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グリーンマイルで学ぶ「電気椅子」

今回のテーマはグリーンマイルで学ぶ「電気椅子」。
電気椅子って過去のものというイメージがあったのですが、アメリカでは電気椅子による処刑がいまだに行われることがあります。
作中でも電気椅子は残虐な刑罰として描かれていますね。特に処刑に失敗するシーンは見るに堪えない状況になりました。あれは完全なフィクションではありません。電気椅子による処刑の失敗は過去に何度も起きています。
電気椅子の誕生と電気椅子による処刑がなぜ行われてきたのか、また電気ショックによる死のメカニズムなどについて調べてみました。


作品紹介

1935年、アメリカ南部の刑務所コールドマウンテン。看守主任ポール・エッジコムは、死刑囚専用の通路「グリーンマイル」を歩く囚人たちを見送る日々を送っていた。ある日、身長2メートルを超える巨漢の黒人死刑囚ジョン・コーフィが収監される。彼は幼い双子の少女を殺害した罪で死刑判決を受けたが、その瞳には純真無垢な光が宿っていた。

ポールは彼の優しさに触れて、やがて彼の持つ不思議な力に気づく。ネズミの命を救い、ポールの持病を治し、さらに看守たちの心を解きほぐしていくコーフィ。しかし、死刑執行の日は刻一刻と迫っている。

コーフィの無実を信じるポールは、彼の命を救おうと奔走するが、法の壁は厚く、絶望的な状況に追い詰められていく。

電気椅子とは?

電気椅子は、電気による死刑執行に使われる特殊な装置です。死刑囚は特注の木製の椅子に縛り付けられ、頭と足に取り付けられた電極によって感電させられます。ニューヨーク州バッファローの歯科医アルフレッド・P・サウスウィックが 1881 年にこの処刑方法を考案し、その後 10 年間で、従来の処刑、特に絞首刑に代わる、より人道的な処刑方法として開発が進められました。電気椅子による処刑は1890年に初めて執行され、それ以降、電気椅子は死刑の象徴となりました。

Florida Department of Corrections/Doug Smith. - http://www.dc.state.fl.us/secretary/press/1999/elechair.html, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23227510による

現在ではより人道的な方法として薬物注射が採用されたことで、電気椅子の使用は減少しました。一部の州では電気椅子が合法的な処刑方法として残っていますが、死刑囚が希望した場合にのみ選択されることが多く、ほとんどの州では廃止されています。

電気椅子の発明

1870年代後半から1880年代前半にかけて、 3000〜6000ボルトの高電圧を必要とするアーク照明が普及すると、電力線作業員が感電死したという記事が新聞に次々に掲載されました。外傷もなく一瞬で犠牲者を死に至らしめる現象のメカニズムはまだ解明されておらず奇妙な事件として取り扱われていました。
1881年8月7日にニューヨーク州バッファローで酔っ払った港湾労働者のジョージ・レミュエル・スミスは、ブラッシュ・エレクトリック・カンパニーのアーク照明発電所でガードレールを掴んだ時に感じたチクチクする感覚のスリルを求めて、夜間に工場に忍び込み、大型発電機のブラシとアースを掴み即死しました。この事件を調査した検死官は、バッファロー科学協会でこの件について取り上げました。その講演に出席していた歯科医のアルフレッド・P・サウスウィックは、この奇妙な現象に何らかの応用が見つかるのではないかと考えました。

サウスウィックは、医師のジョージ・E・フェルとアメリカ動物虐待防止協会(ASPCA)の代表とともに、数百匹の野良犬を感電死させる実験を行いました。彼らは電極の種類と配置を変えて、電気を使って動物を安楽死させる再現可能な方法を編み出した。サウスウィックは1880年代初頭、絞首刑に替わるより人道的な手段としてこの方法を使用するよう提唱し、1882年と1883年に科学雑誌にその考えを発表して全国的に注目を集めました。彼は犬の実験に基づいて計算を行い、人間にも使える方法の開発をしました。設計の初期段階では、死刑囚を拘束する方法として歯科椅子の改良版を採用し、それ以降この装置は電気椅子と呼ばれるようになりました。

