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バーバラ・ジョージ

【ブログの過去記事】

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※本文を書くにあたり、文屋章さんのライナーをかなり参考にしています。

バーバラ・ジョージの音楽人生は、偶然に翻弄されたのか、あるいは必然的な結果だったのか。

彼女が、ヒット曲「アイ・ノウ」を録音した<AFO>は、サックス・プレイヤーでプロデュース業もこなしていたハロルド・バティステ・ジュニアが設立したニュー・オーリンズのレーベルだ。当時<リック/ロン><ミニット>レーベルはあったが白人資本だった。<AFO>が彼の地での初の黒人資本レーベルとなった。

既にヒットを飛ばしていたジェシー・ヒルは<AFO>入りしたかったが、契約の関係で駄目。代わりにスカウト業を受け持ち、連れてきたのがバーバラ・ジョージだった。

<AFO>の演奏布陣は、ニュー・オーリンズR&Bサウンドの殿堂とも言えるコジモ・スタジオのミュージシャンで、ハロルドとは旧知の仲の連中だ。本盤の充実ぶりの半分以上は彼らの功績ではないかと思う。バーバラにとっては幸運なスタートだった。

パンチのある歌声の合間にふと見せる未成熟な少女の薫りがバーバラの魅力だし、中々のセールス・ポイントだ。リズミカルで明るく、時に哀愁を感じるニュー・オーリンズ・サウンド仕様の声とも言える。

最大の悲劇は、彼女自身に自分の魅力が判っていなかった事だろう。<AFO>の配給を担当していた<スー>に引き抜かれてしまい、ニューヨーク録音に挑むが、結局ものにならなかった。本盤のボーナス・トラックに収録されているが、悪くはないけど、繰り返して聴きたくなるほどではない。

人を顔で判断してはいけないが、いかにも純朴そうな顔立ちの彼女だ。「アイ・ノウ」のヒットを残しはしたが、悲しい末路である。もし、ヒット曲を持っていなくても、<AFO>で良質な録音を続けていれば、精神的に充実した音楽人生を送れたと思うが、どうだろうか。

それこそ「アイ・ドント・ノウ」である。

I Know (You Don't Love Me No More)


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