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オリンピックBMXオランダ代表選手達のドラマと悲しみを強さに変えた金メダリスト ニック・キンマン選手

勝手に広報のコーフボールママです♪

オリンピックも終わりが近づきましたね。コロナ禍で思うように練習が出来なかったり、試合を制限されていたアスリートがオリンピックの晴れ舞台で活躍しているのを見ると、応援している私たちも胸が熱くなる思いがします。開催に関しては色んな意見があると思いますが、素晴らしい舞台を提供して下さいました日本の皆様に感謝をしています。私はオランダにいますので、オランダ人選手の今までの苦労や経緯などを番組や、インタビューを通して知り得る機会が色々あります。
今回は、オランダBMXチームでオランダチームの史上初めての金メダルを獲得したニック・キンマン選手に関して書いてみたいと思います。

大会前の練習中にコースに入った審判員の方と衝突して、自身も負傷したにも関わらず審判員の方を気遣う言動をしたり、オランダに帰国する際に成田空港で日本語で感謝のツイートをしたBMXのニック・キンマン選手。彼の神対応にオランダ人が好きになった方も多いのではないでしょうか。

衝突事故で負傷した直後は、これで5年間の苦労は全て泡に消えて夢は終わってしまった。と涙を浮かべて歩いたそうですが、お医者さんのアドバイスに従って事故後は全く練習せずにとにかく休息を取り、本番は痛み止めを飲んで決勝戦に挑みました。とにかく自分が持っているもの全て出し尽くしたし、たとえそれが5位と言う結果になったとしても自分は自分の事を誇らしく思っていましたが、それが金メダルという結果になって本当に嬉しいです。と、インタビューで答えていました。

私自身はBMXというスポーツがあるのは知っていたのですが、キンマン選手が見事金メダルに輝いた試合直後のインタビューの中で涙ぐみながらイエレ・ファン ホルコン選手の話をした時に初めてオランダBMXチームのドラマを知りました。

決勝戦と試合後のキンマン選手へのインタビューそしてスタジオで解説していたファン ホルコン元選手へのインタビュー動画が載っています。(オランダ語)

試合後のキンマン選手へのインタビュー

試合後キンマン選手が涙ぐみながら話してくれたジャーナリストとのインタビューのやりとりを簡単に訳してみました。

キンマン選手:  3分8秒から
北京オリンピックでは、ロブ・ファンデン ウィルデンベルフが決勝戦に出場し、ロンドンオリンピックではラウラが僕らのために銅メダルを取ってくれて、イエレが(リオデジャネイロオリンピックで)銀メダルを取って、僕たちはたった一つの夢、オランダのために金メダルを取る事を夢見てきたんです。それが今なんです。(涙ぐむ)

ジャーナリスト:
イエレは今、私達の(オランダの)スタジオにいますが、彼に言いたい事はありますか?

キンマン選手:
メッセージ送ってくれましたよ。彼が転倒した後から、僕はどんなに良い事や悪い事が起こったとしても自分が持っている全てのものを常に出そうって決めたんです。自分が全部出し切っていなかったって後から後悔する事だけはしたくないんです。たとえ今日5位になったとしても自分にとっては成功だったんです。なぜなら、自分の持っている全ての力を出し切って戦ったんですから。それが金メダルになったなんて素晴らしいです。

このインタビューを聞いていて、あれ?どうしてイエレが銀メダルを取ったと言った時に涙を流しているの?イエレがスタジオにいるって、今、スタジオで試合の解説をしていて、ちょっと視線の動きとか顔の動きが不自然なところがある解説者の事?え?イエレが転倒したってどういう事?と、イエレ元選手に何が起こったのか全く知らなかった私は、何があったのか調べてみました。

イエレ・ファン ホルコン選手

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2016年リオデジャネイロオリンピックで銀メダルに輝いたイエレ・ファン ホルコン選手

2021年現在30歳のファン ホルコン氏は2012年当時21歳の時に試合中に転倒し、肺損傷、肋骨骨折、脳震盪の負傷を負い3日間昏睡状態でした。事故当時の事は全く覚えていないそうです。その後2016年のリオデジャネイロオリンピックで銀メダルを獲得するなんて物凄い選手です。

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キママン選手も2016年当時、足首を負傷するケガを負っていましたが、リオデジャネイロオリンピックでは一緒に決勝戦に出場して7位に入賞しています。その時にキママン選手とファン ホルコン選手は東京オリンピックでは必ずどちらかが金メダルを取ろうと約束をしました。

