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朝鮮半島ダービー 歴史

 2009年以来10年ぶりにW杯予選で顔を合わせる韓国と北朝鮮。(両国の対戦自体は2017年のE-1選手権以来2年ぶり)
しかも平壌で試合を行うのは、韓国ノ・テウ政権時代、一時的に両国の関係が良好だった1990年の国際親善試合以来29年ぶりである。同じ民族が暮らし、国境を接する隣国ながら、政治的な理由からなかなか北朝鮮の地で両国が試合を行う機会は少ない。W杯の出場権をかけて韓国が北朝鮮と平壌でガチンコ勝負するのは今回が初めてである。
 この投稿では、“朝鮮半島ダービー”の名勝負の歴史を振り返っていきたい。


両国の対戦成績

ちなみに韓国と北朝鮮の対戦成績がこちらだ。

 両国の対戦は、韓国が16戦6勝6分1敗で勝ち越している。80年代後半〜90年代、韓国代表のエースストライカーとして活躍したファン・ソンホンが“北朝鮮キラー”だったのは意外と知られていない。
しかし、2000年以降は8試合でわずか2勝。2010年W杯南アフリカ大会のアジア予選では、計4度対戦をしているが、ホームで1勝を挙げるのがやっとだった。
対戦成績から分かるように、この両国の対戦は実力差に関係なく毎試合拮抗した試合展開になる。


1978, 南北分断後、初の朝鮮半島ダービー

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 朝鮮半島が北朝鮮と韓国に分断され、両国が初めてサッカーの試合を行ったのは1978年にタイで行われたアジア大会の決勝だった。
 この大会韓国は1次リーグでバーレーン(5-1)、クウェート(2-0)、日本(3-1)に3連勝。続く2次リーグではマレーシア、中国にそれぞれ1-0で勝利し、開催国のタイにも3-1で快勝。全勝で決勝まで勝ち進んだ。 
 1966年のイングランドW杯でベスト8の好成績を残した北朝鮮代表は、この頃までアジア屈指の戦力を保持しており、1次リーグでタイとビルマにそれぞれ3-0で勝利。最終戦でクウェートに2-2で引き分けるも、1位で決勝進出を果たした。
 そして、この大会の決勝で韓国と北朝鮮は1945年以降初めて国際大会で対戦する。
実は朝鮮半島分断直後の1946年には、ソウルで“京平戦”を行ったことがあった。しかし、国家代表の試合として国際試合を行うのはこの試合が初めてだった。
バンコクスタジアムで行われた韓国対北朝鮮は、90分+延長戦30分でも決着つかず、当時PK戦ルールがなかったために、韓国と北朝鮮の共同優勝という形になり、金メダルが2チームに配られる珍しい大会の終わり方となった。
 ちなみにこの大会の韓国代表には、後に欧州のリーグで活躍することになるホ・ジョンモやキム・ジェハン、パク・サニン、チャ・ボムグンがいた。


1990, 分断後初の平壌での試合

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1988年から1933年まで続いたノ・テウ政権時代、韓国と北朝鮮は一時的に関係が良好だった。1990年は韓国で卓球、ハンドボールの世界大会が開催され、韓国政府は全ての大会で北朝鮮代表チームを招待した。南北交流が盛んになり、そのような経緯からスポーツを通じた和解ムードが高まり、これに北朝鮮も好意的だった。
 そして1990年の10月の南北首脳会談の開催に合わせ、9月に北朝鮮側から平壌とソウルで南北戦を行う提案を受ける。一時合意取り消しの報道なども出たものの、男女サッカーの試合を平壌とソウルで行うことが決定した。
 当時アジア屈指の実力を誇っていた韓国が有利と見られたていたが、ホームの北朝鮮の圧力に屈し、韓国は1-2で敗れてしまう。
この試合で韓国のゴールマウスを守ったチェ・インヨンは後のインタビューで、この試合を裁いた審判が北朝鮮の審判団だったことが不満だったと述べており、北朝鮮人の主審が「ペナルティーボックスにボールを入れろ!」と選手に指示していたのが記憶に残っているとのこと。事実、北朝鮮の逆転ゴールはクロスボールを入れた際にボックス内で北朝鮮の選手が倒されて得たPKだった。


