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「母に謝りたい」贈り物が教えてくれたこと。

もうすぐ母の日、そして父の日ですね。
私は母に謝りたいことがあります。

自分が年を重ねれば重ねるほど
その気持ちが膨らんでいくのです。 

私の母はおおらかです。
人一倍笑って、優しく、
友人が私の母に相談事をしたくて夜中に
訪ねてくることもあったほどです。

母の前でつい泣いてしまう友人をみるのは
珍しくなかった。

それはとても誇りでした。
振り返れば振り返るほど、そう思います。

それでも10代の私はいろんな感情の渦にいました。
友人とのトラブルや、先生との衝突、家族の介護。

夜中に家を抜け出すことが多く、
学校ではタバコの匂いをさせ、
夜中に騒いでは近所の人に通報されるなど
「良い子」の枠には収まっていませんでした。

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学校に着いたら私服に着替えて
そのまま町に遊びに行く日もありました。

部活に明け暮れる青春の日々とはほど遠く、
好きだった剣道部もやめて、夜に徘徊する日々。

そんな私もいろいろな経験や
出会いを通して少しずつ変わっていきます。

変わるというよりは
ぐるぐる巻きにした鎧が取れていきます。 

母はそんな私を責めるということをしませんでした。
むしろ、友人を含めていつも話を聞いてくれました。
(叱るときは本当に叱られました)

私がはみ出し過ぎずにいれたのは
母に「なんでも話せた」ということが大きいです。

もし否定されていたら、
私は隠れながら行っていたでしょうし、
エスカレートしていたかもしれません。

馬鹿なことをしていたのは自覚がありましたし
馬鹿なことでないと気が紛らわせなかった。 

そしてその馬鹿なことができる仲間といることが
唯一の居場所でした。

そして
音楽と出会い、ドラムをはじめ、
筆文字で言葉を作品にするようになり、
県を超えたいくつもの出会いが
私に「私らしさ」を与えてくれました。

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ある日、私は自分を振り返りながら
書いた言葉がありました。

「生まれて良かったと思えたことはない。
 でも、
 出会えてよかったと思う度に生きていける。」 

当時の私の率直な思い。

私はなぜ生まれてきたんだろうと
よく考えていたのです。

不器用で、人とも話すのが苦手で

勉強も運動も得意じゃなくて、

私じゃない別の誰かが生まれれば良かったのに。

顔色をうかがいながら、声が詰まるような日々に
それでも出会いを通してサプライズが生まれ
「もう少しだけ、あと少しだけ頑張ってみようか」
思うことが出来ました。

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実はこの言葉を友人が読んだ時、
とても怒られました。 

「嘘でも書いて欲しくない。
 おばちゃんが悲しむよ。」

この友人はいつでも正直に向き合ってくれて
怒ってくれて、心から頼りにしている友人です。

そしてこの言葉は、当時母も読みました。
特に何も言いませんでしたが、
あの時、読ませてしまった自分を後悔しています。

「生まれてよかったと思えない」という言葉は
母をどんな思いにさせたのだろうと。

母のことを尊敬していても

自分の率直な思いを隠すことも出来ず

改めて私は不器用だなと思いました。

その小さな後悔は大人になるほど膨らみました。
自分がどれだけ守られていたかを
より実感するからです。 

それから数年たち、
筆の作品を公に書くようになったころ
母と珍しく大ゲンカをしました。 

喧嘩の内容はまるで覚えていませんが
お互いに顔も見たくない!というほど
気まずくなった空気を覚えています。

自分に原因があることも
自覚していたのですが「意地」になってしまい
謝ることもできずにいました。

モヤモヤとした思いを抱えながら
夜中に贈り物を書いたのです。

「生まれて良かったと思えたことはない。
 出会えてよかったと思う度に生きていける。
 
 生まれた瞬間、あなたと出会えて
 あなたが母で、本当に良かった。」 

たった二行を足した文章ですが、
この二行を書くのに随分時間がかかりました。

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夜中に制作し、そっと居間に置いていく。
翌日、気まずさを顔に出しながらリビングに行くと
いつも通りに話しかけてくれる母がいました。

居間に置いた作品は母の寝室に
そっと置かれてる。
それは贈り物を通して、
普段言えなかったことを言えた瞬間でした。

ぽつりぽつりと謝る私に、
料理をしながらうなずく母。

身近な人にほど、
言いにくい感謝があり
謝れないことが重なった日常がある

実感しました。

実家を出て、
東京に来て
30代を過ぎて、
ふと思い出します。

馬鹿なことしかしなかった10代
突拍子もないことばかりで心配させた20代
離れて会う回数が減った30代

だからこそ母の日や誕生日を
「きっかけ」にして言葉を贈る。 

私が筆文字の仕事の中でも
「贈り物」にフォーカスしているのは
自分自身が「贈り物」
助けられてきたからだと思います。

そして「贈り物は力になる」ことを
誰よりも感じていると自負しています。

●感謝を伝えたい人
●普段なかなか言いたいことが言えない人
●何かきっかけが欲しい人
●大切な人への気持ちを形にしたい人 

ぜひ、ちょっとした贈り物を
大切な人へしてみてください。

なんでもいいのです。
「ありがとう」だけの直筆のカードでも
お菓子を詰め合わせたものでも
綺麗なお花でも
電話でいう言葉でも。

なんでもいいのです。
極論、私がおすすめするギフトは
電話や直接会って伝える「時間」や
直筆の「手紙」に敵うものないと思います。

それでももう一歩が欲しい時には
ぜひ「こぱ筆」に相談してください。

あなたの気持ちを形にします。
優しく相手に届くように
聞こえる言葉に。

今日は自分と母とのエピソードを
思い出して書いてみました。

このエピソードが
誰かの「一歩」を後押しできたら嬉しいです。

書芸家のさゆりでした。
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