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凍結されたホーチミンさんが眠る、ホーチミン廟に行って来ました!

ベトナム、ハノイ3日目。
今日はホーチミン廟に出かけてきました。

帝廟と言って、帝の廟(お墓)です。

すっかり日本人にもお馴染みのホーチミンさん。
本名は「グエン・シン・クン」。
(えっ、ホーチミンさんじゃないの?)

1890年5月19日生まれとされてますがこれも諸説あるそう。
ミステリアスな男性だったのですね。

こちらの本によると、1911年から30年、フランスや中国などを渡り歩き、当時ベトナムを支配していたフランスからの独立を勝ち取るため、共産党員として活動を行っていたそうです。

19〜76もの偽名を使っていたという研究もあり、「放浪の革命家」と呼ばれていました。

その間、何度も逮捕、投獄されたりしながら戦略と時期を見計らっていました。

ベトナムの歴史の表舞台に出てきたのは1945年9月2日のベトナムの独立宣言。

ホーチミン廟の隣にある、フランス帝国がベトナムを支配していた時代に建てられた「フランス・インドシナ総督官邸」の前で行われました。

入場方法

さて、こちらの帝廟に入るには、タイの王宮とかと同じで、短パン・ノースリーブは入場不可。
それもそのはず。だってホーチミンさんが亡くなった状態のまま、冷凍されておわします。

火葬が浸透した日本人からしたらちょっと理解するのが難しい発想。


ホーチミンさんは自分が亡くなる時、遺体が神聖化されるのを恐れて遺言を残します。

「わたしの遺体を火葬にして、灰を三つに分け、北部、中部、南部の人たちのために、それぞれの丘陵に埋めてほしい」
「丘陵には石碑、銅像を建てず、訪れた人々が休むことができるよう、簡潔で、広く、堅固で、涼しい建物を建て、丘陵の上に植樹の計画を立ててほしい。訪れた人が記念に木を一本植える。日がたてば、森林となり、景色もよくなり、農業にも役立つだろう。管理は古老たちに委ねてほしい」

物語ヴェトナムの歴史より抜粋

でも、その遺言は聞き届けられませんでした。

当時はまだベトナムはアメリカの戦争の真っ只中の1969年9月2日。

政治家でありながら質素倹約につとめ、国民の規範となる暮らしを行ったり、自然を心から愛するホーチミンさんの人柄は国民から本当に愛されていたので、精神的・政治的支柱としたかったのだと思われます。


白い軍服(ベトナムの喪服は白)を着た兵士が8人くらいいるひんやりとした部屋の真ん中に、ガラスの小部屋があり、その中にホーチミンさんの遺体が横たわっていました。

ザ・ご遺体です。
お葬式を思い出しました。

ホーチミンさんのお宅や庭を見学

ホーチミンさんが晩年過ごされた高床式住居も見学できます。

あと、こちら、左側が当時のソビエトからホーチミンさんに贈られた、防弾ガラスの嵌め込まれた車。

先日発表されたロシアの電気自動車見ました?
目が似てる…?笑

観光上の注意点はこちらのサイトに詳しく書かれてました。

もしハノイに行かれる際は、訪れてはいかがでしょう。

ベトナムの国をもっと知りたくなります。

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