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顔が見えない

人の顔が見えなくなるのは、思い返せば子どもの頃からでした。
苦手だと強く感じた人の顔が、ある日突然見えなくなるのです。
そこにいることはシルエットで分かるのですが、向き合って相手の正面から見ても、顔の中身だけが情報として脳に入ってこないのです。
話している相手がどうやってその人だと判断するかを意識したことはありませんが、おそらく立ち居振る舞いや声で認識しているのだと思います。
だからといって、のっぺらぼうが立っているように見えているわけではありません。顔だけに靄がかかっているわけでもありません。
その場面ではちゃんと顔を見ているのに、瞬時に記憶から消し去ってしまうようです。
だから長年付き合いがある人のことも、「この人こんな顔しているんだ・・・」とまじまじと見てしまうこともあるくらい、その人の顔がまったく記憶には残っていないのです。

これはある意味で防御策なのでしょうか。
苦手な人の顔だから思い出さずに済むので、特別なんとも感じたことはありませんでしたが、日常生活では多少の不便は感じます。

初めて会った人の顔を覚えるのは苦手で、何度も何度も会ってようやく顔を覚えることができる毎日。
ただ、名前を覚えることは得意だったので、名刺とともにご挨拶できた時は、大変失礼ながらその人の顔は忘れていてもフルネームは完璧に覚えている状態。
メガネをかけているか、どんな髪型だったか、さっぱり思い出せないのは日常のこと。何か事件が起きた時に目撃していても、私では犯人の特徴を言えないだろうなぁ、と思っています。
特に、接客業のアルバイトをしていた時は本当に苦労しました。
「いつもの」なんて言われると、いつも来る時間、座る席、その人の雰囲気、話し方から記憶を総動員させて推理しながら対応していました。
「この前はありがとう」も、最近の出来事から消去法で記憶を選別し、乗ってきた車の色とナンバー、一緒にいる人、持っている物などから推理して会話をしながら探っていました。
こんなことは誰にも言えなかったけれど。
そう、誰にも言えませんでした。身近な人や仲良しには特に。
私は人の顔を覚えられない、と一般的な雰囲気で話しても、イコール「あなたの顔も覚えられませんよ」と面と向かって言っているようなもの。
きちんと理解してもらえなかったらただの失礼な印象を与えてしまいそうで。
別に誰かと分かち合いたいわけではなかったけれど、このモヤモヤする感覚を一生懸命隠して生活するのはとても神経を使いました。

最近になって、これが一種の病気だということを知りました。

相貌失認

身に覚えのある内容が多くて驚きました。ただ、私のはどちらかといえば当てはまる程度。
おそらく私は軽度に分類されるのだと思いますが、先天性のもの。
そうか、これは病気だったのか・・・。
自分が漠然と感じていた状態に名前が付くというのは、どこかホッとするようなショックを感じるような。
病気だと分かったからと言って、身近な人にこそ言いにくいことに変わりはないのですが。

人間は、敵か味方かを判断するために顔を見分ける能力を持っているそうです。
私はきっと、顔で判断できない分、空気や雰囲気を読む能力が備わっているような気がします。
その証拠に、気配を感じて先回りしたり、足音で誰が来たか分かりますから。
戦闘能力は低くても、危機回避力はなかなか高いかもしれません。
そうやって人間は無いものを補うように、別の能力が芽生えていくんだな、と他人事のように感じました。

それでは、皆さま、良い夢を。

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