【掌編】長眠者の看護人

 長眠者の看護人は、小さな鏡を持ち歩く。この鏡を眠っている長眠者の鼻の下に当て、呼気で曇るのを見て、生死を確認するのである。

 とはいえ、最近では医療用センサーで常時監視できるので、看護人もかつてのように毎時これで生存確認することはない。
 それでも、彼らは見回りのたびに、何度かは鏡を取り出して、彼等の息が止まっていないことを確認してしまう。職業上の習癖だろう。それに大した意味がないのは判っているのだが。
 私も特にそれをしてしまう相手がいる。眠る彼女に何度も鏡を当てて確認してしまう。その長眠者は私の友人だからだ。

 私は長眠者の看護人である。
 長眠者は、数年ごとに半年ほどを眠って過ごす。これは通常の睡眠ではない。脳の活動も含めて身体の状態は大きく変質する。体温も低くなり血流も極端に減る。代謝もかなり落ちるので、水や食事を採らなくてもある程度は大丈夫になる。眠りというよりも冬眠のようなものだ。
 これは遺伝性の病気であるらしい。突然の眠気の発作に襲われ、そのまま数ヶ月単位の深い眠りに落ちてしまう。意識もないまま、長時間無防備な状態となる。 長眠状態の彼らを保護し収容する施設が、長眠者自身によって運営されている。私はそこで働いている。

 施設の建物の中心は、長眠者が眠る部屋だ。そこは大きなホールで、天井は高くドームになっている。壁面には白く漆喰が塗られ、天井にはフレスコ画風の絵が描かれている。
 しかし、窓はなく、照明も暗くしてあるので、仰ぎ見ても絵柄はぼんやりとしか判らない。礼拝堂のようにも見えるが、床にはたくさんのベッドが均等に並べられ、そこに大勢の長眠者が眠っている。ベッドの傍には体調をモニターする医療機器が据えられているが、物音はほとんどしない。静謐の中で、皆、ただ安らかに眠っているように見える。動かないし、寝息すらほとんどしない。あまりに静かすぎるので、病院といういうよりは死体安置所のようではある。顔に布をかけたりはしないが。静寂を守るために、ここを見回る看護人も、無言で足音を立てずに歩くようになる。

 長眠者は老若男女さまざまである。共通点があるとすれば、それは太っているということだ。
 覚醒時の長眠者はたいてい肥満体である。 眠っている長眠者の中には、太っている人から痩せている人までいる。
 大まかには、太っている長眠者は最近眠りについた人で、痩せている人ほど眠りが長い。 かつては自前の脂肪が命綱だったから、覚醒時には可能な限り太っておかないと命に関わった。
 今はそういう危険性は減っているが、それでも、彼らは秋の熊と同じように、できる限り食べ続けて太ろうとするのだ。
 長眠が終わるまでには、丸々と太った人もかなりスリムになる。
 かつては、突然の眠りを耐え切れず、入眠中に餓死したり、覚醒できても何らかの障害を負っていることも珍しくなかった。
 それを考えれば、長眠者が普段から必死に太ろうとするのは、強迫観念というわけでもない。

 とはいえ、今は科学の発展のせいで、生存率はほとんど百パーセントである。以前は不意打ちだった入眠時期も、身体を普段からモニタリングしておくことで、数カ月前から予測することができる。眠りながらでも栄養補給する方法もある。
 このような状況になるまでに、長眠者たちは長い時間と必死の努力で、自分たちの病気を研究してきた。
 長い眠りという致命的な弱点を持つ自分たちを守るために、権力や財力や技術を備えるようになった。同胞の結束も強い。

 圧倒的な弱者のはずの彼らがこれだけの力を蓄えることができたのは、彼らに特別な力があるためだ。
 長眠者はその長い眠りの中で、何かを発見して戻ってくる。様々な発明や革新的な芸術作品、数学の証明、物理学の理論など様々であるが、どれも独創的で有益なものだった。
 彼らは眠りの中で長い夢を見るという。その夢の中で様々な経験をして、その成果を覚醒後に形にするのだ。
 長眠者がその病によっても衰亡することがなかったのは、この創造性とそれを抜け目なく利用した逞しさによるものだ。
 しかし、この施設の静寂の中で眠っている彼らからは、その天才性も強さも伺えない。ただ、穏やかに眠っているだけに見える。その夢の中でどのような経験を積んでいるところなのかは、判るはずもない。

 私は長眠者ではない。 しかし、長眠者の友人がいて、それが元でこの道に入った。その彼女は今この施設の中で私の看護を受けている。日に何度となく鏡を当ててしまうというのは彼女のことだ。
 知り合いだから贔屓をしているわけではない。そもそも鏡での生死確認にはもうほとんど意味がないのだし。
 公平に扱うべきクライアントの中で、特別に関心を払っていると言われれば否定はできない。だから、同僚にはばれないようにこっそりやっている。もっとも、同僚の多くは、秘かにお気に入りのクライアントがいて、周囲には黙って特別扱いしているらしい。まあ、眠っている相手に特別扱いなんて、ほぼやれることはないのだから、遊びのようなものだ。