2012年の事故から奇跡的復活を遂げて銀メダルを取ったファン ホルコン選手に2018年1月9日に信じられない悲劇が襲いました。パーペンダルにあるオランダトップスポーツセンターでの練習中に、関係者以外がコースに入らないために張られていたチェーンが外されていなかったため、それに気づかなかったファン ホルコン選手はチェーンに引っかかり前方に転倒し、右前方頭部を強打しました。肋骨骨折、顔面骨折、頭蓋骨にひび、脳、肝臓、脾臓、腎臓損傷で病院に運ばれ2週間昏睡状態でした。医者からは話すことも、歩く事も出来ない体になるかもしれないと言われましたが、またもや奇跡的な回復で2021年現在は身体に不自由は残るもののBMX解説者として活躍をしています。
事故当時キママン選手も一緒に練習をしていて、事故の一部始終を目撃していますので、彼のショックも計り知れなかったと思います。

事故が無ければ、東京オリンピックはファン ホルコン選手にとっては引退試合となるはずでしたが、彼の素晴らしいBMXキャリアは2018年に突然終わってしまいました。

https://www.nu.nl/jaaroverzicht-2018/5654030/jelle-van-gorkom-ze-dachten-na-mijn-ongeluk-dat-ik-kasplantje-zou-worden.html


ファン ホルコン選手への2018年12月のインタビューがのったサイトを見つけましたので簡単にポイントを要約したいいと思います。

「事故の前後とその後の4週間は何が起こったのか、全く記憶が無く、自分はなぜ病院で寝ているのか?という答えに父や監督が教えてくれたんです。」
「それで、チェーンが外されていなかったと聞いて最初のリアクションは何でしたか?」
「僕たちがチェーンの事を忘れていたのはバカだったなあ。って。」
「僕たちって言っているけど、誰かに責任をなすりつけたりしないんですか?」
「バカでしたよ。自分も含めてね。コースを降りる時にはまだチェーンがないのかいつも確認するのに、これは身体が自然に覚えていて自動的にやっていたんだけど、あの日はしなかったんです。誰かが外しているだろうって思いこんでた。」「自分が最初に降りるって言ったので、自分の責任です。」

「キママン選手が先に降りていたって事だってあり得ましたよね。」
「ニックの方が辛いと思いますよ。だって、事故の時の映像が頭に残っていますし、責任を感じているんです。でも、僕たちは親友なんです。この事故で絆がもっと強くなりました。」
「キママン選手と事故について色々話されましたか?」
「1度だけキチンと話しました。自分にとっては平気だったんですが、彼にとっては自分が言っている事はまだ分かりづらかったようで辛かったと思いますよ。」

その後もファン ホルコン選手のお話しは続きます。

事故当時は自宅に自立して生活することも出来ずに、24時間補助が必要な身体になるかもしれない。と、お医者さんから言われていたにも関わらず、奇跡的な回復力で左側半身が不自由になったが、少しずつ回復している。トップスポーツ選手として自分の全てを出し切るという姿勢がリハビリテーションでも良い結果を出しているのだが、その反面どうしても無理をしすぎてしまうことがあるので、やりすぎる前にキチンと休息をとるという事を学んでいる事。
事故の時の記憶が全くないために事故現場に戻っても全く平気で、他の選手を応援出来る事。脳に損傷がある人は結構いるのにあまり知られていないので、自分の話で光が当たり、他の方々も助けられるようにしたい事。2021年パーペンダルで行われる世界選手権での大使に任命された事。BMXチームのコーチになりたい事。左手が自然に動けるように集中的にリハビリを続けていくこと。10年前に脳に損傷をおこしたけれども未だに少しずつ回復している人の話を聞いて、自分はまだ若いので伸びしろはまだまだある。と思っている事。10年経ってもまだリハビリが続くと思うのって辛くないの?という質問に、もしかしたら未だに病院のベッドで寝ていたかもしれないのに、今は少しずつ前に進む事が出来るなんて素晴らしいですよ。

2018年1月に事故で大怪我をした後の同年12月にこのような前向きなインタビューが出来るなんて何という前向きで強靭な精神力を持った方なんでしょう。

2021年の7月のインタビュー

https://www.ad.nl/andere-sporten/bmx-held-jelle-van-gorkom-na-verlamming-kinderen-vragen-wanneer-ik-terugkom-dat-doet-pijn~afe6c415/?referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com%2F


オリンピック直前2021年7月にもファン ホルコン選手はインタビューに答えていますので、少しこちらも紹介したいと思います。

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このインタビューでも2018年に何が起こったのか、2歳から始めたBMXを30歳を迎える東京オリンピックで引退試合にするというプランを随分前から決めていた事が書かれています。頭からつま先まで左半身に麻痺が残り、左ひざから下にかけてサポーターをつけないと歩けず、良く顔を見てみると特に疲れている時は左側の口角が下がります。歩みはゆっくりで、スムーズには歩けず何分間か続けて歩く事は出来ません。脳の一部が傷ついているために左半身に上手くシグナルを送る事が出来ないのでリハビリテーションを続けています。80%は身体的障害ですが、見えない点では記憶障害や言いたい事は分かっていても上手く話せなかったりするそうです。

