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🦑ゲソ🦑

おもいのほかつかれていたのか、
周りを気にかけたり、
落ち着いた行動をとることができなかった。

電車のなかでスケジュール帳をひらき
ペンをもう千回以上カチカチと音をたてて
頭のなかはなにも思考することができないほど……

もう…………げっそり

していた。

知人に声をかけてもらい仕事を与えてもらっていたというものの

私は強い立場ではなくて、あくまで
つかってもらってるのだ。

時給換算はときによいものでもあり
悪いものでもあると感じる。

効率よくプライドをもって仕事するひとには
ときにははげみになり、

ただおかねがほしいひとには
時間が過ぎるまで時給が発生するあいだの
時間潰しだ。

後者のような仕事の仕方をしていると、当然つまらなさを感じることになると思う。仕事がつまらないというのは、当人にとっては不幸だ。

そしてそこから救いを求めても、自分で解決策を見いだせないことと、そこに対して納得出来ない限り、平らなループ状のところをぐるぐると周り、螺旋階段のようになだらかな上昇もむずかしくなる。

それはなにも仕事だけに限った話ではないとおもうが...

そんな状況を目の前で繰り広げている人がいた...

“問題”をつくりだしているものが、自覚ありで問題をつくりだすものもいれば、自分が問題である事を自覚せぬままに、現れている現象を問題にすり替えて解決をしないままのものもある。前者も後者も、両方とも厄介である事は間違いない。

そして、そのような方に限って、さくさくとすすんでいるものをねたみ、足を引っ張り、状況により手をだし、混乱を招き、良いところだけをとっていく...

そういうかたを伺うと、いたわしく思う。

とても性格がこじれてしまっているのか、とても頭がわるいのかのどちらかだろうと思ってしまうが......

いや、それはとても性格がこじれていて、とても頭が悪いのだ。

仕事をしていると、仕事以外でどんなに仲良かったとしても、

仕事を通してみる人間像でその人がどんな方なのかとても良く分かり

知らない方が良かったと思う事はたくさんある。

それはつまり“知らぬが仏”のひとつの例だと思う。

一緒に仕事をすることで関係性がかわることは先に進むためにも大切な事。

ありがとう、そして、さようなら。という大切な作業でもある。