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祖母と通った銭湯

十年ほど前に亡くなった祖母の家は長岡京の駅近くの西国街道沿いにあり、神足(こうたり)温泉という名前の、温泉ではない銭湯の隣にあった。銭湯が隣にあったためか、祖母の家の風呂は五右衛門風呂のままで、独り暮らしの祖母は家の風呂を焚くことは滅多になく、毎日隣の銭湯へ通い、銭湯が休みの日は、別の銭湯へ行っていた。

私と姉はよく祖母の家に泊まっていた。五右衛門風呂に入るのは恐ろしかったので、当然、隣の神足温泉へ行き、パジャマに着替えて帰るということを幼少期から続けていた。一人で体が洗えるようになっても、祖母と銭湯に行くと、しばらくは赤子のように抱かれて洗われるのが恥ずかしかった。自分で洗わせてもらえるようになってからは、洗った後に垢すりタオルでゴシゴシと体を擦られて垢を落としてもらった。祖母は早風呂で、たいてい先に上がって脱衣所で待っていた。私はいつの頃からかサウナにはまり、サウナと水風呂を交互に繰り返すのが好きで、いつまでも上がってこないので祖母から心配されることもあった。

すっかり銭湯に親しんで育ったが、中学生くらいの時に洗い場で顔を洗っていたら、隣のおばさんに「そんなにバシャっとお湯を飛ばさんといて」と注意されたことをきっかけに、周りのことも気にするようになった。銭湯には常連の客がいて、常連の客同士にも上下関係があるらしく、お湯の出が良い特定の蛇口を優先的に使用したりしていた。うっかり、にわか使いの私がその蛇口を使うと冷たい目線を受けることになるので、差し障りのなさそうな蛇口を選び、サウナでは入り口近くに小さく座るという、公共の場での振舞い方も銭湯で身に付けた。

銭湯では、顔見知りの客同士で背中を流し合う慣習があるが、祖母は他の客から背中を流されるのが苦手そうだった。私たちが「背中を洗おうか」と聞いても「かまへん、かまへん」と言い、いつも断った。戦争で夫を亡くして、一人で父を育てた祖母は、自分が誰かに何かをしてもらうことに対して抵抗感を持っていた。そういう祖母のプライドを感じる場面はよくあった。

神足温泉は番台にいたおじいさんが亡くなると、銭湯をたたんでしまい、隣はアパートになった。祖母は神足温泉が休みの日に行っていた天神湯に行くようになった。その頃には、祖母の家の風呂は五右衛門風呂のまま給湯器が付けられ、シャワーも使えるようになったが、独りで風呂場で倒れるよりは、知り合いのたくさんいる銭湯に行った方が安心だと言い、徒歩十分くらいの天神湯に通っていた。長岡京の駅前は再開発が進み、反対側の隣の布団屋は、道路が通るために立ち退きとなり、引っ越していった。マンションや大型スーパーが立ち、祖母の古い家は周りに取り残されたような感じになったが、祖母は戦没者遺族会の役員をやったり、旅行に行ったりと大変元気に過ごしていた。そのまま、いつまでも長生きしそうな祖母だったが、家で倒れ、二年ほど入院して病院で亡くなった。通夜の晩に、姉と姪とで天神湯に行ったのが長岡京で入った最後の銭湯になった。

今、私は京都市内のマンションに住んでいる。家に風呂があっても、たまには銭湯に行きたい。仕事が休みの日は、お昼にお好み焼きを焼いて、昼から酒を飲むのが最高だ。だらだらと飲み食いしながら二時間サスペンスの再放送を見て、途中で寝入って、起きたら夕方。サスペンスの犯人が分からない。分からなくても大して気にならないのが二時間サスペンスだ。日が落ちたら銭湯に行く。特に決まった銭湯は無く、歩いて行ける距離にある銭湯のどれかに行く。祖母が使っていたのと同じ、垢すりタオルのフレッサーと資生堂の洗顔石鹸ホネケーキをもっていく。


銭湯によってサウナ、薬風呂、電気風呂、ネオン風呂、ジェット風呂などがあったり、湯の温度も浴槽によって違っていて、それぞれを堪能しようとするとつい長居してしまう。鏡の広告やタイルの装飾、湯口のライオンや壺を持った裸婦像の陶器を見ながら、何も考えずに湯に浸かっていられる時間は至福のひとときだ。酒を飲んでサウナと水風呂を繰り返すと死にそうになるのでやめた方が良い。風呂から出た脱衣所に古めかしい体重計や、頭からかぶるタイプのドライヤーが現役で置いてある時は嬉々として使う。冷蔵庫のラインナップも気になるところ。ビールが置いてある銭湯はポイントが高い。まちの銭湯はノスタルジーに満ちた癒しの空間だ。

五月十四日の母の日に、祖母の墓参りに行ってきた。帰りに天神湯の前を通ったら、更地になっていた。神足温泉や天神湯に行くことはもう出来ないが、祖母と通った銭湯を思い出させてくれるまちの銭湯にこれからも通いたい。

プロフィール
是住 久美子(これずみ くみこ)京都で働く図書館司書。勤続十五年目の中堅どころ。

おかもちろう」第5号銭湯特集2017年5月に投稿した記事

タイトル画像は、 IORIさんによる写真ACからの写真

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