見出し画像

自分が自分でいるために好きなものは好きと胸を張って言える人間でいたいのです。

子供のころから歴史が好きで、大学では当然のように歴史学を専攻したけれど、こと「地元横浜の歴史」ということに関しては、完全にノータッチでした。正直な話、ナントカ発祥の地とかどうでもいいのでご当地戦国武将のいる土地に生まれたかったと数年前まで思っていたし、学校で配られた郷土の歴史に関する冊子は、あんな電話帳みたいなやつ誰が読むんだと本気で思っていたので、人間変わるものだとしか言いようがありません。

そんな私が地元の歴史に目をとめるようになったのは、私の好きなV系バンド、DaizyStripperがきっかけです。彼らはメンバー5人中3人が横浜出身で、地元でライブやインストアイベントがあると、地元ネタを自重しないにもほどがあるのですが、特にドラマーでピアニストの風弥さんの地元トークは、郷土の歴史や文化を知っていないと「ちょっと何言ってるかわからないです」と心の中のサンドウィッチマンを発動せざるをえない話が多いんですね。同じ横浜出身でも、わかりやすく「このあたりで遊んだ話」で置きにきたはずが持ち前の天然が炸裂して盛大にすべるギタリストのまゆさんと、横浜愛を熱く語ってはそろそろ観光大使をくださいとことあるごとにアピールしているベーシストのReiさんとは対照的というか、三者三様にもほどがあるわけです(だがそこがいい)

特に私は風弥さんの地元トークが大好きなのですが、風弥さんが「横浜」を語り始めるとき、ただ地元だから好きというよりも、この街の文化的背景や空気感、いいところも悪いところもひっくるめて、この街を「愛している」ことが伝わってくるような話し方をされるんですね。元々の風弥さんの細やかであたたかい人柄もあるのでしょうが、単純に風弥さんが「知ってる?」から細かすぎて伝わらない地元トークを始めるときの、少年のような笑顔がすべてを物語っているというか。ああ、本当に横浜がお好きなんだなあと。

「月曜から夜ふかし」でやり玉にあげられて以降、横浜出身だとか、横浜が好きだとか、どうにも言いにくい空気がありまして。実際「横浜問題」がオンエアされた直後、英会話のレッスンで自己紹介をするとき「I'm from Yokohama.」と言っただけで教室内が「うわっ」という空気になって、その結果小学生でも面と向かってやらねえよ(裏では大人子供関係なくやるやついるけどな)としか言えない嫌がらせを受けたこともあったので、地元横浜に関して語ることが怖くなった時期もありました。自分を変えるために横浜を出たけれど、こういう人たちと一緒にいては、いつか自分が変えたくないものまで変えないといけなくなる。これではだめだと、自分なりに築き上げてきたものを全部切って横浜に戻ってきたのが6年前の春でした。そのとき昔と変わらないみなとみらいの夜景を見て、ふと「帰ってきたなあ」「やっぱり好きだなあこの景色」と自然に思うことができたんですね。だからこそ、自分が自分でいるための決断をきちんとできてよかったなあと、心の底から思えるのです。

好きを貫くことも、自分を貫くことも、とても難しいこと。だからこそ、何が嫌いかより、何が好きかで生きていきたい。理想論だと言われても、貫けば美学、浸透すれば芸風。そんな気持ちで生きていきたいなと、地元横浜の景色を見て思う令和のはじまり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?