刑執行のプロセスとメカニズム

死刑囚は頭と足の毛を剃られ、椅子に座らされます。腕と足は革ベルトでしっかりと縛られ、頭には塩水に浸したスポンジの付いた帽子をかぶせ、足には電極が取り付けます。死刑囚は通常、フードをかぶるか目隠しをされます。

最初のショック(2000〜2,500ボルト)は、即時の意識喪失、心室細動、そして最終的には心停止を引き起こすことを目的としています。2番目のショック(500〜1,500ボルト)は、重要な臓器に致命的な損傷を与えることを目的としています。

そのサイクルが完了すると、医師が受刑者に生命の兆候がないか確認します。何も兆候がない場合は、医師が死亡時刻を報告して記録し、刑務官は死体が冷えるのを待ってから検死の準備のために死体を移動させます。受刑者に生命の兆候が見られる場合、医師は所長に報告し、所長は通常、もう一度電流を流すよう命じますが、過去には処刑を延期したケースがあります。

失敗した処刑

電気椅子は被験者が1回の電気ショックで死亡しなかった例がいくつかあるため、批判されてきました。このため「残酷で異常な刑罰」であるとして、この処刑方法の廃止を求める声が上がりました。 

1946年、当時17歳の少年ウィリー・フランシスに電気椅子による死刑が執行されました。電流が流された後、フランシスは「外してくれ!息をさせてくれ!」と叫んだと伝えられています。
この時の電気椅子は酔った看守と囚人によってセッティングされていたため、死に至るだけの電流が流れなかったと言われています。
死刑囚の弁護士は連邦最高裁判所に訴訟を起こし、「フランシスは死んではいないが、実際には処刑されていた」と主張した。しかし、この主張は再処刑は合衆国憲法修正第5条の二重処罰条項に違反しないという理由で却下され、フランシスは1947年に電気椅子に戻され処刑されました。
作中で、明らかに処刑に失敗していたにも関わらず執行を止めなかったのは二重処罰とならないように、1度で確実に死に至らしめる必要があったのです。

ウィリー・フランシスBy unknown - Original publication: unknownImmediate source: http://www.unaff.org/2007/f_willie.html, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=38944497https://en.wikipedia.org/wiki/Willie_Francis

フロリダ州では、ジェシー・タフェロの処刑を皮切りに、1990年代に非常に物議を醸した電気処刑の失敗が3件発生しました。タフェロの事件は、最初の電気ショックでタフェロの顔と頭が燃え上がりました。タフェロの処刑には最終的に7分間で3回の電気ショックを必要としました。このミスは刑務所職員が古い天然海綿を台所用スポンジと取り替えたことが原因とされています。
スティーブン キングが小説版『グリーン マイル』を執筆する際に、この事件がインスピレーションを与えたと噂されています。

ジェシー・タフェロBy Florida Department of Corrections - http://www.oranous.com/florida/TaferoPicture.jpg, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9369289

フロリダ州で1997年にペドロ・メディナが処刑された際、彼の頭から炎が噴き出して物議を醸しました。その原因はまたしても合成スポンジを使用したことです。検死の結果、メディナは最初の電気ショックで脳と脳幹が破壊され即死していたと検死官は主張しました。
判事は、この事件はフロリダ州の電気椅子の「装置、設備、電気回路」の欠陥ではなく、「意図しない人為的ミス」から生じたと判断した。

ペドロ・メディナBy Florida Department of Corrections - http://www.dc.state.fl.us/InmateReleases/inmateaction.asp?DataAction=GetInmate&DCNumber=088991, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9371390

