広げる意味で読書を続けています。
読了後の満足感の差異をを淡々と感じながら読書をしていましたがそこには法則性があるように感じるようになりました。
読書をするときの本のレベルとは
ここでは、本のレベルとは自分の理解力との相違と定義して考えることとします。
適切でないレベル(自分の理解力より下)の本を読んだとき
読むのは簡単で、自分の持っている思索の領域からはみ出ない本が中心になります。
語り口が非常に読みやすい場合は、すごい勢いで読めます。おそらく展開が読めるからだと思います。そして紙媒体でも電子媒体でもページをめくる必要はありますが、電子媒体の方が反応が早く、読了までのペースはさらに速く感じます。
もちろん、批判的(内容を吟味しながら)読んでも、失礼な言い方になるかも知れませんが、自分から考えると著書の思索の世界が狭い場合はそれに立脚した自分の思索になりますので、こじんまり収まります。これも読書のペースが速くなる理由でしょう。
読了後読書ノートを付けているのですが、そこで用意されている質問をフラグに書き出していくわけですが、出てくることが少ないです。
批判的に振り返っても少ないです。
結局自分の思索の領域を広げられないからでしょう。
以上より、このような書籍は読んでもあまり満足感が得られないようです。
適切なレベル(自分の理解力より少しだけ上)の本を読んだとき
このような著作を読み出すと、最初の前書きや、1章目などは少し手強い感じがします。そして手強い中にもちょっとした手応えを感じます。
大体最初の3分の1ぐらいは、著書の世界(新しいワールド、「勉強の哲学」的に言うと新しいノリ)を俯瞰し、体感するために、ゆっくりとかみしめながら読む必要があるので少し時間をかけつつ、著者の思索の領域を確かめるように読んでいくことになります。
次の3分の1ぐらいは、「新しいノリ」がはっきりしてくるのでそれを確かめながら、納得しながら読むことになってきます。だから少し読むスピードも上がってくるし、理解の深さも上がってくることになります。最初の3分の1ぐらいの内容を補強するような感じで自分の思索の範囲が広がってくる感じです。
そして、最後の3分の1は完全にノリにはまってきます。だからいいペースで読むことができるし、新しいものを吸収している実感もわきます。
読了後、晴れやかな気分になることが多いです。おそらく自分の思索の領域が拡張されるからだと思います。
そして読了後の読書ノートを書くに当たっても、新しく拡張できた内容を復習するような感じでドンドンかけます。もちろん私の読書ノートの質問に答えることによって、ちょっと忘れかかっているような内容でも容易に思い出すことができて、読書ノートがさらに進みます。
まとめ終わった後で、Evernoteに保存するのですが、そのときにもう一度ハイライトや読書ノートの内容を見直します。そこで読了後の感じをみずみずしく思い出すことができることが多いです。
こんな感じですので、読了後の満足感はかなりのものです。
こういう経験を積むと、読書は本当に楽しいなと実感することができます。
適切でないレベル(自分のレベルより上)の本を読んだとき
前書きや1章目を読んでいるときに手強さを感じます。そして、なんとなく読み進めるうちに手応えを感じるのですが、適切なレベルの本を読んでいるときより、それは希薄に感じます。
最初の3分の1あたりまで読んでくると、著者の思索の世界と自分の思索の世界との乖離を感じます。大体の本は少しでも重なる領域があるのですが、それがほぼ感じられない様な感じです。
さらに完全に著者の思索の世界を体験しようと思っても重なる土台がないのでなかなか理解が難しくなります。
こうなると吟味しながら読んでも先まで進めません。
結局、途中まで読んで、他の本に目移りがして、そのまま、という結果になります。
現在までに700冊ぐらい電子書籍を読了しているのですが、ここまでの内容になったのは10冊あるかないかですが。
そうならない本でもとりあえず読んでみますが、あまり自分の思索の領域も広くならないし、読むのも苦痛です。
せっかくお金を払っているので(貧乏根性丸出しwww)、と読んで行ける本もあります。
もし、読書がとりあえず進めることができた場合、次の3分の1ぐらいはまだらな理解にとどまります。最初の3分の1で著者の思索の世界の俯瞰がとれないからだと思います。
さらに読み続けることができた場合、最後の3分の1は、少し読書は早くなりますが、あまり内容は頭に入らないようです。
このようにして苦心して読んだ場合でも、いざ読書ノートを書こうと思っても何からかいていいのか分からないし、フォーマットの質問に答えても書き出そうと思えることがないです。
おそらく小理屈野郎の思索の領域の狭さが原因なんだと思います。
なんだかきまずいおもいがのこります。
どれにも当たらない本を読んだとき
はじめに、を読み出したところで躓いてしまう、明らかにこれは問題だと思えるような問題設定をしている場合などがあります。
このような本は数冊しか出会ったことはありません。非常にレアなケースと思っていいのではないかと思います。
おそらく紙媒体の本を買う場合は、少しだけでも本の中身を見てから買いますよね。ここでそういう本ははじかれているものだと思います。電子書籍では、サンプルで読めることもありますが、サンプルを読んでから本を買う、というのはなんとなく面倒なのと、Kindle端末では、サンプルは未読本と別に表示されるので、見に行く手間があります。
ということから、電子書籍になってから少しだけこのカテゴリーに入る本は増えているような気がします。
とりあえずこういう本は置いておくことに限ると思います。
自分の思索の領域が広くなったときに適切なレベルの本になるかどうかもはっきり分かりません。(どのように自分の思索の領域が広くなるかも想像が付かないので)
この手の本は、お金の無駄、という風に考えるのではなく、こんな本もあるのだな、ということを知ったことに価値があると思っています。特に刊行されている本の場合は編集者が入って、それなりに内容や表現を吟味されて上梓されているわけですから、世の中的には一定のクオリティーは保たれていると言うことですから。
どのように本を読んでいったらいいか
適切なレベルの本をたくさん読めば、自分の思索の領域も広くなってくるので、読了後「この本は、あの本とあの本を読んで思索の領域を拡張できていなかったら読めなかったな」という本が出てくる経験を幾度となく経験してきたので、理論的には適切なレベルの本を途切れることなく読み続けることが一番いいんだと思います。
しかしこれは理論上は可能でも実際は不可能に近いことだと思います。自分にとって適切なレベルの本は、そのような本を読むと少しずつ上がってくるわけです。また、読書をすることに加えて読書ノートを書いたり、noteで書評や思索を行うアウトプットをすることによっても思索の領域が広がって居るはずです。つまり読書とアウトプットとで自分の思索の領域の拡大が起こってくるわけです。
この「少しずつ」が問題で、「階段1段分」上がったのかなのか「建物1階分」上がったのかは自分ではほぼ分かりません。
書籍を選ぶときのコツは?
ですので、書評を参考にしたり、読んでいる本の中で薦められた本の説明を見て、引っかかったものについて買って読む、ということしか今のところは方法が無いと思います。
まだまだ知らないことはいっぱいあります。まだまだこの方法でドライブは可能です。
まとめ
読後の満足感の違いから、どのような本が自分には適しているのかについて考えてみました。
適切なレベルの本に巡り会うには、やはりたくさんの本に当たることが重要だと思いました。
それを踏まえた上で書籍を選ぶときのコツを再考してみました。コツコツとやる以外はあまりいい方法はないようです。
これからも時折読了後の満足感を振り返りながら、未知の本に巡り会っていきたいと思います。
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