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私はどこまで,私のもの?

研究室の先輩が,大事なプレゼンを控えていた。
私は予定があり見に行けないので,「頑張ってくださいね!」とお菓子を渡した。
「ありがとう!」
彼女は笑顔を見せ,渡した2倍の量のお菓子をくれた。

私は,軽く感動を覚えた。
この人は,私の2倍優しいんだな。
自発的に応援の心を示した,私の積極性を差し引いても
大変な時期に相手を気遣う,先輩の柔和さには代えがたい。

人に優しくすると,こんなに嬉しいことが起こるんだ。
私も,誰かに親切にしてもらったら2倍にして返そう。
そんな決心と共に,一つ気づいたことがあった。

こんな出来事が,私の優しさを育ててきたんだ。
私が親切な人間に育ったのは,
周りに人格者が多かったからではないのか?
たまに貰う「優しいね」という褒め言葉は
私の周りの人を讃えてくれているのではないか。

もちろん,先天的な性格もあるけれど
遺伝こそ,両親や先祖のおかげで持ちえているし。

性格も,仕事の能力も,外見も
自分以外の人たちがもたらしてくれ,
育ててくれたことを思うと
返していかなくては,という気持ちになる。

私はみんなのものだ。
私を,みんなの幸せのために使う。

人間なので,基本的にだらだらした生活を送っているけれども
この畏敬の念は,ふと思い返し続けたい。


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