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リトル・マーメイドを見てきました(軽いネタバレありの雑感的なやれそれ)

実写版「リトル・マーメイド」を見に行った。IMAXがどれも強気の時間帯に設定されていたので、仕方なく普通の字幕版で見たのだけれど、確かにこれはあの頃「リトル・マーメイド」を見てアリエルに魅了され、それから色々あったけれど自分を貫いて生きてますよって大人へ向けた映画なので、映画館の時間設定のほうが正しかったよ。近々、もう一回IMAXでおかわりします。

アリエル!私だ!会いに来たよ!

とにかくアリエル役のハリー・ベイリーが素晴らしかった。「パート・オブ・ユア・ワールド」もそうだけれど、今作で追加された「何もかも初めて」がすごく良くて。人間になるためにアースラと取引をして声を失ったアリエルが「理想と現実」「選択と代償」というテーマを歌う。うん、エモい。心の声なのにエモすぎるため、曲のラストで現実を突きつけられるシーンとの落差で寒暖差アレルギー起こしそうなぐらい、エモい。でも、現実ってそういうもんだよねということは、歳を重ねた自分が一番よく知っているわけで。アニメ版のアリエルは、とっさの機転とド根性で全部持って行ったと言われても否定できないところがあるけれど(だがそこがいい)実写のアリエルはもう少し大人というか、自分のことも周りのこともそれなりに見えているからこそ、有り余る知的好奇心をもてあましている感じが、なんともリアルだった。外の世界に恋い焦がれるだけではなく、外の世界を知りたいと思う側面のほうが強調されているのも、アニメ版の天真爛漫なアリエルよりどこかクールな印象のハリー・ベイリーに合っていたし、外の世界に触れたいと思う娘と、それを案じるけど素直に言えない父親というのは、どこの世界にもあるのだなあと。まさかトリトン王に泣かされるとは思わなかったよ。これが大人になるということなのか。

我が家のアリエルさんは2年前からこんな感じです。似合ってるねユニフォーム。

「ステージの上だけに集中できないライブほどの地獄はない」とは、ギャ男な先輩の至言である。この「リトル・マーメイド」も、言い出したらきりがない話題ばかりが先行して、まっさらな気持ちで受け止めるハードルがちょっと高くなっているように思えてならない。ただ、歴史に裏打ちされた根強すぎる社会問題が「ある」ことを「知る」ことはとても大事なことので、それを踏まえたうえで自分自身がどう見るか、どう振る舞いどう考えるかという話なんだろうなと。そしてアリエルのように選択をして、トリトン王のようにその選択を見守るのが、愛というものなのかもしれない。

・・・などと言いつつ「設定変われどセバスチャンはセバスチャンだな。胃薬飲むかい?」「もうセバスチャンとスカットルはM-1出れるレベルだな」「フランダー、君は本当にいい子だね」「アリエル! 君はジゼル姫みたいに現代に飛ばされても絶対に車の免許は取るな!」と、ツッコミながら映画を見るのが一番の愛情表現だと思っている私よ。うん、ご時世どうあれ根っこの部分はなんも変わってねえな!(派手にハリセンがうなる音)

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