【掌編】上空の同じ町

 町の遥か上空には、この町と同じような町があるというお話がある。
 空のずっと高いところ、鳥のように空を飛べるのであれば行き着くことのできる、空のもっとも上、空の天井のようなところ。そこを地面としてさかさまに歩く人達がいるのだという。あまりにも空高くにあるため、普通の目で見ることはできないが、確かに存在しているのだという。
 それは誰が言い出したとも知れない、他愛のない昔話のようなもので、子供が育つなかで何となく聞き覚えてしまうようなものだ。
 しかし、ときには奇妙なことが起きることもある。

 ある日のこと、空から人が落ちてきて、地面に叩きつけられて死んだ。

 晴れた日のことで、上空には何もない。この男はどこから来たのか。
 男は見慣れない服を来て、奇妙な髪の色をしていたという。肌も不思議な色をしていたようだ。ただ、身体は激しく砕けてしまっていて、元の状態はよく判らなくなっていた。顔面も砕けていたので、どんな顔立ちだったのかも判らない。
 警察は最初、この場で何者かに全身をひどく殴打されたのではないかと考えた。しかし、信頼に足る町の住人の何人もが、空から悲鳴を上げながら人が落ちてきて、目の前で石畳に当たってパンと弾けたところまでを見ていた。ただ、悲鳴を聞いてから上を見上げたので、落ちてきた人がどこから落ちてきたのかは判らない。
 遺体を検分した結果、町の住人ではないことは判り、近隣の町にも照会したが、当て嵌まりそうな行方不明者もいなかった。
 どうして空から人が落ちてきたのか、様々な意見があった。町で一番高い時計塔から放り投げられたのだ。大きな鳥に運ばれていたのだ。町の外から投石機で放り込まれたのだ。どれも話に無理な部分があった。落ちてきた男は、町の人間ではないと判ったこともあり、やがて事件は忘れられることになった。

 しかし、先日のこと、町の市場に向かう通りを歩いていた某が、いきなり足が地面から離れて浮かびあがり、空高く一直線に「落ちて」いくという事件が起きた。

 空に落ち始めたとき、彼は最初は戸惑い、何かに捕まろうとしたが、手近のものは頼りなかった。傍らを歩いていた妻が必死に夫を捉えておこうとしたものの、抑えきれずに、最後には彼は空へと飛んでいった。
 妻と居合せた町の人間は、悲鳴とともに彼が空に吸い込まれ、どんどん小さくなっていくのを呆気にとられて見ているばかりだった。
 最後には小さな点のようになって消えた。
 彼がどうなったのかは不明である。しかし、この事件から、かつて町にいきなり現われた墜落死体を思い出した人はいた。

 こういうことだろうか。
 町の彼方上方には同じような町があって、人が住んでいて、そこにある地面に足を着けて生きている。我々が我々の地面に足を着けていると同じように。
 しかし、何かの拍子にそれが反転して、反対側の町の地面を下と感じることがある。
 そうなると、その人は反対側に落ちていくしかない。上の町の人間であれば我々の町に落ち、我々であれば上の町に落ちていく。

 空に落ちた某は目が良い男だった。優秀な射手だった。その日、彼は何とはなしに空を見上げながら歩いていた。雲ひとつない天気の良い日だった。

 横を歩いていた妻の話では、彼は急に空の一点を見つめ、何かがあると言い出したのだという。やがて、
「おい、町だ、空の向こうに町があるそ。へえ、本当にあるんだなあ!」
 と言い出した。
 妻も彼の指差す方向に目をやったが、夫ほどの視力はないためか、何も見えなかった。彼は目を凝らし続け、空の上の町の様子を妻に話し続けた。
「おい、時計塔があるぞ。この町とそっくりだ! 広場もある。市場があって、人がたくさんいる!」
 彼だけに見えるものなのか、本当にあるのか判らないものの話をされて、妻は鼻白んでいた。からかわれているのかとも思った。
 しかし、空の一点を凝視し続けていた夫が、やがて身体ごとふわりと浮かび上ったときには、そんなことは頭から吹き飛んだ。
 夫を地に留めることは叶わなかった。彼の浮かび上ろうとする力は強かった。射手である男の頑強な肉体の体重と同じ大きさの浮力があった。
 そうして、男は虚空へ落ちていった。

 彼はその優れた視力で、空の彼方の底の町の様子を見ているうちに、これまでの大地の上下を思い違え、仰ぎ見るそちらの町の大地を下だと思ってしまったのだろう。
 また同様に、以前に町に「落ちて」きた男もまた目が良い男であり、空の上から我等の町を見過ぎて上下を思い違えてしまったのだろう。
 だから、雲ひとつない天気の良い日には、あまり空を見上げてはいけないのだが、そこまで目の良い者は滅多におらず、重要な教訓はいつも忘れ去られるのだ。


(記: 2022-03-01)

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