別のサイトに掲載されていた当時の彼女と一緒に受けたインタビューでは、事故後のイエレは事故前のイエレとは全く別人になってしまった。という元彼女のコメントを読みましたが、この7月のインタビューでは、共通の友達を通して知り合い、2年間付き合っている自分の彼女も脳に障害があり、お互いの事をよく理解でき、お互いをサポート出来ると書いてありますので、事故前に付き合っていた彼女とはお別れされたようです。

「認めて、前進しよう」それがイエレがインタビュー中に何度も発した言葉で、近日中に出版する彼の伝記のタイトルです。お医者様からは二度と自立して生活出来ない、車も運転する事が出来ない、と伝えられて「絶対そうはならない」と決心し、事故から1年半後には車を運転し、自立して生活をしています。彼がトップスポーツ選手として活躍していた時も「そんなことは無理だ」とみんなに言われても自分のやり方で成功させたりしていましたが、それをリハビリテーションでもやっています。リハビリテーションでやり遂げた数々の成功を思い出すことは、メダルの事を思い出すよりも簡単で楽しめるそうです。そこには人から無理だと言われてもやり遂げる頑固なイエレ、トップスポーツ選手のイエレを感じられるからだそうです。

子供たちから「いつBMXのコースに戻ってくるの?」と聞かれて、何度も同じ質問に答えていると心が痛くなる時もあるそうですが、ネガティブスパイラルにならないように気をつけているそうです。実際自分のスポーツでのキャリアは終わってしまったかもしれないけど日常生活で全てを引き出して生活しています。

家族、友達からの愛情、自分がまだ出来る事などを考慮して自分の人生を10点満点中8.5点として採点しています。リハビリテーションは楽な時ばかりだったわけではないけれど、そもそも人生は楽なものではないし、地球にまだ生きている限り、何かのレガシィを残すことが出来ます。企業や施設で講演会をするようになり、みんなをインスパイアしています。

イエレはこうも言います。何事も理由なく起こる事はないと信じているので、自分の事故と物語が他の人にとって何か意味を見出す事になるために起こったのだという風に思いたいです。イエレはお医者様から「もう治療する事は何もない」と言われた障害を持つ人たちのためのサポート施設を創りたいという事です。オランダにはまだそのような施設がなく、そのようなサポートこそが必要だと彼は考えています。

パーペンダルで8月中旬に行われるBMX世界選手権の大使でもあるイエレはオリンピックに2回参加したけれど、事故のせいで東京オリンピックに参加出来なかったという残念な感情で見るのではなく、BMXファンとして観戦します。

如何でしょうか?私は、これらのインタビュアーを読んだ後、再度キママン選手が金メダルを取った後にスタジオでインタビューに答えるファン ホルコン氏の動画を見てみました。

https://nos.nl/tokyo2020/artikel/2391614-kimmann-schiet-vol-na-eerste-bmx-goud-snap-er-geen-fluit-van-hoe-dit-kan


リオデジャネイロオリンピック決勝戦の動画を見つつ、コースの全てを覚えているというファン ホルコン氏、現役トップスポーツ選手だった時のようにリハビリテーションに励み、一時は植物人間になると言われていたが、こんなに回復して今は彼と同じように脳に障害を抱えている人たちのインスピレーションになり、励まして温かい気持ちになってもらえるように活動しています。「認めて前進しよう」という本を書いたと話すファン ホルコン氏。本来なら東京オリンピックにオランダ代表として舞台に立つはずだったので、少し心が痛い時もあるけれどBMXファンとして観戦しているそうです。

如何でしたでしょうか?どちらかが東京オリンピックで金メダルを取ろうと約束したキママン選手とファン ホルコン選手。
ファン ホルコン選手の大事故を目の前で見て、その後何があっても後悔なく自分の全てを出し尽くそうという気持ちで膝のケガも乗り越えて決勝戦で見事金メダルを取ったキンマン選手。試合後のインタビューで涙を流すはずです。

私の父も11年前に事故で頸椎損傷をして、同じようにお医者様から運が良ければ杖をついて歩けるけれど、事故後半年以内で改善されなければ症状は固まってしまうので、その後の回復は見込めません。と言われましたが、その後も根気強くリハビリテーションを続け、私が日本に帰国する度に出来る事が少しずつ増えています。お医者様が仰る通りに統計的に見ると「これ以上は良くならない。これ以上治療できることは何もない」という事となるのでしょうが、人間が持っている可能性というのは自分が諦めない限り、無限大なのだとファン ホルコン氏の物語を通して私は感じました。



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