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ザ・ソウル・スターラーズと<サー>レーベル

【ブログの過去記事】

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●ソウル・スターラーズ『ジョイ・イン・マイ・ソウル』<サー/Pヴァイン>(15)


※ライナーノーツを大いに参考にしています。

<サー>レーベルのスペル“SAR”は、立ち上げた3人サム・クック、J.W.アレグザンダー、ロイ・クレインの頭文字を合わせたものだ。ロイはやがて退くが、この人がソウル・スターラーズの“創設者”とも言える人物である。

信奉者から「君たちの歌声は魂を揺さぶる=ソウル・スターラー」と指摘され、スターラーズを名乗ったのが始まりだそうだ。一度グループは消滅し、ロイは別のグループから誘いを受けた。「ソウル・スターラーズ」と改名するならという条件が承諾され、後に大看板となる名前は残った。

ロイは、ダブル・リードヴォーカルの概念をいち早く取り入れてもいる(30年代)。日程的にも金銭的にもゴスペル・サーキットは過酷で、辞める者も多い中、J.J.ファーレイ、R.H.ハリスと言ったキーパーソンを引き入れ、活動拠点をテキサスからシカゴへ移した。シカゴでは、作曲家ケネス・モリスやトーマス・A・ドーシーの曲が使えたので、シーンに浸透し、ラジオでゴスペル番組を担当するまでになった。

46年ポール・フォスター加入、51年サム・クック加入。5年後“転向”したサムの後釜ジョニー・テイラーの加入までロイは関わっている。

サムがスターラーズを抜ける56年に、彼が推薦するギタリスト、リロイ・クルムが加入。リロイはその後演奏面だけでなく、スターラーズを長年支える人物となる。一方ロイは、自分の兄弟にギターを任せたかったが、サムの猛反対に合い断念した。スターラーズの転換点は、サムの脱退だけでなく、裏方のリーダーの変更もあったのだ。

ソウル・スターラーズからソロになったサム・クックは、ソフトだが渋く力強いスターラーズの感覚も踏まえ独自の音楽スタイルを創り上げたとも言える。そして、サムの<サー>レーベルにスターラーズが入り、サムの影響を受けた感じもする。イントロが流れるとサムの歌声が聴こえてきそうな曲もある。

ハード・シャウターが絶頂を呼ぶパターンでなく、正にサム的に優しく柔らかく歌い上げる中、決めどころは外さない熱唱の数々だ。サムとスターラーズの類似性は本盤でも十分感じる。後期は若干離れた感も強いけど。サムにとって自分のレーベルで広めたかった音楽の最高の体現者がスターラーズだったに違いない。

※ゴスペルにおけるダブル・リード・ヴォーカルの開発者は、R.H.ハリスというのが定説なようですが、「完成者」と解釈すべきなのかも知れません。

Stand By Me Father




wade in the water


Oh Mary Don't You Weep



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