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四日間の無言

8月に入り、久しぶりに喉の調子を崩して四日間ほど喋らずに過ごした。
独立してからライブの本数を増やし、歌の力もついてきていると過信していたのだろうか、ここら辺で一発調子に乗らんようにへしおっといたろかとかいうおせっかいな神様にやられたのかもしれない。

まあでかいやつが一気に来るよりも、そういうのこまめにきてくれた方が助かります。感謝。ちゃうねん。やめんかい。

神様のせいにしている場合ではないが、そろそろせなあかんことあるよな、という焦りみたいなものがどんよりとしたねちっこい塊になって胸につっかえている。

どうせこんな塊はライブをしたら一気になくなるから、皆様にも是非この僕のどんよりとしたねちっこい塊が消えてしまう前に見せてあげたい、あわよくば後世に残し賞賛されたいと思ったんですけど、ライブという一時の発散的な方法でこの気持ちをどうにかしていいものだろうかという問いも自然と産まれてくる、ほどにねちっこい。

普段口数が少ない方である僕でも、四日間話さないというのは中々精神的には堪えることらしく、この文章から読み取れるように、頭の中でくだらない脈絡のない思考が繰り広げられている。

しかし、たった四日間の沈黙でこんな風になっていては第二の故郷を印度としている自分の示しがつかない。

印度には「モウナの行」という修行が存在する。
簡単に言えば、数日間無言を貫くという行。

舌の動きを止めることで、自身の性エネルギーを温存し、蓄えられたエネルギーを昇華させて宗教的な方向へ使うようにした。それにより、普通の人には耐えられないような荒行を超人的な体力で克服していくという修行である。

偶然にも喉の調子によって擬似的にこの修行の状況のようになっているが、修行との決定的な違いは、自発的にそれをしていないこと。

修行は自発的にそれを行うことに意味がある。

ライブのための自発的な無言に思えたかもしれないが、意識的にはただの我慢だ。
ライブが近い、我慢しておこう。
このマインドが良くなかったということに、文章を書きながら気付けた。

僕は修行をしている。

そう、修行を。

ありがとう神様。おおきに。
自分の人生の舵を手放すなと。

四日間の無言も一つの気づきになりました。
またどこかで会えるのを楽しみにしています。



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