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嫌よ嫌よは、本当に好きなのか?

最近の趣味

ご存じの通り、コロナ禍の緊急事態宣言によって、様々な活動が制限されている状態です。自分の趣味の卓球も、できる場所も大会も限られている状態です。

8月ぐらいから近所にある体育館のプールへ週一で通って運動しています。どうやらプールで泳ぐならコロナ感染のリスクが低いらしい。プールサイドで休憩するときは、さすがにリスクがありそうなのでマスクはするようにしている。プール利用に人数制限はあるものの、これは盲点だった。

実は泳ぐことが嫌い

水泳という選択肢は自分の頭の中から出てこなかった。

緊急事態宣言の長期化(と食習慣の悪化)と、ただでさえ月2回しか練習しない卓球ができず、ただただ酷暑の中走るジョギングを習慣化する事ができずにいて、自分史上最高の体重を更新し続けている中、泳ぐ事が嫌いな自分が、ようやく起こした行動だった。

行動して見つかる新しい発見

初めの数回は、泳ぐことに対する拒否反応と弛んだ体との自己対立して渋々行くくらい、プールに行くことに躊躇っていたが、最近はむしろ喜んで行くくらいである。

温水プールだからなのかもしれない。昔経験した、プールで泳いで唇紫になるくらい冷えて地獄、プールサイドで寒くてガクブルして地獄ということがないことが分かった。ジョギングのように暑い苦しいという感覚もなく程よく運動できる。

だらしない腹周りが人様に晒されることさえ気にしなければ全然続けられるぞ、という気持ちである。

発見はそれだけではなかった。

基本的に息継ぎが下手で、鼻から水が入りツーンとしたり、口に水が入り肺に入りかけて咳き込む事が以前より少なくなった。水が入らないようにするため、水中では常に息を吐き続け、息継ぎで水面から顔を上げた瞬間に一気に吸い込む動作をしていた。まぁ、これがうまくいかない。近くの人の泳ぎで水面が荒れると特に。
ある時、ちゃんと水底に顔を向けて泳いでいれば鼻に水が入らず、命をかけたような息継ぎの仕方をしなくてもいいぞ、と気づいた。
水泳経験者からしたら当たり前なことかもしれないし、もっといい方法を知っているかもしれないが、自分にとってこの発見は大きかった。
こうして、25mプールの半分まで泳ぐのが限界だったが、最近になって25mプールを泳ぎ切る事ができるようになり、徐々に距離が伸びてきている。

それ以外にも、水の中での体の負荷のかけ方が分かってきたのか、水中歩行だけでヘロヘロになっている。

なぜ嫌いなのか

水泳が徐々に楽しくなってきているが、自分自身の根底にある『水泳が嫌い』という意識は取り除けていない。

そもそも、いつから嫌いなのだろう?

思えば、小学1年の頃は泳ぐこともできなかった。他の人と同じことができないのは辛く、プールの授業は休んでいたし、夏休み中近所のプールに遊びに行っていた記憶がなく、明らかに嫌いだったと言える。

小学2年以降は真逆で夏休みはプールで遊んでいた記憶しかない。きっかけは父親から受けた特訓の成果である。海辺から50m近く離れたところから浮き輪も取り上げられた状態で自力で泳いで戻るといった、当時の自分にとって死と隣り合わせに近い修行を行った。父親が浜辺でタバコを吸いながら手を振っていた記憶は未だに残っているが、子供というのは単純なもので修行後はプールを楽しむようになった。

ただ、小学校の授業で水泳を楽しんでいた記憶はないので、やはり休みがちだったと思う。寒がりの自分にとって、夏休み以外のプールの水温は過酷だったこと、また先生から怒られる(当時は体罰がある)ので、そういった意味ではやはり嫌いだったのかもしれない。

中学2年の頃、家族と親戚で海に行った時、妹といとこがゴムボートに乗ったまま沖に流されそうになったところを、浜辺から急いで泳いで救った思い出だけが子供の頃の最後の記憶である。
海は海で、塩水がしょっぱくて不味い、波で泳ぐのが辛いとか、砂が体にくっつくとかで、嫌いな理由がたくさんある。クラゲが出ない時期に泳いでいたことで、幸いなことにクラゲに刺されたことがない。もしクラゲに刺されていたりしたら、嫌いな理由が増えていたかもしれない。

これから好きになれるのだろうか?

『嫌よ嫌よも好きのうち』という言葉があるが、「泳ぐことが好きになれるのか?」と問われると、現時点で全くその気になれない。

どこまで追求し続けても、泳げない、水が寒い、鼻に水が入ると痛いといった自分にとって不都合がある、息継ぎがうまくできない、クロールがスムーズにできない、周りの人より泳ぎが不恰好、50m泳げない、人より遅い、、、などといった理由が付き纏ってくるからだろうと思っている。

本当は『嫌よ嫌よは修羅の道』ではないだろうか?

ただ、明らかに嫌いだと分かっているにも関わらず、水泳が続けられているのは、それを上回る何か好きな事が他にあるに違いない。

自分にとっての好きなことは『自分ならではの発見をすること』だと思っている。人にはうまく説明できないような感動を見つけると自己陶酔してしまう。
なんせ、鼻に水が入らない方法がわかっただけで、ブログにしてしまうくらいだから。

結局のところ

自分の『好き』は、エニアグラムでいうところの、タイプ4の根源的欲求って事に気づいた。それと同時に、嫌いな理由も大半は囚われに関するものだということに気づいた(タイプ4は妬み)。

そうこう考えているうち『囚われがなくなれば嫌いじゃなくなる』という仮説に行き着いた。まさに成長の段階のレベル1の状態であって普通に考えたら無理ゲーで完璧には取り除けないと思うが、まずは囚われと関係のないものからクリアしていけば、嫌いという感情が緩和されるのではないかと思ってみたりする。

小さな発見をブログを書いただけなのに、大きな発見をした気分になっている。

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