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そして、キャンサーペアレンツはつづく

ぐっちさんの旅立ち

キャンサーペアレンツ創設者であり、代表理事の西口洋平さん(ぐっちさん)が5月8日に亡くなりました。さまざまなメディアからお問い合わせをいただき、報道もされました。Twitter でもたくさん、ぐっちさんについてのツイートが流れていました。僕も理事の1人として一緒に活動してきましたが、あらためて、ぐっちさんが社会に大きな影響を与えている存在になっていたことを感じています。

キャンサーペアレンツとは

キャンサーペアレンツとは、『こどもをもつがん患者の方が、同じ境遇の方を探すことができ、仲間になることができるピアサポート(仲間同士の支えあい)サービス』です。今日時点で3700名の方が登録されています。

2015年2月、35歳のときにぐっちさんは「ステージ4のがん」の告知を受けました。その当時、同世代のがん体験者も相談できる人も周囲にいませんでした。調べてみると小さなお子さんを持つがん患者は毎年約6万人増え続けていることがわかります。その体験から、2016年4月に子どもをもつがん患者でつながれる「キャンサーペアレンツ」を2016年4月に立ち上げることになります。

立ち上げ当初は会員獲得に苦労をしていましたが、2016年8月に週刊ダイヤモンドに記事が掲載され、それがYahoo!ニュースにも転載されることになります。これがきっかけとなり、会員数が大きく増えていくことになりました。「患者同士のつながり、社会とのつながりは生きるチカラとなる」といういコンセプトが固まっていきます。そこに至るまでのストーリーはインタビュー記事「言い訳を乗り越えて、一歩前へ キャンサーペアレンツ創設者・西口洋平さん」に書かれています。

旅立ちへの準備

ぐっちさんがいなくなってしまった後のキャンサーペアレンツについて、ぐっちさんを含めた理事たちで、オープンに時間をかけて話し合ってきました。その準備のためにボランティアスタッフを募集して、先月からキャンサーペアレンツの運営には新たな仲間が加わっています。広告も出していないのに100名近くの方から説明会参加応募の連絡があり、予想を越える反響に驚きました。キャンサーペアレンツすごいな、と。

ですので、いつかこの日が来ることはわかっていました。それを話し合ってもきました。亡くなる3日前に参加してくれたオンラインイベントで見た顔からは、その日が近づいてきていることを感じてはいました。でも、実際に訃報を聞くことになると、その心の準備はできていなかったとも思います。最近のSlackやメッセンジャーでのやり取りを振り返ってみると、まだ生きているかのような感覚さえあります。

僕とぐっちさんの出会い

僕とぐっちさんとの出会いは2016年3月6日。がんノートのスピンオフ企画で歴代のゲストが集まるイベントがありました。そこの懇親会で話をしたのが最初の出会いでした。キャンサーペアレンツが始まる直前の頃です。

まだキャンサーペアレンツを始める前でしたが、その後、メディアを通して活躍を見ることが増えていきます。たまに、がん関連のイベントなどで会うことはありましたが、その後に僕がキャンサーペアレンツの理事になるとは想像もしていませんでした。
そして、2018年の10月に「2人で飲みに行きませんか?相談したいことがありまして…。」と連絡をもらいました。飲みに行けたのは翌月だったのですが、そこで、キャンサーペアレンツへの想い、自分が死んだ後もキャンサーペアレンツが継続できるような準備をしたい、という話がありました。そのために、僕にキャンサーペアレンツの理事になってもらいたい、という有り難く、光栄なオファーをいただきました。キャンサーペアレンツのことはよく知っていましたし、何よりも、ぐっちさんに選んでもらえたことが嬉しくて、その場で即答して2019年より理事に就任することになりました。

僕から見たぐっちさん

ぐっちさんは、いつも笑いをとろうとしていました。いい意味で人間臭い人でした。スマートという言葉は似合わなくて、自分の弱さを見せられるピュアな人。そして、キャンサーペアレンツは多くのがん罹患者の方に力を与えてきたと思いますが、誰よりもキャンサーペアレンツから力を得ていたのは、ぐっちさん本人だったのではないかと思っています。
がんの告知をされた時には、手術ができないほど病気が進行していました。その後、治療は標準治療から治験へ、そして、緩和ケアに変わっていきます。そんなに病気が進行しているのに、会うと人を元気にさせるあのエネルギーはいったい何なのか。義務感ではなく、心の底からやりたいと思っている活動がキャンサーペアレンツだったのだと思うのです。身体的には健康ではないはずなのに、ぐっちさんから感じる輝きは、さらに強いものになっていきました。
そして、この日が来るのはわかっていたのに、突然のように感じた訃報を聞くことになります。特にこの1年程は、線香花火のような美しさを連想させられました。儚いけど、見続けたくなる。そんな輝きを放った生き様でした。

つながりは「生きるチカラになる」

ぐっちさんと最後に話しができたのは、亡くなる3日前に開催したキャンサーペアレンツのオンラインイベントでした。体調はものすごく悪そうだったのに、それでも参加してくれました。これが最後になると思いつつの参加だったのか、まだそのつもりはなかったのか。聞けていないのでどちらだったのかはわかりません。でも、きっともっとやり続けたかったはず。ここで終わるのは悔しいと思っているんじゃないかと思います。
キャンサーペアレンツには「あっち支部」があります。みーさんや、なおさん。その他にも多くの仲間がいます。今頃、ぐっちさんも加わっていることでしょう。こちらでは、ぐっちさんを中心につくってきたPurposeが残り続けます。

「つながりは、生きるチカラになる」を証明する 
〜 患者さんが社会とつながること。この取り組みがうまくできれば、患者さんの『生きるチカラ』を引き出せると信じている 〜

そして、次のことを大切にしていきます。

患者さんのアクションにつながるか?
・アクションをすることが患者さんが社会とのつながりを実感でき、「生きるチカラ」を獲得できる
・患者さんがアクションすることで、それが情報となり、クライアント企業ひいては社会に発信されていく
・患者さんがアクションしない、お金だけが動く事業は優先順位は高くない

一方的な援助になっていないか? 正解が強要されてないか?
・キャンサーペアレンツは、一方的な援助はしない。すいません。そこにあるのは、 『助け合い』『みんなでつくる』『恩送り』『受益ではなく与益』の考え方。誰かのために行動することは、必ず自分自身のチカラになるから。
・ヒトの生き方にも正解がないように、がんになってどうやって生きていくのかも正解がない

ぐっちさんが望んでいたキャンサーペアレンツ継続の意思は引き継いでいきます。ぐっちさんの周囲の想いが大きくて、今は、バトンがずしりと重いように感じています。
それでも、これからは、もっと僕の口からもキャンサーペアレンツについて語っていこうと思います。どこまでのことができるのかはわかりませんが、ぐっちさんが何かを感じて理事に選んでくれたわけだから、つながりのほんの一部にはなれるかもしれません。「つながりは、生きるチカラになる」を証明するために、みなさん、どうか力を貸してください。




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