1993, ドーハの奇跡

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 1994年W杯アメリカ大会のアジア最終予選、韓国はサウジアラビア、日本、イラク、イラン、北朝鮮と同組に入った。最終戦キックオフ前の時点でサウジアラビアが1勝3分で勝ち点5、日本は2勝1分1敗で勝ち点5、韓国は1勝2分1敗で勝ち点4だった。(当時の勝ち点計算方法は勝ちが勝ち点2、引き分けが勝ち点1、負けが勝ち点0だった)
韓国がW杯出場にするためには、日本又はサウジアラビアが引き分け以下、韓国は得失点差を埋めるために出来る限り多く得点を挙げて勝利する必要があった。
そして出場国が決まる最終戦は、カタール・ドーハの地で試合操作防止のため、3試合全て同時キックオフ。韓国はエースストライカーのコ・ジョンウン、ファン・ソンホン、ハ・ソクチュの3ゴールなどで3-0で北朝鮮に快勝した。
その頃サウジアラビアとイランの一戦は4-3でサウジアラビアが勝利。日本とイラクの試合は2-1で日本がリードして後半ATに突入していた。
皆さんご存知の通り、この後試合終了間際にイラクのセットプレーから日本が失点し、2-2で試合が終了する。日本は初のW杯出場を逃し、後にドーハの悲劇と語り継がれるようになる。

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韓国は最終戦で勝ち点で日本に並び、得失点で韓国が+5、日本が+3でわずかに日本を上回りW杯出場を手にする。日本で“ドーハの悲劇”と語り継がれる一方で、韓国では“ドーハの奇跡”と語り継がれる。
また、韓国では日韓両国のサッカー代表チームがライバル関係を意識し始めたのが、このW杯アジア最終予選からだと言われている。


2009, 南アW杯 南北共に出場へ

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 2010年W杯南アフリカ大会のアジア予選では、韓国と北朝鮮は3次予選と最終予選合わせて4度対戦した。この頃の北朝鮮代表のメンバーには、鄭大世、安英学などJリーグでプレーする在日朝鮮人選手に加え、ロストフでプレーしていたホン・ヨンジョなどが好調で戦力が充実していた。
また、韓国代表もホ・ジョンム監督が就任し、初陣のチリ戦の敗戦以降、20試合連続無敗を続けていた。
 3次予選の対戦は、ホーム&アウェーで2試合ともスコアレスドロー。最終予選ではアウェー上海で1-1で終えた後、2009年4月1日に、韓国はソウルで北朝鮮を迎えた。この時点で北朝鮮が最終予選首位に立っており、韓国は勝ってW杯出場を確実なものにしたかった。
サウジアラビア、UAE相手に2試合連続で完封勝利(2-0)を収めていた北朝鮮の守備は、欧州で活躍するパク・チソン、パク・チュヨンらを擁する韓国の攻撃陣を上手く抑えていた。
試合が動いたのは後半43分。ファウルから得たFKをイ・グノと交代で入ったキム・チウが左足で上げたボールがそのままゴールに吸い込まれた。そしてこのまま1-0で試合が終了。W杯予選での朝鮮半島ダービー4連戦は、韓国が1勝3分とし、予選首位でW杯出場を決めた。一方の北朝鮮も続くイラン、サウジアラビアにスコアレスドロー。
この年史上初めて南北揃ってW杯出場を決めたのであった。


2019, 最終予選進出をかけて平壌へ

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今月15日、平壌の金日成競技場で韓国と北朝鮮の試合が行われる予定だ。
トッテナムで活躍するソン・フンミンと先日イタリアの強豪ユベントスに移籍したハン・グァンソンの対戦は、韓国では大いに盛り上がっている。しかし、北朝鮮側が未だに韓国のテレビ局の放送を許可していないとの報道があり、久しぶりの平壌での朝鮮半島ダービーが映像に残らない可能性もあるという。加えて、韓国人のサポーターやメディアも現地入りができない。
完全アウェーの朝鮮半島ダービーの雰囲気は見てみたいものだが、未だ中継するテレビ局が決まっていないため、視聴は難しそう。AFCとFIFAの公式HPが提供するメール中継で文字中継が確認できるそうなので、チェックしてみるのもいいかもしれない。

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