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「ありがとう」と「ごめんなさい」は理屈じゃない。

前回の話の続きになるけれど、先生の作った序列からあぶれたのは私だけではない。私以外にも一人、序列の外に置かれていた同級生がいた。そして私は今でも、先生と同じぐらい彼女のことが大嫌いである。

私が彼女の「お世話係」だったと気づいたのは、つい最近の話だ。他の同級生たちは、彼女に対する不快感を初手から隠そうとしなかったけれど、私は相手のことをまったく知らなかったため、拒絶するという発想がなかった。だから今でいう「よっ友」ぐらいの感覚で、話しかけられたら普通に返していたのだ。結果として、気づいたときには彼女の軽率な行動に対して連帯責任を取らされるのが当たり前になり、責任の大半といわず、すべての過失が私にあるという話にまで発展していた。言うまでもなく、いつも心に無責任、今日も元気にハラスメントを地で行く先生の仕業である。そして、彼女もまた「お世話係が自分につくのは当たり前」と信じて疑わない人間だったので、いろいろとややこしい事態に発展したのは語るまでもない。

公立の小学校は、同じエリアに住んでいること以外に共通点がない人が集められるので、ある程度バラバラなのが当たり前と割り切ることも可能だ。だからこそ、彼女のことも先生のことも「クラス運が悪かった」「これも人生勉強」と割り切ることも、極論とはいえ不可能ではないのだろう。とはいえ、その折り合いが四半世紀近くたった今でもつかないのは、理屈ではなく感情の部分で割り切れない話だから。それだけは言い切れる。

それをはっきりと自覚したのは、数年前に恵比寿リキッドルームで見たライブのときだ。ボーカルの彼が、来てくれたファンの人たちに感謝の言葉を改めて伝えながら「心ない人に、感謝の気持ちを伝えるという行為を否定されることが苦しかった」という話で涙ぐんでいる姿に、その曲ではいつもピアノを弾いているドラムの彼も涙をこらえきれなくなり、迷いを断ち切るように、コーラス用のマイクを跳ね飛ばしていたのを見た瞬間、ふと気づいたのだ。私はこの感情を知っていると。

「けいこちゃんて誰にでもありがとうって言うよね」「サンキューとか言ってる時もあるよね、カッコつけてさ」「けいこちゃんが『ありがとう』って言うときのキンキン声が超ムカつくんだよね」「ねえなんで泣くの? いつもみたいにありがとうって言わないの? ありがとうって言わないなら言うまでぶつよ」「なんでぶつのって? えー、ありがとうって言ったからぶったんじゃん。頭いいのにそんなこともわかんないの?」そんな言葉を浴びせられながら、どこを殴られたのか、今の蹴りが何発目なのか、何なら今リアルタイムで私をしばいているのは誰なのか、そんなことも判別できないのは、ある意味いつものことだった。てか、誰にでもありがとうって言うって何だよ。誰とでも寝る女みたいに言ってんじゃねえよ。親切にしてもらったらありがとうって言うだろ。ぶつかったらすいませんとかごめんなさいって言うだろ。てかおめえ、なに奴らが去ってからしれっと「心配してました」って顔で出てくんだよ。先生も先生だよ、毎度毎度火に油通り越してダイナマイト持って来んじゃねえよ。ってかおい、なんで怒鳴られたのもぶたれたのも私なのに、なんでおめえが「わたしまでおこられたー、あんたのせいだー」ってびーびー泣き出すんだよ。え、ハクジョーモン? 宿題忘れたから写させてって言われて断ったことが、なんで薄情って話になんだよ。てかそれいつのことだよ。いつものことだけど。ったくもう、泣きたいのはこっちだよ・・・もうとっくに涙ひっこんでるけど・・・。

その時処理できなかった自分の感情が、ボーカルの彼の「ありがとうって感謝の言葉は、直接目を見て伝えたいじゃん。それのどこが悪いっていうんだよ!」という絶叫と、それを受けて、涙と迷いを振り払うかのようにマイクを跳ね飛ばしたドラムの彼の表情に重なって見えた。そうか、私は「ありがとう」と「ごめんなさい」をもっと尊重してほしかったんだ。多分、ただそれだけのこと。いろいろ入り組んでいるので、うまく言葉にできないけれども。

あの時、許せないことは許せないまま、譲れないものは譲れないまま、それでいいんだよと、ステージ上の彼らに背中を押されているような気がしたのだけれど、そんな気がして以降、まわりの人に「しんどかった時、けいこさんの言葉にすごく救われたんですよ」と言われることがほんの少し増えた。当時「ありがとう」という言葉と同じぐらいやり玉にあげられた私の声質も、環境と人間関係が変われば「ラジオのアナウンサーみたいで心地いいです」と言われるようになったので、他人の評価ほどあてにならないものはない。理屈じゃない物事に理屈をくっつけようとすれば、ただの屁理屈になるのが目に見えているのに、当時の私がどうして理屈や理由にこだわったのか、今となっては思い出せないけれど、それはそれで譲れない自分を守るために足掻いた結果。そうだと思えば、なんだかすがすがしく笑顔になれる気さえするのだ。そういえばあの日、彼らが演奏していた曲のタイトルは「SMILE WORLD」だった。できるなら、誰かを笑いものにすることなく、誰よりも笑って生きていきたい。それが今の私の理想の人生だ。

そういえばあの日、ライブ前日にギターの彼が「明日の結成記念日にオフィシャルTwitterに風船が飛んだら素敵じゃない?」という思い付きで、オフィシャルアカウントを凍結させてしまい、波乱の幕開け以前の問題で、幕が上がる前から斜め上の展開になってしまったことや、それに端を発した平和すぎるあれやこれやが次から次へと勃発して「世の中理屈じゃねえ・・・」と笑いながら頭を抱えることになったのだけれど、ここを掘り下げると毎度おなじみ「天然は世界を救う」に着地させざるをえないので、それは理屈ではなく「真実」として深くとらえないことにする。悲しいと思うことも、楽しいと思うことも、なんなら全ての感情は理屈じゃない、自分の中での真実ですからね。

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