パートナーという表現は、誰かを生きやすくさせる
現在開催中の東京レインボープライド2022に、弊社も協賛をしています。これに先駆けて、社内でのダイバーシティ研修も実施しました(講師も特定非営利活動法人東京レインボープライドにお願いしました)。
パートナーという表現は、誰かを生きやすくさせる
受講してみて心に残った言葉は、「パートナーという表現は、誰かを生きやすくさせる」でした。
話している相手に恋人、配偶者のことを聞くときなどには、パートナーという表現にしたほうがいいという話は聞くことも増えて、頭の中で理解はしていました。最近は、そういう話題をすることも殆どないので、使う場面もあまりなかったのですが。
ただ、自分のことを話すときにも、恋人、配偶者のことを彼氏、妻など性別を特定する言葉ではなく、パートナー(あるいは恋人、配偶者、相方など)と表現することで、誰かの居心地の悪さを減らすことにつながる、ということへの新たな気づきがありました。
LGBTQの当事者の方は特に感じられているようなのですが、日常的に「パートナーの性別を言わないといけない場面は多い」とのこと。この2年で飲み会が激減して、職場の人と雑談をする機会も減ってきたので自分の周囲の半径5メートルの世界では少なくなってはいます。ですが、数年前はそうでしたし、今でも変わっていないという環境もたくさんあるのかもしれません。
そのような話題になるとき、パートナーという言葉を使う人がある程度の割合になっていると、たしかにパートナーという言葉が抵抗感なく使えるようになるな、と思いました。
これは、性別がわかる言葉を使ってはならぬ、でもありません。そうではない言葉(パートナーなど)も珍しくない、という認知になることが重要なのだと思います。それぞれの好みで使い分けをされていて、それは特別ではない、と認知されることです。
居心地が悪いと感じるとき
性的志向や性自認に限らず、マイノリティである状態は居心地が悪いと感じやすいのだと思います。
たとえば、コミュニティに新参者として参加したときも、既に仲良くなっている人たちに対して1人の新参者はマイノリティでもあり、居心地の悪さを感じるかもしれません。
それから、お酒を飲まない(好きではない)、結婚観、身体的特徴、学歴、などなど、たくさんの種類がありそうです。
「生きづらい」という言葉だと少し強いかもしれませんが、「居心地の悪さ」のほうが身近で感覚が理解しやすいように思います。
お酒についてはゲコノミスト・ゲコノミクス・ソーバキュリアスなど、お酒を飲まない生き方を楽しむことへの認知も広がりつつあります。様々な価値観のアップデートが進みつつはありますが、浸透まではいっていないのかな、とも思います。
「パートナーという表現は、誰かを生きやすくさせる」に話を戻すと、全員がそういう表現をすべき、ではありません。そういう言葉を聞くことが珍しいわけではない、という社会の認知に変わればいいのだと思います。今は少なすぎるので、パートナー(あるいは相方など)という表現を使う人が今よりは増えるといいですね、という話と捉えています。
あまり気張らずに、そういう表現も織り交ぜていこう
これはあくまでも自分の場合は、ですが、自分の家族のことを話すときに、「妻」と言うのは禁止!とまではしません。
妻や彼氏などの表現は差別的な言葉では全くないので、使ってはいけない、ではありません。研修の中でも、そのようなことは言われてもいませんでした。本来、コミュニケーションの仕方は相手によって表現が変わるバリエーションが豊富なものだと思っています。なので、画一的にすることは目指さなくてもよいのでは、と考えています。
ただ、場面によってはパートナー(または相方)と表現してみようかな、とは思いました。それが優しい世界につながるのであれば。