noteの個人的な原点はmixiだった
noteを初めて数ヶ月。色々書くテーマが二転三転としつつも続けてきて、もっと色々な人と繋がれたらと思う今日この頃。
(みなさまよろしくお願いします。)
色々な人のnoteを読んで、人それぞれ様々なテーマや内容があって面白い。
勉強にもなるし、知見を広げられるし、なによりみなさん文章が上手い。
「この人の書く文書をまた読みたいな」
などと思っていると、なにやらこの感覚は前にもどこかで味わったことがあると思い出した。
mixiだ。
マイミクの人の日記を毎日読みまくっていたあの時の感覚とどこか似たものを、noteでも感じる。
mixiでもmixi上で日記から繋がった人が何人かいた。
mixiはどちらかというと完全に「日記」で、noteはエッセイであったり知識を売っていたり情報を発信していたりとそれぞれ正確な分類は「日記」とはまた違うが、その人の思いを読むというところはどこか似ている。
だから「その人の文章を読む」という点で、mixiをしていたころと同じところにnoteの楽しさの原点がある。
以前読んだ漫画「ハンチョウ 一日外出録」に、mixiを開いて過去の日記を読むという話があった。
過去の日記を読んでとてつもない恥ずかしさに登場人物が悶絶する姿がまた面白く、漫画を読んでひと笑いした後に真似して1人でこっそりmixiを開いてみた。
パスワードなどすっかり忘れており開けなくても仕方なかったが、思いの外すんなりと開けてしまい自分の過去の日記を読み返す。
これは恥ずかしい。
こんなものが未だに残り続けている。ここは地獄か。
勇気のある人はぜひ。
※自己責任でお願いします。
マイミク一覧を開いてみると、懐かしいマイミクさんたちの名前がずらっと並ぶ。
「いたいた、この人」
どの人も前回ログインが三日以上前。おそらくどの人も前回ログインは三日前どころじゃない。
みんな元気しているだろうか。
顔も知らない人たちとの交流を初めて経験させてくれたのがmixiで、ガラケーのボタンを連打しながら色々な人の日記を読んではコメントを残し、自分の日記も書いてコメント返信をマメにしていた記憶が蘇る。
mixiは、色々なところに住んでいるマイミクさんの日常や景色や習慣を見ることができて楽しかった。
住む場所や頑張っていることや考え方がそれぞれ違い、それを知ることで見識が広がり刺激になる。
マイミクさんの日常にあった嬉しかったことや楽しかったことと共通したことが自分にもあると、それを「嬉しいこと」として再認識できた。
人と繋がり感覚を共有できると、1人だと見落としていたかもしれないことに気づいて充実した気持ちになれる。
端的に言うと、「世界が広がり深まった」
今ではmixiを見ることがなくなったが、そのぶんnoteを見ている。
mixiの日記よりももっと絞られたテーマや伝えたいことにフォーカスされたnoteの記事は、書き手の思いがど直球で伝わってくる。
読むたびに自分の生活がブラッシュアップされていく感覚がきっと病みつきで、noteを毎日開いているのだろう。
あのときmixiで得ていたものがまた欲しくて。
noteもmixiも、自分がそこにハマってしまう原点は人との繋がりかもしれない。
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