 この友人の眠りを見守るのは二度目だった。
 友人とはとても仲が良かった。私は彼女が大好きだった。覚醒中の長眠者では当然のことだが、彼女も丸々と太っていて、丸顔の頬っぺたがとても可愛らしかった。よく頬っぺたに触らせてもらっていた。ふにふにの頬っぺたを伸ばしてみたりもしたが、彼女は文句を言うこともなくニコニコしていた。
 彼女は、これまでの夢の中からインスピレーションを得て、ソフトウェアを開発していた。彼女の作った製品は世界的な評価を得ていた。私はプログラムのことはほとんど判らないが、こう聞いてみたことがある。
「ねえ。夢の中でプログラムのインスピレーションをもらうって、どういうことなの?」
「うーん。実は自分でも判らないんだよねえ」
 そういって、何度もはぐらかされた。はぐらかしたというより、説明ができない話だったのかも知れない。
 一度だけ、こういう話をしてくれた。
「思い出せるのは、高い塀に狭まれた道を延々と歩き続けているとこなの。ずっとまっすぐな一本道で。ときどき脇道があって、そっちに入ってみたりするの。その道に入ってからの記憶はなくて、気が付くとまた同じ一本道を歩いているの。それを繰り返しているの。脇道には入りべきだと判るところと、入ってはいけないって判るところがあるのね。今のところ、入ってはいけないところに入ったことはないだけど、もし、あそこに入ってしまったらどうなんだろうね……」
 要領を得ない話である。長眠者の夢の中の出来事は、覚醒した世界では語り得ないものらしい。 もし、入ってはいけない道に入るとどうなるだろうか。

 長眠者は、長い眠りの中で何かを得てくるばかりではない。何かを失なうこともある。稀にあるらしいが、記憶や人格を失ない、まったく別の人格になって戻ってくることがある。 
 私の友人はそうなった。おっとりとした性格だった彼女は、眠りから醒めたときに別の性格になっていた。のそのそ喋っていた彼女は、積極的で早口になり、喜怒哀楽がはっきりするようになった。いつも楽しげで、精気に溢れている。どちらかというとものぐさな人見知りだった元の女とは随分違う。
 そして、彼女は私のことを忘れていた。他にも忘れてしまった人はいた。友人や知人、親戚の中の何人か。彼らの顔や名前や、思い出の記憶をまるでなくしてしまっていた。

 私は彼女の性格がまるで変ってしまったことがショックだった。彼女が忘れてしまった人々の中に私が入っていることは、更にショックだった。
 新しい彼女は、初対面の私にも人懐こくて、私たちはすぐに仲良くなれた。
 でも、この子は私の知る彼女ではないのだ。パッと花が開くような素敵な笑顔だが、それは私の知る彼女ではない。彼女はもっとグシャッと笑った。揺れのない目の強い輝きも、私の彼女のものではない。
 長眠明けにはスレンダーな美女だった彼女は、長眠者の常で瞬く間にぽっちゃりしてきたが、その福々しい顔に浮かぶ表情も、私の知っているそれではない。歩き方すら違っていたのが、重ねてひどくショックだった。

 私は、この彼女の頬っぺたを触るようなことはできなかった。
 彼女は仕事も変えた。ソフトウェアの仕事には興味がなくなったようで、何をするかと思ったら、イラストレータになった。筆なんて持ったことがないはずの彼女は、すぐに技術を身に着けて、斬新なセンスとアイデアで人気者になった。積極性と人当たりの良さで、すぐに交際範囲を広げ、たくさんの友人を作った。
 同じ顔なのに、まるで別の人だと思った。 覚えていなくても、彼女は私を一番の親友だと思ったようだ。一緒にいる写真とかが多かったからかな。実際に我々は親友になった。
 数年してから、また彼女が眠りに入ることになった。あと数日で入眠するだろうという診断で、施設にある待機室棟でしばらく暮らしていた。
 施設の職員の私は、休憩のたびに彼女に会いに行って、いろいろな話をした。
 彼女はまた自分の性格が変わり、知っていたはずの人をまた忘れてしまうことを恐れていた。
「大丈夫よ。そういうことが起こるのは、本当に稀なのよ」
 私は看護人という職業の経験からも、そう言い切ることができた。
「それに忘れてしまっても、また友達にはなれるよ。私みたいに」
「そうね。ありがとう!」
 彼女は少しは安心したようだった。

 そういえば、前の彼女も同じように待機室棟に入っていた。
「寂しくしちゃってごめんね」
 前の彼女は最後にそう言った。
「半年だけのことだもん」
 私はそう言った。半年だけのことだ。そして、彼女が次に目を醒ましたら、二人で一緒に暮らすつもりだったのだ。

 もちろん、そういうことは今の彼女に言ったことはない。
 次に目覚めるときには、彼女はどういう彼女だろうか。
 彼女に言ったように、長眠者の間でも人格の変化はそうあることではない。そして、その変化がその後の眠りで元に戻ったこともないらしい。前の彼女が帰ってくる可能性は低いだろう。
 それに今の彼女だって魅力的な人物であるのだ。彼女が消えてしまったら悲しい。
 しかし、それでも、どうしても、前の彼女が私の元に帰ってきてはくれないか、と心の底で思わずにはいられない。

 見回りにかこつけて、私は日に何度も、眠る彼女の吐息を小さな鏡で確かめる。鏡が曇るたびに私はホッとして、少し胸が苦しくなる。


(記: 2022-03-23)

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