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犬殺しの仮面

 犬殺しの仮面の意匠は、湖に落ちる稲妻である。
 老いた犬、病気や怪我を負った犬、不要になった犬を、犬殺しは殺す。そして可能であれば、殺した犬の肉は食肉として市場に卸す。
 この町では犬は特別な生き物である。他の家畜と同様に人間の圏に属するものとして、他の動物とは一線を画した存在とされている。
 人間の圏に属する動物には人の魂がある程度流れ込んでいるとされるが、犬にはとりわけ多くの人の魂が含まれているとされている。犬は人間の友であり、人の力の拡張であるが、経済的に使われるただの動物に過ぎなくもある。そのような境界の存在であるゆえに、犬には独自の魔力があるとも言われている。
 このため、犬を殺すことは、公事として扱われるものであり、町には専用の公職としての犬殺しが存在する。公職の多くがそうであるように賤業でもあるため、従事者の正体は伏せられる。そのための仮面であり、またその仕事ゆえの力を防ぎ、同時に力を制するためのものであるのも、他の公職の仮面と同じである。
 犬を処分したいものは犬の城と呼ばれる施設に犬を預けることになる。また、野良犬も捕獲されるとこの城に送られる。犬の城には動物を収容するための檻がいくつも設けられている。ほとんどの犬は大きな檻に一緒に閉じ込めれる。お互いに吠え合い争う声が城の分厚い壁を通して響く。
 きちんと手入れされた犬は迷い犬かも知れないため、別の檻に入れられ、数日間は城の前の掲示板にその特徴を書かれて引き取り手が現われるのを待つ。また、犬を手放さなくてはならなくなったが、死ぬまでの間に野蛮な野良犬どもと一緒の檻に置くのは忍びないと、特別扱いを望む飼い主もいる。そういう犬も別の檻に入れられる。
 しかし、いずれは(飼い主の見付かった迷子犬を除いては)犬殺しに処分されることになる。檻に入れられ、一定の期間を過ぎた犬は城の中にある処分場に送られる。処分が行なわれる日はあらかじめ決まっていて、その日になるとどこからか犬殺しが現われる。
 城の管理は役場の仕事であるが、犬の処分自体は全面的に犬殺しに任せられている。犬殺しは役場の管理下にあるわけではなく、役場は犬殺しのお役目の場を整えることしかしない。
 檻から一頭ずつ引出された犬は、処分場に自分から走っていくように建物の作りができている。処分場には犬殺しが待つ。犬殺しの使う道具はそれぞれだ。ナイフや棍棒、盥で溺死させることもあるし、毒を使うこともある。ただ彼等の業で共通しているものは、犬を殺すときに決して恐怖させないことである。
 檻から出されるとほとんどの犬は犬殺しの元に走り寄る。犬殺しは無条件に犬に好かれている。犬は彼を友人と思い、尾を振って近寄っていく。その犬に対し、犬殺しは頭や身体を愛撫することも、優しく声をかけることもある。しかし、それは一瞬のことで、犬殺しは彼らなりの業を持って犬を屠る。犬は声もなく死んでいく。恐怖はなく、何が起ったのか知ることもないだろう。犬の死体は速やかに別室に運ばれ、また次の犬が檻から出され走り寄ってくる。
 犬殺しの仕事は大抵このようなものである。月の決められた日に数頭から十数頭程度の犬を殺す。大抵の公職にある人間同様に、その仕事について彼自身の口から語られることはない。犬殺しが犬を殺すことをどのように考えているのか、どのように感じているのか、誰も知らない。犬殺し自身以外には。


(記: 2021-08-28)

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