フロリダ州では、1999年7月8日、殺人罪で有罪判決を受けたアレン・リー・デイビスが電気椅子で処刑されました。処刑後のデイビスの顔は血だらけで、その写真がインターネットに投稿されました。調査の結果、デイビスは電気が流される前から出血しており、椅子は設計通りに機能していたと結論付けられました。フロリダ州最高裁判所は、電気椅子は「残虐で異常な刑罰」には当たらないとの判決を下しました。

アレン・リー・デイビスBy Florida Department of Corrections - http://www.dc.state.fl.us/InmateReleases/inmateaction.asp?DataAction=GetInmate&DCNumber=040174, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9364470

衰退と現状

1979年に薬物注射が導入されて以来、電気椅子の使用は減少しており、現在では死刑を認めている米国のすべての管轄区域で薬物注射がデフォルトの方法となっています。

2024年現在、電気椅子による処刑を認めているのは、米国のアラバマ州、アーカンソー州、フロリダ州、ケンタッキー州、テネシー州のみです。基本的にどの州でも、裁判所が致死注射が違憲と判断した場合にのみ電気椅子による処刑が認められます。

2008年2月8日、ネブラスカ州最高裁判所では州憲法の下で電気椅子による死刑執行を「残虐かつ異常な刑罰」と裁定し、大きな変化が起きました。この判決により、この方法のみに頼っていた最後の州であるネブラスカ州では、電気椅子による死刑執行が終焉を迎えることとなりました。

多くの州では、死刑囚が電気椅子か薬物注射のどちらかを選択することが依然として認められており、米国で直近の電気椅子による処刑は、 2020年2月にテネシー州で行われたニコラス・トッド・サットンの処刑です。

2021年、サウスカロライナ州知事ヘンリー・マクマスターは、致死注射が利用できない場合は受刑者に電気処刑を強制する法律を可決しました。この法律は、致死注射、電気椅子、銃殺隊の中から受刑者が処刑方法の選択を拒否した場合は、電気椅子による処刑を義務付けました。
2022年、リッチランド郡の裁判官は、銃殺隊と電気処刑はどちらも「残酷、異常、または肉体的な」方法を禁止するサウスカロライナ州憲法に違反していると宣言しました。裁判所は判決の中で、電気処刑が受刑者を即死または無痛で殺すことができるという証拠はないとし、電気椅子が瞬時に意識を失うという考えは「1800年代にまで遡る電気椅子の基礎となる仮定に基づいており、その後反証されている」と記しました。この判決では、電気処刑は「進化する道徳基準の概念と人間の尊厳の両方に反する」とも述べ、「たとえ受刑者が15秒か30秒しか生きられなかったとしても、生きたまま焼かれるという経験をすることになる。これは『明らかに残酷で異常な刑罰として長い間認識されてきた』」と述べました。この判決により、両方の処刑方法に対する永久的差し止め命令が発令され、州が死刑囚を銃殺刑や電気処刑で死刑に処することを阻止しました。

まとめ

いかがだったでしょうか?
電気椅子はアメリカにしかない処刑方法です。
※歴史的にはアメリカ合衆国の植民地だったフィリピンでも、1926年から1976年まで使用されていました。
実はその裏にはエジソンによる電流戦争の話もあるのですが、気になる方は「エジソンズゲーム」をご覧ください。

いまや電気椅子は残虐な処刑方法として認知されており、多くの州で廃止されており、死刑囚も電気椅子を処刑方法として選択することもほぼなくなってきました。

たとえ死刑囚であっても苦しめずに処刑するというのは世界的標準となっています。死刑制度自体を廃止している国は全世界、196か国中で144か国にも及びます。(事実上廃止国も含め)
日本は世界的には少数派である死刑存置国であり、処刑方法も絞首刑のみとなっています。死刑存置国の中でも薬殺刑は主流になっており、絞首刑は残酷な処刑方法とされています。

どちらが正しいということはありません。死刑賛成派も否定派もそれぞれのイデオロギーがありますが、これらの情報を事実として知っておくことは重要です。

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