社会との了解
古着とは中古だ。袖が短いとか汚れがあるといった「欠落」がある。しかしその「欠落」をどうファッションとして楽しみ、「活かして」いくかというところにその人の個性を発揮する余白がある。それは目の前の洋服と自分をどう「了解」するかという問いだ。
古着屋の店員は、お客様がその「了解」を得られるためのサポートをする役目だ。そしてその先は、お客様と「社会」がどのような了解を得るのかという問いに繋がっていく。そういう責任を販売員は担っている。
しかし、販売員自身はどうだろうか。古着を着るプロ側の人間として、古着と自分との了解はある程度得られているにしろ、社会と自分との了解は得られているだろうか。
将来への不安。人材市場でどう価値を見出すか。
そういった「欠落」を抱える自分自身が古着屋としての役割の上で、どうやって社会と了解していくのか?そこに向き合って行かなければ、問いをサポートするどころか自分自身が社会という迷宮に取り残されてしまうのではないだろうか。
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