【掌編】過度の長寿

 この町では過度の長寿は病気としてみなされている。

 不慮の死を別にすれば、男の一生は57年と50日、女の一生は61年と87日である。
 人はこの寿命を念頭に自分の人生を決め、町の諸制度もこれを前提としたものになっている。生まれ育ち、学校に行き、生業を持ち、結婚して子供を作る。個人差はあるが、そのそれぞれに最適な時期がある。
 生まれたときに占い産婆が、その子供を調べ、おおよその目星を付ける。産声、顖門の具合、股の関節、緑便の様子。そういったものから判断する。これは何百年もの経験の蓄積と、そこからの知見により判ることであり、概ね間違いはない。
 これが人生の基本設計となる。それから大きく外れることはすべきではないとされる。無理に外れようと考えれば、本人も家族も、ひいては町全体も不幸となる。
 もちろん、不慮の死はある。事故や病気などにより、天寿を全うできる者はむしろ少ないと言える。だからこそ、人々は生まれたときに立てられた人生の設計の通りに生きることを目指すのだ。
 その個人の自由がないわけではない。どのタイミングで行なうべきか、という確かな指標はあっても、何を行なうべきかは示されてはいないので、人はそれぞれの才覚と意志を持って、生きていかねばならない。

 とりわけ重要である結婚についても、その個人の決めることである。
 親は子供がまだ小さいうちから、結婚期がちょうど同期である子供を探す。子供が生まれれば、その設計書は役場に公示されるので、それで将来の結婚相手の候補の目星を付けることができる。子供がまだ小さいうちから、結婚同期の子供たちと引き合わせて、相性の良さそうな組み合わせを探す。これは大丈夫そうだ、という相手がいれば、そこでいったんは許婚の約束を交わす。
 しかし、いざ結婚というときにその相手でいいのか、というのはやはり個人の決定に委ねられている。だから許婚を決めてはいても、結婚同期の仲間は重要である。その中から途中で許婚を変えることは珍しいことではない。そして結婚期の到来に合わせて結婚し、出産も時期を合わせて行なう。これもそのための最適な性交期というものがあるので、人生設計に従った行動を取っている限り、ほとんどの場合外れはない。

 そして子供が生まれれば、占い産婆に子供の人生設計を見てもらう。その子供の将来のために奔走しているうちに、人生は過ぎていく。

 晩年を迎える頃には、人生をきちんとしまうための後始末を始める。仕事を納め、友人に別れを告げ、家族とともに最後の日々を過ごす。大抵の場合は規定の寿命の前後一日程度で死を迎える。死亡日になると家族や友人に見守られながら、幸運にも天寿を全うできたことを感謝しつつ、静かに瞑目する。

 しかし、ごく稀に死期になっても死なない人もいる。死亡日が過ぎても、息は止まらず、目を閉じても明くる日にはまた目が開いてしまう。正しくは死んでいるべきなのに、身体は健康なまま、いつまで経っても死なない。近所の人からは、あれあの人は死んでいるはずでは?と言われるし、役所からは死亡届が遅れていると文句が来る。家族は居心地悪そうに目を逸らす。

 行き過ぎた寿命は病気なのである。恥ずかしい病気であり、生き恥なのだ。

 仕事ももうないし、もう何もすることがない。そもそも寿命を越えた分の食料も用意されていない。家族から少しずつ分けてもらって食い繋ぐ。自殺すべきなのかも知れないが、自殺は恐い。しかし、家族の目ももっと恐いのだ。
 何とかして死ねるように、病気になろうとしてみたり、高いところから飛び降りようとしてみたり、走る馬車にぶつかろうとしてみたり。しかし、死ねない。
 いたたまれず、ついにはこっそりと町を出ていくことになる。持ち物はすべて処分してしまったので手ぶらのままで、行く当てもなく彷徨い出る。何とかこの病気が治ることを天に祈る。


(記: 2022-03-08)

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