3年間無職生活をしてみて思ったこと

前職の介護士をわずか4カ月で辞め、そこから無職状態で今月で3年間経っていた。振り返ればあっという間だったし、ひとつひとつの出来事を思い返せば長く感じたような気がする。

今は正社員としての就職のために、就職活動。コロナウイルスの状況で就職を決めるのは簡単ではないけれど。


最近は就職活動に本腰を入れているせいか、よく無職生活にあった出来事や思い出を思い出す。元々過去を時々振り返る癖があって、今に集中している時にも頭の中でたまーに思い返してしまうのだ。


3年間の無職生活で思ったこと。それは「退屈だったな。」の一言。辞めてから半年ほどは会社を辞めたという解放感でいっぱいで、平日にお家で過ごせることの幸福感だったり、寝たい時に寝たり食事をしたい時にするという割と自由な生活の中で心の平穏を保たれていたんだと思う、今思うと。

しかしそこからの生活は焦りと退屈。でも退屈のほうがどちらかというと比重を占めていたかな。自由とはいえど、生活費として使えるお金は必要最低限の生活(食事、足りなくなった日用品の補充など)ができるのみで、旅行なども行けるはずもなく、ほとんどお家で過ごす日々。

介護士として生活してた時はきっとだれよりも自由を求めていたはずなのに、いざその環境に置かれてみると、退屈でしょうがない。きっと遊べるだけのお金がないせいなのもあるだろう。でもお金があったとしてもきっと退屈だっただろうと思う。

介護士時代で収入があった頃、大人の気分を味わうために休みの日に銀座のこじんまりしたバーに行ったことがあった。客は自分1人で5~6席ほどのカウンター、窓際には向かい合わせで座れるテーブルが2つ。若い新人だか何だかの背の高いバーテンダーのぎこちないお話を聞きながら酒を飲む。確か果汁入りのカクテルだったか。酒の名前は忘れた。

1人でバーに行くのは初めてで、どう楽しめばいいかわからなかったが、帰りの電車で行ったバーの情景や酒の味を思い出しながら新鮮な思い出に対して「楽しかったな。」と余韻にふけってたことがある。

多分仕事という日々ストレスのある生活を送っていたからこそ感じていた充実感だったのだと思う。働いていたからこそ得られる幸福感的なもの。

今はそれがない。毎日が休日、学校でいう夏休み。自由と不自由は表裏一体だということか。無職になって、退屈を感じてきた頃に思った。

今ではまた、就職というそんな不自由な生活へ一歩を踏み出す。求めていたものとは正反対のベクトルへ。

無職だからこそ得ることができた「退屈だったな。」という経験。就職してからも、この感覚、感情は大事にしよう。そう思いながら、スマホの転職アプリをタップする。