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そんな原体験なんてない

リーダーシップというものについて研修を受けた。曰く、「頑張っている人」よりも、「何かを変えることに挑戦している人」のほうがリーダーシップが強く、すなわち管理職に適していると、そんな感じ。

それはできれば自分のコミュニティの外の世界で、例えばチームや社内の人ではなくて、もっと大きな枠の相手の世界を変えることを試みる。そういう人に人は強烈にリーダーシップを感じるそうです。

大泉洋さん主演の映画『ディア・ファミリー』では、病気の娘の命を救いたい、という想いで人工心臓の開発を目指す男性の実話を描く。「娘のために」はやがて「患者のために」「より多くの人の命を救いたい」となって、周囲の多くの人を変え、自分を変え、そして未来を変えてゆく。

何かを変えたい、と語るには、それを強く願う原体験があるほうがいい。

まあそんなことは誰もが分かっているわけだよ。
就活活動とかでも、その会社じゃないとダメな理由を語れる人は強いよね。
自分がやりたいことと、できることと、やるべきことを理解して、どうしてやりたいのかをはっきりと口に出していきたい人生。


先日、縁あって少し前に書いた自作小説の感想を頂く機会がありました。
自分としては未熟ながら(自分を未熟と言って擁護する人をわたしはあまり信用したくない)登場人物や展開を鑑みて書いた作品だったので、賛辞でも批評でも、どんな内容でもありがたいなと思いながらその感想をお待ちしていました。

てな感じで頂いた感想の中に「作者のオリジナリティを感じられなかった」という言葉を頂いたのだ。
これは非常に重く、そして確かに身に染みるようにじわじわと今もわたしの体の隅々に残っている。

オリジナリティ、個性、独創性、主義、主張

もともと私は村上龍先生の『空港にて』という短編集を読んで小説を書き始めるようになりました。
たくさんの人が海外をはじめ、今自分がいる場所から物理的に離れたどこかに希望を見出そうとする作品です。
この作品の音の書き方が好きで、時間の書き方が好きで、人の書き方が好きで、こんな文章を書きたいなと思ったのです。

そういう気持ちでこれまで、短いものも含めたくさんのお話を書いてきました。影響されて、憧れて、そうやって自分の言葉みたいに、自分の原体験みたいに理想を持ちながら小説を書いてきました。


そして今、小説を書き始めてあっという間に五年目の夏が来た。

今、わたしは、わたしが書くべき小説のことについて考えている。
たくさんの小説が溢れている。
小説だけでない。
動画が、ポストが、記事が、番組が溢れている。
わたし以外の誰かの原体験に基づいて、わたしよりも語られるべき人の口や文章から、わたしが言いたかった言葉が生産され続けている。
わたしが綴りたかった何かが、出力され続けるレシートみたいにたくさん作られていて、
そのどれもが、わたしの原体験なんて追い越して、彼らを必要とする場所に向かって発信されている。

自分の思い出みたくして語ってんじゃねえよ。

非常の階段/広田淳一

予想最高気温40℃の東京
たくさんのことを変えたい人が集まる都知事選も見ながら

自分の思い出を振り返って
自分の思い出だったような記憶の糸を辿りながら
自分の口から語るべきお話を探す旅に出る。

それが別に、誰の何を変えなくてもいいんだけれど、
自分のお話くらいはせめて変わってほしいものだ。

たとえば今よりも、もう少し揺るぎのないものへ

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