たかが、されど。同人活動が遊びだけではない人のはなし
私は同人活動の中でも二次創作同人をしている。
何年も活動していれば同じようなスタンスで活動している人、そうでない人に出会うもの。
みな普段の家庭や生活、仕事などを抱えながら活動している。
私は活動する人と話をする機会があると、ふと躓くことがある。
同人活動が自身の生活の中でどれくらい重きを置いているか。
例として3人あげても仕事や家庭がある人との話だった。
思い思いにこんな話を書きたい、書けない、イベントに出たい、出れない、評価されたい、etc同人活動のさまざまな話題の中、
「まあそうは言ってもたかが趣味、たかが同人なんだけどね」
相手からそんな声があがった。
たかが・されど
相手の価値観を否定するつもりはない。
ただ私にとってはたかが同人ではなかったのだ。
場の雰囲気は「みんなそうだよね〜」みたいな。
大変息苦しい。
もしこれが、将来の夢、職業として活動しているならもう少し笑ってあげられたかもしれない。
違うのだ。
私は確かに、楽しみとして活動しているけれど、もうひとつ。
持病の療養としてしている。
「好きなことができなくなる」の怖さを知っている。私はなにも書けない空白の数年があって、今やっとこさ活動している。
命がすこし、天秤にかかった同人活動なのだ。
同じ目標、スタンスの人とだけ関わるのは難しいだろう。けれど、相手にそのつもりはなけれど、真逆の自身を否定しかねない考えの人とは少し付き合い方を考えたい。
もう1年引きずっている鉛のなにか。
そろそろどこかへ千切れ落ちてくれ。
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